今回のテーマは「GW」つまり「ガッデムウィーク」だ。

「SW」はもちろん「シットウイーク」だ。よって政府は早急に「FW」を作るべきである。「F」の意味はここでは書けないので「ファンタジー」とでも思っておいてくれ。

多くの会社員兼業作家にとって「連休」というのは、会社が休みというだけであり、むしろ溜まっていた作家としての仕事を一気に片付ける期間を指す。GWだけではなく、盆や正月もすべてそうだ。

よってここ数年、GWの記憶がない、記憶に残るようなことをしていないからだろう。しかし、そんなガッデムウークとも今年でおさらばだ。

何故なら私はこの5月で会社を辞めて無職になる。よってゴールデンウイークももはや関係ない、週休7日だ。休み、という概念すら消失である。

無職になったら、筋トレして、問題を全て筋肉と暴力で解決しようとか、部屋を私が入るスペースができるぐらいキレイにしよう、とかいろいろ展望がある。

しかし、私も伊達に35年も「私」というド底辺モビルスーツのパイロットをやってきたわけではない。よって薄々感づいてはいるのだ「時間があってもやりはしない」と。

「時間がない」ことの最大の利点は「時間がないせいにできる」ということだ。私はここ数年この「時間がない」ことを理由に、人間としてすべきことをことごとく放棄してきた。

今も指毛が盛大に生えているが、これも時間がないので仕方がないのだ。だが今まで、「時間がない」もあながち嘘ではなかった。

「貴様はクソをしたあと、後ろを振り返る時間すらなかったのか? 」と言われるかもしれないが、その時も「前を見るのに忙しかった」のだ。

しかし無職になるとこの「時間がない」が使えなくなる、逆に最大のピンチが訪れたと言っていいのではないか。

よって最初から「無職になったら心を入れ替えて真人間になる」みたいなことを、言うのはやめた方がいいだろう。

逆に「俺は無職になったら…… どこにも行かない! 何もしない! 」と高らかに宣言するか「これからは今まで会社に費やしてきた1日10時間をまるまる虚空を見つめるのに使おうと思います」というビジョンをろくろを回すポーズで語ろうかと思う。

そうすれば、本当に何もしなかったとしても「こいつ有限実行だな」と逆に評価が高まる可能性がある。

「時間さえあれば」もそうだが「○○さえあれば」と言い訳している奴は、大体それがあってもダメなものだ。

しかしこの「○○さえあれば」という言葉を、ただの怠け者の言い訳と断じるのは優しくない。

確かに、大体のことは自分のせいだ、しかしそれを全部「自分が馬鹿で愚かなせい」にしていたら辛いではないか。 時には「○○さえあれば」という、今ないもののせいにすることも必要なのではないか。

これは言い訳ではない、どんな詭弁や負け惜しみだろうが、自分を納得させないと前に進めないからやっているのだ、つまり前向きな行いなのである。

よって今まで、「時間がない」という理由で、様々な挫折から立ち直ってきた私だが、それがなくなると「俺は本気出してもダメ」的な真の挫折を味わう恐れがある。

しかし私も、ギャグで35年「私」というベニヤ板製起動戦士に乗っていたわけではない。

「どうせまた別の言い訳を見つける」というのもわかっている。

最悪、全てのことは「運が悪かった」「おドッグ様に噛まれた」で片付けられるのである。

言い訳ばかりで何も成し遂げない人生かもしれないが、それで大した病(ビョウ)も発症せず生きていけるなら、それはもはや「そういう健康法」なのである。

しかし「○○さえあればと、言っている奴はそれがあってもダメ」というのには、ひとつだけ例外がある。「二兆円さえあれば」だ。

二兆円さえあれば、本当に大体のことは解決するだろう。 二兆円は偉大、そして私もできればこの「二兆円健康法」の方を試したいものである。

筆者プロフィール: カレー沢薫

漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。「やわらかい。課長起田総司」単行本は全3巻発売中。