• 萩崎は、高校時代の同級生で新聞記者の村木とともに事件の真相究明に乗り出していく

――小泉さんご自身は「眼の壁」という本作のタイトルを、どう解釈されたのでしょうか?

すごく難しいんですよね。松本清張の原作小説にも最後に「眼はただ具象なものを見ているものにすぎない」というような言葉が出てくるように、結局に人間は眼に見えているものだけで判断してしまう生き物だと思うんです。食べ物を前に「わぁ~美味しそう!」と思ったり、人に対しても第一印象で判断してしまったりすることの方が圧倒的に多いわけですよ。遥か昔から、人間は眼に見えるもので争って、眼に見える形で収まって。逆に言ったら、人間の思いやりや心遣いのようなものも、眼には見えないし。超能力者や霊能者でもない限り、人間の複雑で奥深い部分まで理解して見抜けるような人は、果たしているんだろうかって。

――なるほど。「眼の壁」というのは「認知のバイアス」という意味に捉えていると。

そうそう。それこそ、芸能界に入る前からお互いのことをすべてオープンにしてきた間柄である僕と(上地)雄輔の間にも、「眼の壁」みたいなものはあるのかもしれないし、たとえ何十年連れ添った夫婦であっても、親子であっても、誰との間にあっても「眼の壁」というものは必ず存在しているものなんじゃないかなぁと思うんです。

つまり、真実には常に「眼の壁」がつきまとっていて、逆に「眼の壁」の向こう側まで行かない限り、その人の本質も、事件の真実も、何もかも分からない。場合によっては、「知らない方が身のため」というようなこともあるしれないし。そんなクエスチョンも松本清張作品の中にはあるような気がします。「あなたには『眼の壁』を越える覚悟がありますか?」って、読者や観客が問われているかのような。

――実に深い考察をしていただきありがとうございます。ところで、本作の次の「連続ドラマW 雨に消えた向日葵」の主演を、小泉さんの親友でもあるムロツヨシさんが務めていらっしゃいますが、バトンを繋ぐにあたって思うことは?

芸能界で生きる人たちの"浮き沈み"みたいなものをこれまで散々見てきた自分としては、ムロさんとか雄輔とか、心から親友と呼べる人たちと、こうしてまさに同じタイミングで仕事の現場で一緒になったり、お互い『いい仕事をしてるな』『頑張ってるな』って思い合えることの方が、プライベートで会ったり飲んだりするより嬉しいところもあるかもしれないな。むしろこれは、年齢を重ねないと気付かなかった感情なんだと思う。もはやそういう境地まで来ましたよね。雄輔やムロさんのファンの方から僕のラジオ番組宛にメールが届いたり、ファンに囲まれている雄輔やムロさんの姿を見たりするとき、僕は何より喜びを感じます。

――小泉さんご自身が"浮き沈みの激しい芸能界"を生き抜く中で、心掛けてきたことは?

僕はどんな仕事に対しても、常に「最初で最後だ」と思って臨むようにしているんです。萩崎にとっての関野部長のような「絶対に裏切れない存在」を挙げるとするならば、まずは、僕を起用してくれたプロデューサーや監督になると思います。なぜ自分がこの作品や番組に起用されたのか、その期待に全力で応えるためにはどうすればいいのか徹底的に考えます。良い結果が出せれば、お互いの間に信頼関係が築けて、それがまた次につながって……。すべてはその繰り返しだと思っているから。そういった意味では「今年頑張らないと来年の契約がないかもしれない」という、プロスポーツ選手の気持ちと近いのかもしれないですね。

――小泉さんが芸能界を目指すきっかけになったのは、「X JAPAN」のYOSHIKIさんから掛けてもらった「頑張ってこっちの世界(芸能界)においで」という言葉だったと明かされていましたが、その裏には「総理大臣を務める父とは違う道で、自分はファンタジーの世界を生きたい」という思いがあったそうですね。でもいまはこうして社会派ドラマの主演だったり、情報番組のパーソナリティだったり、オリンピック関連番組のキャスターだったりと、ファンタジーの世界より社会と関わる仕事も増えているというのが、とても興味深いです。

うん(笑)。たしかにそうですよね。もちろん、どんな仕事であっても社会と関わりを持たないわけにはいかないんだけど、おっしゃっている意味は、すごくよく分かります(笑)。

――小泉さんがこういった立ち位置を現在担っていらっしゃるというのは、どこか運命に導かれているような感じもするというか……

もともと僕は「小泉孝太郎」という一個の存在を確立したいと思ってこの世界に入ったんです。20代の小泉孝太郎、30代の小泉孝太郎、40代の小泉孝太郎……と来て、今年44歳になりますけど、地道に一歩一歩進んでいくと「現在の自分」というものがスッと受け入れられるようになったりするものなんでしょうね。始めた頃は「役者として挑戦したい」という思いが強くあったけれど、いまは芸能人である自分に誇りが持てるようになったから、別に役者だろうが、タレントだろうが、もはやどう見られてもいい。いまの僕は、「小泉孝太郎は芸能人です」って言えることに、一番幸せを感じるようになったのかもしれないですね。