このコラムのテーマは「社会」だが、書いているのは無職のひきこもり、というもっとも社会から遠い存在である。

つまり、編集部の完全な発注ミスであり、お題を貰ってはじめて「世間ではそんなことが起きていたのか」と知ることが大半である。

しかし、今回のテーマだけは、世間で話題になる前にいち早くキャッチしていた。

「ローソンのプラベートブランドデザイン一新」である。

確かにオシャだとは思うけどさぁ

ここからは便宜上「ローソソ」と表記させてもらう、権利上の問題とかではなく私の宗教上の問題だ。

ひきこもりというのはコンビニという畑で採れる食物を食べないと死んでしまう生物なので、コンビニに行くときだけは外出することが多い。つまりひきこもりを辛うじて現世につなぎとめているのがコンビニという存在である。

私の家から最も近いコンビニがローソソなので、「今週はローソソにしか行っていない」というぐらいズブズブの関係である。特にそこで売られている「飲むヨーグルト」を痛飲しているため、パッケージデザインが変わったことにはすぐ気づいた。

「しゃらくさくなった」

これが第一印象であったが、それほど気にも留めていなかった。しかし、これが世間では結構な話題になっていたようである。

デザインがオシャレとかダサいとか以前に、「わかりづらい」と意見が相次いでいたのだ。

現在奇遇にも、というか当然のようにローソソの飲むヨー(キウイ)を飲みながらこれを描いているので、改めてパッケージを見てみよう。

まず文字だが「DRINK YOGURT」と書かれており、これが一番デカい文字である。

この時点で「日本語でOK」とイラついている人もいると思うが、しかも白文字なので決して読みやすくはない。その下に「ドリンクヨーグルト」とカタカナで書かれているが、イラストに完全にかかっているので棚に並んでいる状態ではほぼ読めないと思う。

旧パッケージも「DRINK YOGURT」表記だったが、黒文字であったし、「ドリンクヨーグルト」も絵や写真にかぶっていないので今よりは読みやすかった。

何よりパッケージに飲むヨーの写真が使われているため、最悪文字が読めなくても「これが飲むヨーだな」ということが目視できる。

私ぐらいの飲むヨー上級者になれば、もはや位置情報のみで飲むヨーをつかみ取ることができるが、たまたま飲むヨーが飲みたくなった一見客などは遭難してしまうかもしれない。

さらに「DRINK YOGURT」はまだわかるが、豆腐や納豆までもが「TOFU」や「NATTO」と表記され、例によって日本語表記はその下にとても小さく書かれているのみという状態になっている。

オシャレと言えばオシャレだが、あまりオシャレを求めてコンビニに納豆や豆腐を買いに行く人間はそんなにいない気がする。もしかしたら、納豆や豆腐を映えアイテムにしようとする努力があったのかもしれない。

このように、全体的に写真ではなくイラストを使うようになった上、イラストが小さく、文字も大きいとは言い難いので、「前よりわかりづらくなった」というのは残念ながら事実である。

しかし、デザイン的にオシャレになったのも事実で、我々ツイッター民は文句を垂れているが、インスタの民には好評ということなので、余談だがますますツイッターとインスタの溝が深まった。

みんなにやさしいコンビニであり続けて欲しい

だが、いくらオシャレでも、コンビニにおいて「わかりづらい」というのは致命的である。

「ひきこもりでもコンビニには行く」ということは、「全世界の人間が利用する」と言っても過言ではない。つまり老若男女国籍問わず、時には体の不自由な人も来るかもしれないということである。

コンビニに求められるのはそういう様々なそれぞれの事情がある人全員に「わかる」デザインであり、オシャレはその次なはずだ。わかりやすさを犠牲にしてオシャレを優先したのは、デザインとしては良くても、コンビニ商品としては失敗なのではないだろうか。

余談だが現在私の使用している歯磨き粉の箱には、商品名よりもでかく「歯槽膿漏」とクソでかフォントで書かれている。

デザイン的にはインスタ民が泡を吹いて倒れる一品であるが、この商品には「歯槽膿漏に悩んでいる人が、間違いなくつかみ取ることが出来る」という最大のメリットがある。歯茎から膿が出ている奴が求めているのは、オシャレなパケではなく、歯槽膿漏に効く歯磨き粉なのだ。

このようにオシャレではなく「わかりやすい」「使いやすい」ことが、「優れたデザイン」とされる場もあるのだ。

  • ローソンの納豆はユニバーサルデザインなのかデザインの敗北なのか

    そもそも「わかりづらい」ことが「オシャレ」だと思われてるんじゃないかと不安になる

昔、高齢者の利用が多い施設の人が、「文字を小さく薄くすればイケてると思っているデザイナーには天罰が下ればよい」と言っていた。

もちろん、文字が小さくて薄いデザインの方が良い場面もあるが、そうではない場も多い。

その場で求められているのは「オシャレ」なのか「わかりやすさ」なのか、デザイナーはそれを見極めてデザインしなければいけない。

どうせ、わかりやすさが求められる場所で「オシャレ」を優先してしまった場合、当然「わかりづらい」と苦情が殺到するため、結局オシャレデザインの下に「ここは便所です」などと書かれた、巨大テプラを貼るはめになるので、余計ダサくなってしまうのだ。

日本は超高齢化社会、かつ外国人の数も増えている。

まずはわかりやすく、そして、その縛りの中でどうオシャレにしていくかが、これからのデザインには今まで以上に求められていくのかもしれない。