2大会連続でのワールドカップ出場の実績を過去のものとして、川島永嗣は全力で日本代表のゴールマウス前に立つ権利を奪おうとしている

ヴァイッド・ハリルホジッチ監督のもと、ワールドカップ・ロシア大会出場を目指してアジア2次予選に臨む日本代表。長く守護神を務めてきた川島永嗣(スタンダール・リエージュ)は背水の陣を敷き、生き残りをかけて日本代表のゴールマウスに立ち続ける。

快勝劇のなかで決して看過できないミス

迷うことなく前へ飛び出した。後半15分にイラク代表が獲得したFK。ゴールに向かってくるボールにダッシュしてきた川島が、パンチングではじき返そうとジャンプした直後だった。 ゴール前に詰めていたMFソラカと激しく交錯。そのまま前方へ吹っ飛んだ川島のパンチングは中途半端なものとなり、フリーだったMFアブドゥルアミールの目の前にボールが落ちていく。

日本のゴールは無人。アブドゥルアミールが逆サイドに詰めてきたFWラディへヘディングでパスを送る。絶体絶命のピンチは、DF槙野智章(浦和レッズ)が必死のクリアでCKに逃れた。

ソラカについていたDF酒井宏樹(ハノーファー)と川島が意思の疎通を欠いた点に、試合後のハリルホジッチ監督も苦言を呈さずにはいられなかった。

「我々のディフェンダーとゴールキーパーのコミュニケーションが足りなかった」。

ゴール前を離れたからには、ゴールキーパーはボールをキャッチするか、パンチングで少なくともペナルティーエリアの外にはじき返さなければならない。

4対0の快勝劇のなかで決して看過できないシーンに、川島も反省を忘れなかった。

「前へ出るタイミングは悪くなかったと思うけど、そのあたりは次へ向けて修正していきたい」。

指揮官からかけられた重圧

今回の日本代表戦シリーズへ向けて、川島は背水の陣を敷いて臨んでいた。初対面だった3月の日本代表合宿で、ハリルホジッチ監督からこんな言葉をかけられていたからだ。

「試合に出ていないと、代表には呼ばないぞ」。

3シーズン目を迎えたスタンダール・リエージュで、昨年10月を境にリザーブに甘んじていた。チームの不振。度重なる監督の交代。川島が実質的に“干された”理由は、これだけではないだろう。

川島は昨年3月の段階で、リエージュから契約延長を打診されていた。今年に入ってからはチームの会長との話し合いももたれたが、川島は今シーズン限りで退団する意思を変えなかった。

「それならば川島よりも若くて可能性のある、ヨーロッパ人のゴールキーパーで」――。首脳陣がそう考えても不思議ではない。実際、川島に代わってゴールマウスを守ったのは、U‐21フランス代表経験をもつ25歳のヨアン・テュラムだった。

「試合に出ることにこだわってきたので、正直、なかなか受け入れられる状況ではなかった」。

ピッチに立てなかった日々を、川島はこう振り返る。日本代表のキャリアにも影響を及ぼしかねない事態に至った経緯を、しかし、川島はいまでも後悔していない。

18歳で描いたサッカー人生の設計図

ヨーロッパのトップリーグで成功を手中にする自身の姿から逆算して、川島は大宮アルディージャに加入した18歳のころからサッカー人生の設計図を描いてきた。

いまでは英語、イタリア語、ポルトガル語、スペイン語、オランダ語、フランス語で会話に不自由しない。2004年シーズンからは試合に出られないことを覚悟の上で名古屋グランパスに移籍し、当時の日本代表の守護神・楢崎正剛の間近で成長に必要なすべてを学び取った。

「自分が計画した通りにいかないのが人生であり、サッカーでもある。自分のなかでは、ベルギーにここまで長くいるとは思わなかったので」。

すべてのリーグ戦に先発フル出場した川崎フロンターレでの3年半を経て、ベルギーの古豪リールセへ移籍したのが2010年の夏。川島の言葉からは、外国人ながらキャプテンを任されたリールセでの2シーズン目をもって、ベルギーからさらにステップアップする青写真を描いていたことがうかがえる。

「いま現在の環境やマイナスの部分を、プラスに変えていかなければ意味がない」。

努めてポジティブに語る川島は、しかし、ここまでの約8カ月間をむしろ雌伏のとき、よく高くジャンプするために力を蓄えるチャンスととらえていた。

日本代表への生き残りをかけたイラク戦

リエージュではBチームの試合に何度か出場しただけで、シーズンを終えた。それでも川島を招集したハリルホジッチ監督は、チーム最年長の32歳にあえてこう言及している。

「川島は少し難しい状態にある。状態を確認するために来てもらった。信頼しているので、彼にはもっとやってもらいたい」。

6月1日から千葉県内で行われた、海外組だけを対象とした代表合宿では、スプリント練習で息を弾ませる川島にこんな言葉もかけている。

「そんなに追い込まなくていいぞ。できるところまでやれ」。

迎えたイラク戦前のミーティング。先発として名前を読み上げられた川島は指揮官から寄せられる信頼をあらためて感じるとともに、自身が置かれた立場も実感していた。

「信頼されていることはうれしいですけど、それだけ自分がプレーで示さなければ、(代表は)保証されるものではないこともわかっている。ポジションは誰かからプレゼントされるものではなく、自分自身が常に勝ち取っていくもの。その意味では、1試合1試合が自分にとってのチャレンジになっていく」。

2大会連続でワールドカップの舞台に立った実績は、もう過去のこと。川島は原点に帰って、通算70試合目となるイラク戦に臨んでいた。

試練に直面しても揺るがない信念と哲学

攻守に精彩を欠いたイラクは、前後半を通じてわずか3本しかシュートを放てなかった。もっとも、川島は自分自身とも戦っていた。

冒頭のシーンの直前には、ルーズボールに反応して抜け出したラディに対して、ペナルティーエリアの外へ積極果敢に飛び出して対応した。しかし、ここでもラディを追走してきた槙野と交錯しかけて、あわや失点のピンチを招いている。

結果だけでなく内容も問われる親善試合ということを考えれば、無失点に抑えても到底満足できない。試合後の川島は背筋をピンと伸ばしながら、自らに言い聞かせるように実戦から遠ざかったここまでの軌跡を振り返った。

「ここで自分が何を学ぶかで、代表に還元できる部分も変わってくる」。

移籍先探しは代理人に任せて、同16日に埼玉スタジアムで行われるシンガポール代表とのワールドカップ・アジア2次予選までは代表に集中する。もちろん、新天地はヨーロッパ、それもまだ見ぬ最高峰の舞台、チャンピオンズリーグを戦えるクラブを望んでいる。

「自分の挑戦はヨーロッパで勝ち残ることですから。行きますよ、まだまだ」。

不意に訪れた試練を真正面から受け止め、信念と哲学を貫いて乗り越えた先に待つ未来を見つめながら、川島は笑顔を弾ませた。

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筆者プロフィール: 藤江直人(ふじえ なおと)

日本代表やJリーグなどのサッカーをメインとして、各種スポーツを鋭意取材中のフリーランスのノンフィクションライター。1964年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒。スポーツ新聞記者時代は日本リーグ時代からカバーしたサッカーをはじめ、バルセロナ、アトランタの両夏季五輪、米ニューヨーク駐在員としてMLBを中心とするアメリカスポーツを幅広く取材。スポーツ雑誌編集などを経て2007年に独立し、現在に至る。Twitterのアカウントは「@GammoGooGoo」。