お笑いコンビ「ジョイマン」の高木晋哉が、ちょっぴりほろ苦く、そしてどこかほっこりする文章で綴るこの連載。読者のお悩みにジョイマン高木ならではの視点で答えてもらいます。

今回のお悩み

「中途で入った職場のお局さんに悩まされています。質問したり話しかけたりしても、『他の人に聞いて』と言われたり無視されたり。これまでも同じような境遇に遭った複数の中途の人が、すぐに退職しているそうです。仕事は楽しいので辞めたくないのですが、どうしたらいいでしょうか」(30代女性会社員)

はじめまして。ジョイマンの高木晋哉です。職場のお局様のご機嫌問題。これは、今も昔も変わらず存在するんですね。実は僕の妻の職場でも似たようなケースがあるようで、被害に対する愚痴をよく聞いています。ただ、もちろん妻の怒りもわかりますが、僕としては「ああ、お局様もつらいんだろうなあ」と思ってしまうんです。妻の職場のお局様に関しては、話を聞いている限りでは、ちょっぴり人格が破綻しているようなのですが、それでもそう思ってしまいます。お局様も人間。誰も好き好んで人格破綻する人間なんていません。人格が破綻するには、それなりの理由ときっかけがあると思うんです。

当たり前の話ですが、お局様は最初からお局様だったわけではありません。あなたと同じように若い頃もあったし、お局様もかつてピカピカの新入社員でした。18年前、お局様は短大を卒業して地元で公務員になりました。学生時代に一緒に遊び、将来を語り、飲み歩いていた同級生達からは「夢よりも安定をとった」と言われるけど、それは進路が決まった自分への嫉妬だと思うようにしてやり過ごしました。いつまでも青春は続かない。お局様はそれをわかっていたのです。

親を安心させるためもありました。お局様には4歳上の姉がいます。姉は学生時代にできちゃった婚をして、今は離婚をして幼い子どもをつれて実家で暮らしています。親は内心では、そのことを残念に思っているようでしたし、ふとした時に姉の疲れた表情を見るたび、「私は安定した職業について、堅実で素敵な彼氏と恋愛結婚をして、姉のような失敗を繰り返さない」と強く思うのでした。

お局様は同僚や先輩に与える印象を考え、職場では率先して仕事をやるようにしました。仕事面で気の利く女の印象がついたほうが、仕事のできる素敵な有望株の男性と出会った時に支えてあげられるし、有利だと思ったのです。全ては、堅実で素敵な彼氏と恋愛結婚をするためでした。しかし、これといった出会いもないまま、時だけが過ぎていきました。わくわくできる仕事を任せられることもありませんでした。

同級生は少しずつ夢を叶え、生活面ではまだ苦しいものの、キラキラと暮らしていて、その様子がフェイスブックから伝わってきます。私は本当にこの生活を選んで正解だったのだろうか。人に好かれようとして人の仕事を手伝って、少しでもいい男を見つければ、入念に作り込まれた笑顔を見せる。いつしか笑顔はべっとりと顔に張り付いて、そのせいでできたのだろうか、ほうれい線が気になって仕方ない。

お局様は、ふと心の中に薄暗い影が差し込みつつあることに気付きました。なぜ私は、求めていた幸せを何ももたらさないこの職場で、他の人の手伝いばかりしているのだろう。私は人のために自分を犠牲にしているのに、他の人達は私の幸せのために何かしてくれたことがあっただろうか。結局、皆、自分のことしか考えていない。だったら私が時間と労力を割いてまで、わざわざ何か人のためにしてあげるなんて馬鹿みたいじゃないか。馬鹿を見るのはもうごめんだ。私は人のために生きているわけじゃない。姉のように子どものためだけに生活費を稼いで、疲れたババアになって死んでいくのだけはごめんだ。

これからは若い社員どもに何か頼まれても「他の人に頼んで欲しい」と言おう。それが、私が私を守ってあげられる唯一の手段なのだから。でも本当にそれで良いのだろうか。人にそんなことを言った経験があまりないから、上手に言えるだろうか。必要以上に冷たい言い方になってしまうかもしれない。それでも私にはこれしか手段はない。大丈夫。いつかきっと慣れる。人間はどんなことにでも慣れていく生き物だ。それが例え悪魔のような所業であったとしても……あのコピー機の近くにいる若手社員は、何か私に頼もうとしているな。いつものことだから、わかるようになってしまった自分が少し哀しい。ああ、言おうと決めたものの、いざその状況が近づいてきたら緊張してきた、やっぱりやめようか、怖い、近づいてくる、いや、来るな、来ないで、お願いだから私を悪魔にしないで。

「先輩これ頼んでもいいですか」

「……他の人に頼んで」

ということなのです。あなたもそうであるように、あなたに関わる全ての人、物、出来事にも、今この瞬間にたどり着くまでのストーリーがあります。人は哀しみを少しずつ誰かと分け合わなければならない。人は一人では生きていけやしないのだから。哀しみを想像し合って、話し合って、分け合って、小さく小さくなって、いつの日か、地球上から哀しみが消えてなくなる時が来るのを、ジョイマン高木は夢見ています。夢を見るのは自由ですから。