忘却曲線と「七日に一日の法則」が、活路を見出した

せっかくの努力が報われない。ファンにもその想いが届かない。自らの立場に窮した広瀬は、過去の自分がどうヒットしてきたのかを分析した。約2年半前までは、"古き良き音楽業界の慣習"とでもいうべき、勢いに身を任せているだけでも売れる、そういった感覚にあり、自分の感覚と変化を続ける音楽業界との乖離を感じたのだそう。

再び音楽業界の檜舞台に立つ。そのために広瀬は、2009年春、自身の友人を招集して知恵を募った。評論家、勝間和代には書籍の売れ行きについて、実業家の藤巻幸夫には洋服の売れ行きについてリサーチを重ね、今までのアプローチ手法から脱却した、新たな手段を取り入れてみてはどうだろう、との思い至った。そして、出来上がったのが「七日に一日の法則を実行する」というものだった。内容は、忘却曲線によって導かれた解に従い、忘れられる前にファンへメッセージを届ける、というもの。具体的には、7日に一度ブログでメッセージを発信していった。しかし、書き続けるにつれブログを更新することが面白くなってきてしまい、次第に毎日書くようになっていったという。ファンとの絆も順調に育み、アクセス数も増えてきた頃、広瀬はtwitterと出会った。

twitterとの出会いによって「自分がメディア」に

親友の勝間氏に「今はtwitter。これからはtwitterの時代が来るから絶対やりなさい」と諭されたものの、twitterの字面から「ヒウィッヒヒー」と命名してしまうほど、当初は理解できず拒んだ。しかし、「面白いよ」と囁き続けられ「それじゃあ」と始めた。それが今では35万人ものフォロワーを有する存在へ相成った。すると、相乗効果のようにブログの閲覧数も急激に上昇した。これは、普段の何気ないツイートからもフォロワーが"アーティスト・広瀬香美"に興味を持ち、その結果が現れたのではないかと広瀬自身は分析した。そして、一部メディアでも話題になったtwitterの歌、「ビバ☆ヒウィッヒヒー」を発表し、予想を超える反響が波紋のように広がっていくなか、広瀬は感じた。やろうとしていたこと、チャレンジしようとしていたことに結果として結び付いているのではないか、と。

バイラルの先駆け、バズマーケティングの妙とでも表現すれば良いのだろうか。意図せずともマスメディア、しかも音楽情報以外のジャンルのメディアから注目されニュースとして露出され、漠然とではあるが広瀬は手応えを感じたという。「私の音楽を好んでくださるユーザーは、Web上にたくさん存在するのではないか? そこで接点を設けることによって、たくさんのお客さまと繋がれるのではないだろうか? 」と。

そんな考えを「その路線で行こう! 」と確信させたのが"ひと言も喋らない"という世にも奇妙な「twitterコンサート」だった。旧態依然としたマスメディアに巨額を投下して露出するというアプローチではなく、逆に自分がメディアとなり、核となって直接音楽を届ける。広瀬は、コミュニケーションを深めながら「皆さんの微笑み、悲しみを直に感じ、自分が中心となって少しずつファンを増やしていく」というのが"進むべき道"だと感じたという。

講義が行われた片柳研究所棟地下大ホールには約500名以上の学生が集まった