――「音楽番組も挑戦したい」というのは、MCとしてですか? それともアーティストとして?

これは昭和歌謡を聴く立場ですね。あとはイントロクイズもいつか挑戦したいです。BSフジさんの番組でも歌ったことがあるんですけど、エコーをかけてくれなかったんですよ。「かけます」って言われてたんですけど、OA見たら普通の歌声で憤慨しました(笑)

――普段から歌はよく嗜んでいるのですか?

コロナ前までは割とミラーボールのあるようなお店にもよく行ってましたね。スナックは警察官と行きました。岡山で事件記者をやっていた時、取材先が行きつけのママとチーママ2人で開いている小さなスナックで、時々流しのギターが来たりして。そういう感じの店だと、ママとの長年の信頼関係もあって、ちょっと口も緩むわけですよ。ママが岡本真夜さんの「Alone」を歌っていた時に、取材先の警察官の顔が穏やかに。その表情を見てすかさず「いい歌ですね。Xデーも3日後ぐらいですかね?」と探りました。「3日後の朝だ。カメラ構えとけ」「ありがとうございます!」って(笑)

そんなことをしてると、「お前もなんか1曲行け」って言われるんで、私は替え歌ですよ。堀江純さんの「メモリーグラス」で、「♪特ダネをくださ~い」「♪朝日なんか 毎日なんか 読売なんか~」って。駆け出しの頃ですから、スキルもなければ人脈もないんで、そんなことをやってましたね(笑)

――刑事さんの世代に合わせて選曲するんですね。

警察官が歌う曲、世代にもよりますが、何パターンかあったように思います。凄惨な事件が解決した後だと、亡くなった方の弔いと解決したことへの感謝みたいな感じでしたね。

フジテレビ問題で痛感した社外取締役の責任

――番組出演以外でも、2社の社外取締役を務められています。フジテレビ問題もあって、社外取締役の重要性というのは、やはり感じましたか?

改めて痛感しましたね。いかに外の空気をしっかりと執行部に伝えて、株主の利益につながるような発言をしなきゃいけないか。社外取で一番大事なのは、やっぱり危機管理の部分だというのを、一連のフジテレビ問題を見て感じましたね。だから、気づいたことがあれば躊躇なく言うことにしています。

――そしてもちろん、ジャーナリストとして政治の取材も引き続きされていますが、NHK時代より自由にできるようになりましたか?

そうですね。局員の時はそれぞれ持ち場があって、与えられた担当外の政党や派閥、官庁に手を突っ込むのは遠慮しながらという面もありましたけど、そういった面はなくなりました。フリーというのは取材においてマイナス面もありますけど、そこは補うこともできるし、昔取った杵柄で政治家には電話取材もできるので、ちょうどいい塩梅にはなってきてるかなと思います。

――ジャーナリストとして取材に報道・情報番組への出演、バラエティにロケ番組に社外取締役、大学教授と、活動ジャンルは多岐にわたりますが、全部の活動がつながっている感覚でしょうか。

この年齢とこの立場になり、リミットを外したことによって、それは感じますね。世界も日本も不透明で、SNSでは真偽不明の情報もあれば、他方で公では言えない本当の話もあったり。そういうすごく分かりにくい時代の中で、今まで見てきたものを正確に提供していくというのは、私に求められた使命だと思います。

そして分断の時代でもあるので、それらを一つ一つ寄せていろんなものを融合させていくというのも、私の一つの役割かもしれないと感じ始めていますね。