富士通は1981年5月20日、同社初のパーソナルコンピュータ「FM-8」を発売。2021年5月20日で40年の節目を迎えた。FM-8以来、富士通のパソコンは常に最先端の技術を採用し続け、日本のユーザーに寄り添った製品を投入してきた。この連載では、日本のパソコン産業を支え、パソコン市場をリードしてきた富士通パソコンの40年間を振り返る。掲載済みの記事にも新たなエピソードなどを追加し、ユニークな製品にフォーカスしたスピンオフ記事も掲載していく予定だ。その点も含めてご期待いただきたい。

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第8回で触れたように、「IT産業の本流」への生き残りをかけて富士通が1993年10月に発売したFMVシリーズは、2021年のいまでも富士通パソコンのブランドとして多くの人に親しまれている。FMVシリーズの第1号マシンは、「すでに50社から1万台の受注がある。そのうち富士通製品の既存ユーザーは18%に過ぎない」(富士通 パーソナルビジネス本部の初代本部長である桑原晟氏のち富士通サポート&サービス社長)というスタートダッシュに成功。新たなユーザー層を獲得したことも強調してみせた。また、3,000台限定で用意したVIPER VLBグラフィックアクセラレータ搭載の発売記念モデルも、1カ月半で売り切るという好調ぶりだった。

  • 1994年10月31日発表のデスクトップパソコン「FMV-DESKPOWER」

    1994年10月31日発表のデスクトップパソコン「FMV-DESKPOWER」は、戦略的な価格やそれまでにないプロモーション展開が奏功して大ヒット

だが、1994年1月時点で販売台数は1万4,000台。同年3月までの目標としていた5万台には、まだまだ距離がある。加えて販売の9割は企業用途であり、個人ユーザーという新たなターゲット層には的確にミートしていないという課題も生まれていた。

そこで富士通は第2段ロケットに点火。1994年10月31日に発表した「FMV-DESKPOWER」だ。振り返ってみれば、富士通にとってはこの第2段ロケットのほうが、むしろ本命だったといえるだろう。

CPUにはIntelのi486SX2(50MHz)を搭載。420MBのハードディスク、倍速CD-ROMドライブ、フルカラー表示に対応したグラフィックアクセラレータ、16ビット対応サウンドカードといったコンポーネントも採用した。さらに、15型カラーCRTディスプレイ、スピーカー、マウスをセットにし、一太郎 Ver.5をはじめとした18種類のアプリケーションもプリインストール。それでいて、23万8,000円(税別)という戦略的な価格に設定したのだ。

発売直後に迎えた年末商戦期には、17万8,000円ほどの実売価格で販売する店舗が続出。さらにプリンタと組み合わせて20万円以下というセット販売によって(当時は年賀状ニーズが大変高かったこともある)、一気に存在感を高めていく。富士通の山本卓眞会長(当時)は、かつての取材でこんなことを明かしてくれた。

「いまだから話せるが」として山本氏が切り出したのは、「そのころ、アップルコンピュータ(現・Apple)を買収する計画がかなり進んでいた」――。当時、アップルの会長を務めていたジョン・スカリー氏は、アップルの売却を検討しており、実際にいくつかの企業と交渉が行われていたとされる。

  • FMV-DESKPOWERの背面。PS/2、RS-232C、プリンタポートなどは、現在ではUSBに取って代わった

FM TOWNSによってマルチメディアパソコンで先行していた富士通は、当時のアップルのビジネスとは親和性が高かった。1992年にスカリー氏によって箱根で開催されたマルチメディア国際会議(通称・箱根フォーラム)では、マルチメディアに貢献した企業として富士通が表彰されるという経緯もあった。

「この買収によって、パソコン事業を一気に巻き返すつもりで、そのための資金も実際に用意した。しかし富士通の社内を見回してみると、買収したあとに切り盛りできる適切な人材がいなかった。そこでこの買収は断念したが、手元には資金が残っている。ではこの資金を使って、パソコンでトップシェアを取れと号令をかけた。そうしたら本当に、現場では戦略的な価格設定を始めた。私の想像以上の価格設定だったのでびっくりしたが、この施策が富士通のパソコン事業の成長につながっているのは確かだ」(山本氏)

FMV-DESKPOWERは、価格のインパクト、本体にディスプレイとソフトウェアをセットにしたオールインワンによる使いやすさが評価されるとともに、量販店を巻き込んだ積極的な販促活動などによって、DOS/V陣営の台風の目となった。

プリインストールソフトが充実した「走り」

FMV-DESKPOWERでは、ジャストシステムのワープロソフト「一太郎Ver.5 for Windows」を搭載した「一太郎モデル」と、富士通のワープロソフト「OASYS/Win V2.3」を搭載した「OASYS/Winモデル」を用意。その後に発売されたノートパソコンのFMV-BIBLOでは、それぞれのモデルに表計算ソフト「ロータス1-2-3 R5J」もプリインストールした。

FMVシリーズのオールインワン戦略をきっかけに、日本で販売される個人向けパソコンには、あらかじめ主要なソフトを同梱することが一般化していく。いまでも、各社の個人向けパソコンにはMicrosoft Officeをプリインストールしたモデルが多いが、これはMicrosoftの世界的なOffice販売戦略のなかでは異例のことだ。Microsoftおよび日本マイクロソフトでは、Officeをあらかじめインストールしたパソコンを、PIPC(プリインストールPC)と呼び、日本固有の販売方法に位置づけている。その走りがFMVシリーズだったともいえるわけだ。

1994年の年末から始まった富士通の大攻勢は、その勢いを持ったまま、日本でWindows 95が発売される1995年11月につながっていく。富士通パソコンの出荷実績は、1994年度には45万台だったものが、1995年度には145万台と一気に3倍以上へと増加。MM総研の調べでは、国内シェアは1994年度の10.1%から、1995年には19.4%にまで高まった。同じ時期にNECのシェアは50%を切り、それ以降、富士通のシェアは20%前後で推移していく。2001年度以降のNECと富士通は、1%前後でシェアを競い合うようになっていったのだ。

  • Windows 95の日本発売は1995年11月23日。秋葉原の各ショップでは深夜販売が行われ、多くの人が詰めかけてお祭りムード一色だった

  • ※富士通クライアントコンピューティングは2016年度から。富士通ブランドを含む
    ※NECレノボは2011年度から。NECおよびレノボをブランドを含む

富士通が国内パソコン市場で一気にシェアを高めたのは、まさにこのとき

1994年10月の「FMV-DESKPOWER」記者会見では、製品の概要が記された9枚つづりのニュースリリースとは別に、1枚にまとめられた「富士通の店頭ビジネスへの取り組みについて」というニュースリリースも配布された。わずか1枚のニュースリリースついて、富士通の社長および会長を務めた山本正已氏(現・富士通取締役シニアアドバイザー)は、「富士通のパソコン事業にとって、大きな転換点のひとつだった」と位置づける。

このニュースリリースでは、今後のパソコン市場は初心者やビジネスマン層を中心とした個人ユーザーの拡大が見込まれ、使いやすさや簡単さの追求、プラットフォームの共通化による安心感の提供など、コモディティ化に向けたパソコンづくりが重要になることを指摘。以下をうたった。

  • 富士通でパソコン事業を担当していたパーソナルビジネス本部を、それに向けた店頭販売ビジネスの専任組織に役割を変更
  • 同組織が最初に投入したパソコンがFMV-DESKPOWER
  • 今後は春・夏・秋冬という商戦期ごとにラインナップ強化を図る
  • 価格競争力を強化するため、積極的に海外で流通するPC/AT互換仕様のパーツを採用
  • これまで以上に積極的な広告宣伝を展開
  • 1996年度には、店頭ビジネスだけで年間42万台を出荷し、シェア35%を目標とする

DOS/Vの登場やWindowsの広がりによって、共通プラットフォームを活用する流れが生まれ始め、独自アーキテクチャーで市場を席巻してきたNECのPC-9800シリーズの独占市場にも変化の兆しが見え始めていた。まさに「98の牙城」を崩すチャンスが訪れていたわけだ。

だがそれは翻って、富士通の独自アーキテクチャーであるFMRシリーズFM TOWNSの限界も示唆していた。そこにも富士通の覚悟があったといえるだろう。

最大の決意は、コモディティ化が進めば、より多くの人たちがパソコンを利用する土壌が広がり、富士通が得意としてきた企業向けパソコンのビジネスだけでは片肺飛行になるという危機感への対応だ。個人利用を中心に、これまで以上の規模が見込まれる新たな市場が開けると想定するなかで、中心となる店頭ビジネスへの本格参入を打ち出したのだ。

「もし、このまま自分たちの得意な企業向け市場だけでビジネスをしていたら、どうなるのか。本流にいるつもりだったものが、いつしか人がまったく通らないところでビジネスをしていることにつながりかねないのではないか。ここで成果をあげなければ、富士通のパソコン事業の将来はないという危機感があった」と、富士通の神田泰典常務理事(当時)は語っていた。

  • 1994年(平成6年)10月31日に発信された富士通のニュースリリース

上記のリリースで示されたように、店頭ビジネスへの本格参入を宣言したことで、富士通のパソコン事業は、これまでのフェーズとはまったく異なる次元へ進んだ。ギアがひとつ上がったという表現が的確ではないだろうか。

事業と考え方を根本から変え、社内体制を整備

富士通の新生パーソナルビジネス本部は500人規模の体制によって、店頭販売の市場に特化した組織に生まれ変わった。この規模でコンシューマパソコン事業を行うのは富士通にとっては初めてのことだ。

全国の30拠点にパソコン営業部も設置した。これまでも各拠点にパソコン営業部門は存在したが、第4営業部や第5営業部といった名称が多く、なにをやっているかわからない部門名だった。たとえパソコン担当の組織だとわかっても、第1営業部や第2営業部が担当するメインフレームやオフコンよりも、順番は後回しという印象がつきまとう。新たな体制では、こうしたところにも意思を込めた。

1995年7月には、富士通グループ(6社)のパーソナル機器販売部門を統合し、富士通パーソナルズを発足。店頭ビジネスの窓口を一本化し、さらに体制を強化した。これらの取り組みによって、店頭ビジネス比率は富士通のパソコン事業全体で45%にまで増加。パーソナルビジネス本部長を務めた神田泰典氏は、以下のように語っていた。

「主力パソコンで店頭販売に本腰を入れることは、事業への取り組み方を根本から変えなくてはならないということでもあった。たとえば従来、富士通のパソコンは信頼性が高いため、価格が少し高くてもいいという意識が社内の一部にあった。だが、店頭ビジネスでは値段で購入を決めるユーザーに対しても、しっかりと応える商品を提供できなくてはいけない。

そのためには、これまでの考えは完全に払しょくし、すべての仕組みを見直し、最適な価格設定ができる体制を構築する必要がある。富士通パソコンの認知度を高め、パソコンを知らない人にも、富士通のブランドを広く知ってもらうための広告宣伝にも力を注がなくてはならない」(神田氏)

FMV-DESKPOWERの主要ターゲットは、20代~40代のビジネスマンおよび学生。仕事ではパソコンを使っているが、自宅にはパソコンがないといったユーザー層を狙った。そして、50代以上の初めてパソコンを購入する人たちもターゲットに定めた。いずれも、これまでの富士通パソコンでは、主要ターゲットとして想定していなかった層だ。

2つの大きな変化:デファクトスタンダード部材の採用と共通化

新たなターゲット層に向けて、富士通が取り組んだ大きな変化は2つ。ひとつは、先に触れたように価格競争力を強化するため、海外で流通するPC/AT互換仕様のパーツを積極的に採用することだ。

実は、それまでの富士通のモノづくりは自前主義であった。パソコンを構成するハードディスク、フロッピーディスク、メモリ(DRAM)、 マザーボード、ディスプレイ、筐体(プラスチック部品)、電源、キーボード、マウスなどは、すべて富士通グループ内から調達していた。

だが、パソコンのコストダウンはボリュームがものをいう。価格競争力を発揮するには、PC/AT互換機用に海外で大量に流通する部品を仕入れるがことが最適だと判断した。FMV-DESKPOWERでは、台湾Acerと連携してグローバルに流通する部品を採用。外部からの調達率を約70%にまで高めた。それが戦略的な価格の実現と、店頭ビジネスに最適なパソコンを供給する体制の構築につながる。内製から外部調達への変化は、富士通としてはまさに大英断といえる出来事だった。

このとき富士通では、Team FMVというプロジェクトをスタート。FMVを中心に、富士通グループ全体で、グローバルで流通する標準的な部品を活用するという動きだ。富士通が出資している英ICLのパソコン事業でも、FMVシリーズと共通の部品を使用。FMRシリーズやFM TOWNSでも、FMVシリーズと共通化できるところは共通化した。さらに、ワープロ専用機のOASYSや、POSシステムの部品までも共通化。年間200万台規模の製品で部品の共通化を図ってコストダウン、価格競争力を高めていったのだ。

富士通時代に調達部門の経験を持つ富士通クライアントコンピューティングの竹田弘康副社長/COOは、このときを振り返る。

「富士通のパソコンは独自仕様だったこともあり、すべての部品は固有の仕様を持っていた。また、年間100万台を超えるような製品は富士通にはなかった。FMVシリーズをきっかけに、あらゆる部品の調達の考え方や、調達環境が劇的に変わった。調達規模は1ケタ増え、ボリュームをベースに物事を考えるようになり、世界で共通に使われているOSやCPU、メモリ、ハードディスクなどを採用するようになった」(竹田氏)

  • 富士通のパソコン出荷台数の推移

部品調達の仕組みが変わったことは、富士通のパソコン出荷台数の推移でもわかる。1994年度には45万台だった年間出荷台数は、1995年度には100万台も増加して145万台に、1996年度には倍増して280万台へ。その後も出荷台数は右肩上がりで増え、2000年度には年間658万台にまで拡大した。わずか6年間で、パソコンの出荷台数は15倍以上にもなったのだ。

こうしたビジネスモデルの転換は、それまで赤字続きだった富士通のパソコン事業を黒字転換することにもつながった。調達力を高め、価格競争力高め、販売が増加し、それによってさらに調達力を高めるというサイクルが生まれたのがこのときだ。この仕組みが、富士通のパソコン事業の成長をしっかりと支えた屋台骨だった。

2つの大きな変化:高倉健さんとタッチおじさん

もうひとつの大きな変化は、これまで以上に宣伝広告の積極的な投資を行い、FMV-DESKPOWERの認知度を高めたこと。従来、コンシューマ向けパソコンの宣伝広告は興味がある人に向けたものだったのに対して、FMV-DESKPOWERではパソコンを知らない人に対する訴求が必要だった。

富士通の宣伝部では、「パソコンになじみがない人を、どうやってFMV-DESKPOWERに引き込むか」を考えたという。そこで富士通が採ったのは、FMV-DESKPOWERのテレビCMに俳優の高倉健さんを起用したことだ。その狙いは、初めてパソコンを購入する人たちに対して、インパクトを持って訴求できる国民的タレントということ。何度も検討を繰り返した結果、たどり着いたのが高倉健さんだったという。

  • 写真はノートパソコン「FMV-BIBLO」のものだが、高倉健さんが表紙を飾るカタログ

高倉健さんは、FMV-DESKPOWERのテレビCMのなかで、パソコンを触りながら「簡単じゃねえか」とつぶやく。「高倉健さんが使ってみて簡単というのであれば……と思ってもらえたら」というのが宣伝部の意図だった。

また、「タッチおじさん」というイラストキャラクターも採用。当初はタッチ君という名称だったが、コミカルな動きと、お笑い芸人の坂田利夫さんが声を務めたユニークなしゃべりに、いつしか名称はタッチおじさんに変わっていった。

  • 富士通パソコンのイメージキャラクターとして、ブランド認知やプロモーション展開に大きく貢献したタッチおじさん

高倉健さんという大物タレントと、タッチおじさんという庶民的キャラクターの2つを組み合わせながら、パソコンに一番遠いおじさんでも簡単に使えるというメッセージを訴求したのだ。

FMV-DESKPOWERは、開発コンセプトに「わかりやすさ」と「使いやすさ」を掲げた。それまで「高性能」ばかりを追求してきた富士通が、パソコン事業で初めてエモーショナルな要素を最優先に訴求した製品だったのだ。高倉健さんとタッチおじさんは、そのコンセプトをしっかりとらえたメッセージを発信し、パソコン業界の歴史に残るイメージキャラクターとなっている。