2番目に注目されたのは20時28分で、注目度72.2%。政治的な苦境に立たされながらも、誰袖(福原遥)の身請けを進めていた田沼意知(宮沢氷魚)に、蔦重(横浜流星)が頭を下げるシーンだ。

「どうか誰袖花魁を身請けしてやってはいただけませんか」蔦重は意知に米の値を下げるための献策を行ったあとで、誰袖の話を切り出した。大文字屋市兵衛(伊藤淳史)から誰袖の身請け話が流れるかもしれないと聞いて以来、蔦重はずっとそのことを気にしていたのだ。

しかし、意知の返答は意外なものだった。「そちらはもう手を打ったぞ」こともなげに意知は答えた。今は自分への世間の風当たりが強いため、土山宗次郎の名ですでに身請けを済ませたというのだ。蔦重は上級武家の嫡男である意知は、家が不利になるのであれば女郎など何のためらいもなく打ち捨てるだろうと考えていた。

「蔦重。かつて源内殿(安田顕)を見捨てよと言ったのは私なのだ」父・田沼意次(渡辺謙)が友である平賀源内が捕らわれた時、最後まで助けようとしていたが、意知は家のため、周りのために源内を切り捨るよう意次に進言した過去を打ち明けた。意知はその判断が間違いだとは考えていないが、後味の悪さはいつまでも消えなかったと告白する。蝦夷を上知するのに力を尽くした誰袖を打ち捨てては人として話にもならないと続ける意知の人柄に、蔦重は尊敬の念を覚えた。

「俺に…いや、私に何かできることがあればお申し付けください。蝦夷のこと、前に気が変わればと」と頭を下げる蔦重。「よろしく頼む。蔦屋重三郎」意知はそう言って満足げにうなずいた。

「やっぱり源内さんのこと引きずっていたんだな」

このシーンは、誰袖を思いやる蔦重と意知に視聴者が心を打たれたと考えられる。また、意知の行動には平賀源内が影響していたという思いがけない事実に視聴者の関心が集まったとも考えられる。

日本橋の旦那衆とともに米の値を下げるアイデアをまとめ意知に提案した蔦重にはもうひとつ気がかりなことがあった。かわいい妹のような存在である誰袖の身請けの件だ。女郎は身請けされない限り幸せにはなれない。誰よりもそのことを知っている蔦重は、無礼を承知で若年寄である意知にぶっ込む。そしてすでに対応済の意知。

SNSでは「すごくいい話なだけに、この後を考えると悲しくなってくる」「やっぱり意知さま、源内さんのこと引きずっていたんだな。政言を気づかっていたのも根が優しすぎるからだな」「蔦重、一貫して女郎の幸せを願っているところは変わらないんだね」と、2人のナイスガイに称賛が集まっている。ここに平賀源内を絡ませてくるところも脚本として秀逸だ。

蔦重が意知に提案した策は、てい(橋本愛)の助言がきっかけとなったが、一般庶民が幕府や藩に対して意見や提案を行うことはしばしばあった。1721(享保6)年に八代将軍・徳川吉宗が評定所門前に設置した目安箱制度が有名。日本橋の旦那としては新参者の蔦重だが、以前から顔なじみの鶴屋喜右衛門(風間俊介)や松村屋弥兵衛(高木渉)以外にも村田屋治郎兵衛(松田洋治)や釘屋四郎兵衛(木津誠之)たちと活発な意見を交わせるまでに早くも溶け込んでいた。

村田屋は鶴屋や西村屋に並ぶ地本問屋で、1802(享和2)年に現代でも知名度の高い、十返舎一九の滑稽本『東海道中膝栗毛』を刊行し大ヒットさせている。釘屋は日本橋通油町に店を構えた金属問屋で、主に釘鉄胴物・錫鉛問屋を営み、建築資材や日用品に使われる金属製品を扱っていた。大坂で出版された江戸市内の買い物や飲食関連の商店を紹介する『江戸買物独案内』にも掲載され、信頼ある商家として認知されている。

また、作中では意知の代理で宗次郎が誰袖を身請けしたが、史実では宗次郎は約1200両、現在の価値にすると約1億2000万円という莫大な金額を支払って身請けしたと伝わる。鳥山検校(市原隼人)がかつて瀬川(小芝風花)を身請けしたのが1400両だったから、それに匹敵する金額だった。鳥山検校は高利貸しで富を築いたが、宗次郎は勘定組頭の立場を悪用していたためそのような大金が用意できたようだ。やはりまっとうに生きている人間には身請けは難しいのだろうか。