前回はヨーロッパ特急を舞台に政府の陰謀を描く『カサンドラ・クロス』を紹介した。ならば次は、『皇帝のいない八月』に決まりだ。同作品は「和製カサンドラ・クロス」と称され、原作を書いた作家の小林久三氏も、『カサンドラ・クロス』を意識していたという。物語の結末は、『カサンドラ・クロス』と同じかそれ以上に不条理だ。当時の日本映画としては珍しい結末といえる。

1975年頃から始まったブルートレインブーム。映画『皇帝のいない八月』は盛り上がりが最高潮に達した1978年に公開された。寝台特急「さくら」が舞台とあって、多くの鉄道ファンが映画館に訪れたが、その内容はシリアスで壮絶。自衛隊のクーデターと政治家の陰謀を描いた硬派な物語だった。

自衛隊員がクーデターで寝台特急「さくら」を占拠

『皇帝のいない八月』は寝台特急「さくら」が舞台に(写真はイメージ)

皮革製品業界紙の記者、石森(山本圭)が、福岡の取材を終えて東京に帰る。最終の新幹線に間に合わず、キャンセル待ちで寝台特急「さくら」のきっぷを買った。その石森に怪しい男たちが近づき、きっぷを譲れと脅す。その態度が気に食わない石森は職業柄、男たちの靴を見て正体を察知。そのとき、かつての恋人、杏子(吉永小百合)の姿を見つけ、彼女を追うように立ち去る。

杏子は、ホームで「さくら」の車中にいるはずの夫、藤崎(渡瀬恒彦)を探していた。元自衛官の藤崎が、「危険な旅に出る」と察したからだ。このとき、すでに全国で自衛隊員によるクーデターが実行されており、藤崎たちも東京に向かう作戦行動中であった。石森と杏子は、藤崎たちに「さくら」1号車に囚われてしまう。石森が乗った1号車は、藤崎が率いる自衛隊員ばかり乗っていた。

一方、東京では、すでに内閣情報室長の利倉(高橋悦史)が事態を察知していた。利倉は総理に報告。緊急閣議が開催される。彼らの命を受け、利倉と自衛隊幹部の江見為一郎(三國連太郎)は首謀者の割り出しと、日本各地のクーデター鎮圧に向けて指示を出す。しかし、このクーデターの背景には、自衛隊を合憲化し国軍として認めさせようとする与党の黒幕一派と、総理が率いる派閥との対立があった。

各地のクーデターが鎮圧に向かうなか、追い詰められた藤崎は、「さくら」に爆弾を仕掛け、乗客を人質に取って目的を達成しようとする。その強い意志を見せつけられた石森は狂気を察し、杏子は愛憎に揺れ動く。360名の乗客を乗せた爆弾列車は、深夜の山陽本線を東京へ走り続ける……。

列車での場面はおもに石森の視点で描かれる。石森役の山本圭は、『新幹線大爆破』でテロリストを演じたが、今回は正義の側。じつは彼、この作品の監督を務めた山本薩夫氏のおいとのこと。清純派のイメージが強い吉永小百合は、この作品で影のある大人の女性を演じた。「サユリスト」にとってショッキングな場面もある。

藤崎の盟友、東上役に山崎努。東上と藤崎が向かい合うシーンは胸が熱くなる。若手俳優として、藤崎の部下役に風間杜夫や永島敏行もいる。事件に迫る新聞記者には、現千葉県知事の森田健作。さらに、『喜劇 急行列車』で「さくら」の車掌を演じた渥美清が、この作品では乗客として出演し、笑いを誘う。当時は、「寅さんがクーデターに巻き込まれた」と話題になったらしい。

乗客のひとりで、恋人といちゃつくかわいい女性を演じたのは泉じゅん。日活ロマンポルノの大人気女優で、現在は"毒舌料理人"こと結城貢氏の奥様だそうだ。石森の妻役の香野百合子さんにも注目。『ウルトラセブン』で美少女宇宙人「マゼラン星人」を演じ、その後、『太陽にほえろ!』で「殿下」こと島刑事の婚約者を演じたことでも知られている。

セットで作った14系寝台車は本物そっくり

1975年の『新幹線大爆破』と同様、寝台特急「さくら」を爆破させるという内容のため、この作品でも国鉄の協力はなかった。それでも駅や走行シーンのロケは許可したようだ。本州区間で「さくら」を牽引する機関車はEF65形1000番台。このことから、撮影時期は公開直前の1978年頃とみられる。これ以前は前面に扉のないEF65形500番台が使われていた。おそらく、中盤からの列車ジャックで自衛隊員が運転席に乗り込むために、貫通扉付きの機関車のほうが都合が良かったのだろう。

客室やラストの戦闘シーンに使われた14系寝台車はセットで撮影された。B寝台や食堂車は精密に作られており、当時「さくら」に乗った経験のある筆者も、セットだと説明されなければ気づかなかった。3段式寝台を座席利用からベッドに変換する場面で、車掌が中段寝台を降ろす。こんな本筋とは関係ないカットを入れたところに、監督なりのリアリティへのこだわりがありそうだ。

もっとも、寝台車の外部は粗が目立つ。14系寝台の1号車は床下に発電装置があるはずだけど、セットでは床下に空間がある。台車はなんと3軸で、空気バネではなく板バネのように見える。屋根にクーラーもない。終盤の走行シーンは模型に差し替えられてしまう。

しかし、これらは当時の映像技術では許容範囲。むしろ、夕闇をうまく使って本物らしく見せている。おそらく統一されていないはずの機関車の番号も、暗闇ならわからない。鉄道の場面についていえば、『カサンドラ・クロス』より緻密だと思う。ただ……。

藤崎の態度を硬化させる厚狭駅のシーン、背景の電車は伊豆急行のようだ。ロケ地は伊豆高原駅だろうか? ロケに提供するなら、せめてあの電車は移動してあげればよかったと思うのだが。

映画『皇帝のいない八月』に登場する鉄道

寝台特急「さくら」 ブルートレインブームの花形列車。映画の舞台は上り列車。藤崎が乗った1号車から8号車までは長崎発東京行き。9号車から14号車までが佐世保発東京行き。ふたつの編成は途中の肥前山口駅で連結された
ED76形電気機関車 36号機が出演。九州の交流電化区間専用の大型機関車で、6軸のうち動軸は4つ。中間の2軸は車両重量を分散させるために設けられている。そのため、同軸4つの「ED」という形式になった。九州のブルートレイン牽引機として活躍したものの、現在は3両を残すのみ。36号機は廃車となっている
EF65形電気機関車 1101号機。本州の直流区間で「さくら」を牽引する。撮影当時はブルートレインを担当したばかりの頃だ。塗装は寝台車に合わせた青に白帯。その編成美も人気の理由だった。本機は現在も現役で、JR貨物の新鶴見機関区に所属。ただし塗装は変わり、番号も2101に変更されている
14系寝台車 当時、寝台特急「さくら」として運用されていた寝台車。分割併合運転に対応するため、旅客サービス用の発電機を車掌室付き客室の床下に搭載した。本作品では走行シーン、駅などでは実物を撮影。客室の室内撮影は鉄道車両メーカーから入手した実際の図面を元にセットを作ったという。戦闘シーンなどの外観は、ロケ地となった三菱石炭鉱業大夕張鉄道の旧型客車スハニ6形などに14系風の外装をかぶせている
博多駅 当時の駅舎外観、コンコース、出札窓口、「さくら」発車シーンの俯瞰で登場する。この駅ビルは現在では解体されている。指定券発行機はマルス105型で、「さくら」の寝台券は両端にパンチ穴があるドットインパクトプリンタータイプ。当時を知る人には懐かしいだろう
戸畑駅 上映開始から40分47秒。序盤に街並みを俯瞰する場面で登場する。この街並みは鹿児島本線の戸畑駅で、明治製菓の工場が目印。この建物は現在は取り壊され、跡地は「アプローズ戸畑駅前」というマンションになった
DD51形ディーゼル機関車 戸畑駅の場面で、「さくら」は画面右下から登場する。その左上にDD51が見える。DD51は本線運用向けの強力なディーゼル機関車で、各地の蒸気機関車を置き換えた。いまだ各地で活躍しているが、九州地区からは引退している
門司駅 列車の進入シーンが描かれる。列車の最後尾から隊員が降り、爆弾をセットする場面は後述のロケ地と思われる
厚狭駅 伊豆急行100系電車が映っているから、実際のロケ地は伊豆急行線のどこか。電車区のある伊豆高原駅か?
関ヶ原駅付近 ラストシーンの戦闘場面。実際のロケ地は三菱石炭鉱業大夕張鉄道線南大夕張駅ヤードで行われた。当時のパンフレットやDVDパッケージによると、爆破シーンは御殿場に線路を敷き、はりぼてと模型で再現したようだ