広島県などは14日、昨年に広島東洋カープを現役引退した前田智徳氏をゲストに招いたトークイベント「男前田塾」を、東京都・銀座の「広島ブランドショップTAU」にて開催した。前田氏の他に、かつてカープに在籍したスポーツトレーナー・鈴川卓也氏、カープに詳しい放送作家の桝本荘志氏も登壇。前田氏による笑いあり、涙ありの「男前」な講義をお伝えする。

昨年、広島東洋カープを退団した前田智徳氏

カープを"知った"のは入団後!?

1990年に広島東洋カープに入団し、2013年10月の引退までカープ一筋で24年の現役生活を送った前田氏。そんな前田"塾長"の貴重な話を聞こうと、1,000名以上の応募の中から抽選で選ばれたカープファン60名が会場につめかけた。

大きな歓声に迎えられて登場した前田氏の手にはプロ野球選手名鑑が握られ、「(解説のために)パ・リーグの勉強もしないとね」と、冒頭から笑いを誘うトークで会場を盛り上げた。高校時代は野球の名門・熊本工業高校で計3回の甲子園に出場するなど活躍したという前田氏だが、小学校には野球部がなかったとのこと。「小さいころは近所でコイを釣っていた。でも、カープ(carp)がコイだと知ったのは入団してから」と、意外なエピソードも語られた。

ファンから花束が贈られた

引退試合の映像をファンとともに鑑賞

現役時代の思い出話は尽きることなく、「一度だけ(チームキャラクターの)『カープ坊や』と同じグリーンの髪にしたら、あるファンのお母さんから、『娘が悲しむので』と言われてしまい、即座に戻した」など、普段は聞けないエピソードも披露。

司会進行を務めていた桝本氏から、「かつては、鈴木保奈美さんと千堂あきほさんのどっちを好きになろうか、真剣に考えていたんですよね?」と暴露されると、「それは(雑誌などの)アンケートで、どうしても誰かを書かなきゃいけなかったから……」とたじろぐ場面も。ファンからは大きな笑い声が聞こえた。

マニアックな知識を披露した桝本壮志氏

懐かしい話で盛り上がる3人

「天才」と言われるのは屈辱

その類まれな野球センスから、「天才」と呼ばれていた前田氏。だが、「天才と呼ばれるたび、自分の哀(あわ)れさを感じて屈辱だった」と、その複雑な胸中も語られた。「天才とは、誰にもまねのできないプレイをする人のこと。だから、自分も含めてカープには天才はいない。訓練と鍛錬を重ねて、練習量で勝つのがカープ」と、自らの"天才論"を展開。1995年の右アキレス腱断裂の際、「当時はトレーナーがおらず、自分で本屋に行ってアキレス腱のリハビリに関する本を探した」と苦労を話した。

苦労を分かち合ったスポーツトレーナーの鈴川卓也氏

「試合後、無言でひたすらほぐしていました」と語る鈴川氏

その後もケガに悩まされた前田氏を支えたのが、2005年から6年間、広島に在籍した鈴川氏だ。「あれだけやってくれたからこの程度のケガですんだ。(鈴川氏に)ねばりのある筋肉を作ってもらった」と感謝を述べると、鈴川氏は、「最初は、前田さんの言う"ねばる"筋肉というのがわからなかった。"つよく"ではない、"ねばる"筋肉。それは、前田さんなりの鋭い感覚で(筋肉を)捉えていたんだなと思う」と話していた。

前田氏をテーマに卒論を書いた女性から質問

ファンからの質問コーナーでは、前田氏をテーマにした卒業論文を書き、無事卒業したという女性から、涙ぐみながら「いつ引退を意識したのか」という質問が投げかけられた。前田氏は、「俺ならその卒論は落とす(落第にする)けどなぁ」と笑顔を見せつつ、「(2007年9月1日の)2,000本安打を達成したとき。球団オーナーにも、『ありがとうございました、もう十分です』と言った」と秘話を明かした。

参加者にバッティングを指導する一幕も

久々にバットを握る姿をみせた

「理想は消える」

「理想は消えるんです。理想の打ち方も、理想の走りも、もうできない。限界がある。それでも、鈴川をはじめ支えてくれる人に応えたかった」と、その後の現役生活を支えた思いを吐露。「現役は退いたけれど、野球界に恩返しをしたい」と今後の意気込みを語った。

"孤高の天才"と呼ばれ、あのイチロー選手(ニューヨーク・ヤンキース)をして、「あこがれの人」と言わしめた前田氏の熱い心が感じられる言葉に、ファンから惜しみない拍手が送られ、イベントは幕を閉じた。

ファン一人ひとりと固い握手を交わした