7月でもクレソンが楽しめる場所

春の山菜狩り、初夏の真竹狩りが終わっても、湘南番外地の山遊びはまだ終わらない。今年は、梅雨明け前後の時期に収穫できるという、とある野草を楽しみにしていたのだが、どうも育ちが悪いようで、じっと様子を見守っているところ。今回はその野草をあきらめて、すぐ近くの小川に生えているクレソンを摘みに行くことにした。

番外地でクレソンが群生しているところは、休耕田や小川、湧水など何カ所かある。ふだんから、散歩をしつつクレソンのありそうな場所を探し、時には、クレソンがよく育ちそうな環境の水場に、ぼくが自分の手で、ほかから持ってきた根を移植することもあり、秘密のクレソン畑は、年々少しずつ増えている。

どんより曇った梅雨空の下、そんな秘密の場所のひとつ、隣の小田原市との境界線近くにある小川を訪れてみた。久しぶりに見た小川は、水面にびっしりとクレソンの若葉が生い茂り、緑一色の"クレソン川"のような佇まいになっていた。

今年は当たり年らしく、小川の水面はまさにクレソン一色だった

一般的にクレソンの収穫期は冬から春にかけて。その後は、葉が虫に食べられてしまったり、茎や根にタニシなどの水中生物が付着してしまうことが多いのだが、この湧水の流れる小川は水温が低いせいか、5月ごろに白い花が咲いた後でも、水の上に突き出したやわらかな若葉を摘むことができる。

冬場に大ぶりなクレソンを摘んでいると、すぐに4つ、5つのビニール袋がいっぱいになってしまうが、今の時期の若葉は小さめなので、コツコツと1袋分集めるのもひと苦労だ。しかし、緑豊かな田園風景に身を置いて、メダカやドジョウの泳ぐ姿を眺めながらクレソンを摘むひとときは、いつもながら清々しく気持ちいい。

ひとつひとつの若葉はまだ小さいけれど、風味はしっかり一人前

番外地にあるのは"丸葉"と"本物"の2種類

クレソンの原産地は、ヨーロッパから中央アジアと言われている。アブラナ科のオランダガラシという和名のとおり、明治初期にオランダ船によって日本にもたらされた。その後、軽井沢などにある外国人の家の台所から流れ出したものが、小川などで野生化し、やがて全国各地に広がったと考えられているそうだ。となると、番外地クレソンのルーツは……同じように外国人の別荘が多かった箱根か御殿場あたりなのだろうか。

ぼくの知る限り、番外地の野生クレソンには2種類があり、今回訪れた小川に生えているクレソンは、勝手に"丸葉クレソン"と名付けている。「それはクレソンじゃないかもよ」と言う人もいるが、一枚一枚の葉が丸く、クレソンとまったく同じ香り。辛味が強いのが特徴だ。アブラナ科の仲間であるはずなので、一度図鑑で調べたこともあるが、とうとう何という品種かはわからなかった。

ちなみに、もうひとつのクレソンの呼び名は、本物クレソン。あのスーパーなどで売られている一般的な品種と、まったく同じだ。実はもともと番外地では丸葉のものよりも本物クレソンの方が主流で、ぼくが子供のころは町はずれの田園地帯へ行けば、あちこちにこのクレソンが生えていた。

丸葉クレソンは年間を通して緑色だが、本物クレソンは、季節によって葉が紫色になっていることもある。味はまったく変わらないので、うちでは気にせずに食べているが、遊びに来た友達にこれを出すと「こんな紫色の葉っぱがクレソン?」とびっくりされる。

別の湧水エリアに群生している本物クレソンには紫色の葉が混じる

マグロのブツと和えて海鮮サラダ風に

ピリリと辛い丸葉クレソンは、生で食べるのが最も美味。ツナとマヨネーズのソースをかけただけのクレソンサラダや、スモークサーモンとクレソンをたっぷり挟んだサンドイッチは絶品だ。しかし、加熱調理すると、辛味や苦味が際立ってしまうので、本物クレソンの季節には、そちらを摘んできて使うことにしている。

加熱する料理とは、例えばクレソンと鴨肉の鍋。映画『失楽園』に登場する鍋料理として、すっかり有名になってしまったが、あっさりと水炊きにしてポン酢でいただくのが我が家流。ほかの加熱系料理では、牛肉とクレソンをXO醤やオイスターソースで炒めたり、レバーとクレソンを加えた赤ワインソースでパスタを作るのも定番だ。

もうひとつ、このごろ気に入っているクレソン料理「マグロとクレソンのごま油和え」をご紹介しよう。レシピはいたって簡単で、まずはマグロのブツをごま油と岩塩で和えてから、刻んだクレソンやほかの具材を混ぜるだけ。ハワイで有名なアヒ(マグロ)&オゴ(海草の一種)を用いる伝統料理「ポキ」にも似ているが、海草は使わない。ルッコラやコリアンダー、シソ、春菊、ネギなどの香り菜、あるいはミョウガや白ゴマなど、具材は香り良ければ何でもよし。カリカリに揚げたニンニクやカシューナッツをトッピングしてもおいしい。

クレソンなどと和えたマグロのブツは、そのままご飯にのせてもおいしい

かつて番外地界隈の農家の人たちは、クレソンのことを馬セリと呼んで、絶対に口にしなかった。繁殖力が強いクレソンはすぐに増えてしまうので、彼らにとっては厄介な雑草のような存在だったのだろう。

だから、小学生のぼくが両親と休耕田でクレソンを摘んでいると、彼らはあきれた表情を浮かべながら、「そんな馬(バ)セリ、いつもで好きなだけ持っていっていいよ」なんて言ったものだ。今思えば、馬セリという言葉は、馬のエサになるセリ、というよりは、馬しか食べないセリ、という意味合いだったのかもしれない。

そんなことは全然気にしないで、ぼくらは毎回ボウル何杯分ものクレソンをとってきては食べていた。それこそ、馬のごとく。だから今でも、スーパーで一束ずつきれいにラッピングされて並んでいるクレソンを目にすると、何となく別の野菜のように思えてしまう。ぼくがこれまでに摘んできたクレソンを束にしたら、いったいどのくらいの量になるのだろうか……。