ラジオ業界に関わる様々な人を掘り下げる連載「ラジオの現場から」。今回登場するのは、文化放送の太田英明編成局長だ。1986年の入社以来、アナウンサー一筋だったが、昨年10月付けで編成局長に就任。番組内で辞令が発表されるという前代未聞の出来事が話題になった。

この春で入社35年を迎える太田氏にあらためて編成局長を打診された時の心境、そして編成という仕事への意気込みを聞いた。

■「そんな要職に就くはずがないと思い込んでいた」

  • 太田英明氏

    太田英明氏

――今日は太田さんに根掘り葉掘りお話をお聞きできればと思っています。

過去のインタビューを拝読させていただいたんですが、あんなお話ができるのかどうか、ちょっとビビってます。読み終わったあと、逃げ出したくなりました(笑)。

――そんなそんな(笑)。よろしくお願いします。とにかくまずお聞きしたいのは、昨年10月1日付けで編成局長に就任されたことについてです。最初に打診されたときはどんな風に感じましたか?

最初は「そんな話も出てるよ」くらいの感じだったので、まさか本当にそうなるはずもないだろうと思っていました。編成経験もなければ、制作経験もなければ、営業経験もなかったので。

若い頃にアナウンサーだった方が、のちにいろんな立場を経験された上で要職に就かれるケースは多々あるかもしれませんけども、ずっとアナウンスの仕事しかしていなくて、他の分野は未経験の私が、いきなりそんな要職に就くはずがないと勝手に思い込んでいましたから。「さすがにそんなことうちの会社はしないだろうな」と考えていました。

――まさに青天の霹靂だったと。しかも、『大竹まこと ゴールデンラジオ』内で、上口宏社長(現会長)から通達されるという異例の形でした。

そもそも会社の内示を放送に乗せるなんてことは前代未聞でしたから、「えっ……あっ……本当にそうなるんだ? しかもこの時期で、この形なんだ?」と。まさにサプライズでしたので、ラジオを聴いている方も驚かれたと思います。他のセクションに移るというイメージをまっ……たく思っていなかったので、本当にビックリしました。

――今の「まったく」の間からも驚きがよくわかりました(笑)。

大竹まことさんの番組も非常に好調でしたし、私の役割としても、口幅ったい言い方ですけど、大竹さんに信頼されているという感覚があったので、すぐに自分がこのポジションから変わるなんて発想がなかったんです。

――では、編成の業務を始めるにあたって、不安しかなかったのでは?

何がなんだかわからなかったので、正直、とても不安でしたね。

■編成局長の仕事とは

――リスナーとすると、「編成」という言葉はよく耳にしますが、実際にどんなことをされているのかよくわからないと思うんです。どういうお仕事なんですか?

私の場合は編成局のトップなので、「この時間帯に、こういう人をパーソナリティに人選し、こういうコンセプトで番組を放送する」という“番組編成”の最終的な責任者であるというのがまず1つ。また、中長期的には文化放送のステーションイメージをブランド化していく役割も担っています。

それにプラスして、他局さんとの交渉も仕事になります。他局さんと共同でラジオのキャンペーンや防災に関する企画をやる時の窓口や責任者という仕事もあるのだな、とようやく分かってきたと(笑)。そういう状況ですね。

――就任されてから4カ月ほど経ちましたが、実際に編成局長になってみてどうですか? 難しい部分もあれば、新たなやり甲斐も当然あるんじゃないかと思うんですが。

たとえば、テレビを見ていて、芸人さんが面白いことを言っていたり、トークの展開がすごく上手だったりする時があったとして、今までなら「自分だったらそれをどう取り込もうか?」「どう応用しようか?」「どう参考にしようか?」という発想だったんです。

それがガラッと変わったんですね。「この人をこういう場面でこういう起用の仕方をして、こういう演出をしたら、文化放送にとってプラスになるんじゃないか?」という発想をしたことがなかったので、その切り替えが難しいです。どうしても癖が抜けなくて、いまだに自分が演者だという視点で見てしまうところがあって。そこはこれから切り換えていかなきゃなと思いますね。

――想像以上のとてつもない責任が太田さんの肩にのしかかっているように感じます。

ただ、編成になって1つわかったのは、私が今まで34年間、充実感を持って表に出ていられたのは、裏側のセクションにいるいろんな方々のご苦労やご尽力というバックボーンがあったからこそなんだなと今さらながら気付いて。それは勉強になりました。お恥ずかしいんですが、そういう仕組みでラジオがなりたっているんだとようやくわかって。感謝しかないというか、ありがたい場面をずっと味わえていたんだなと思いました。