ミオの入学式での家族写真だった。新しいランドセルを背負った今よりも幼いミオが、「入学式」と描かれた看板の前で、微笑んでいる。


左隣には、今よりもほっそりとした印象の、電車で会う、あの彼女が微笑んでいた。ミオの肩に手を添えている。


ミオの右隣に立って、本日の主役であろうミオよりも緊張した様子のスーツを着たこの男は__僕だ。


「え?何この写真?何で俺が写ってんの?」


画面を覗き込んだまま、プチパニックになっていると、ミオは呆れた表情をして、「看板の日付、見てみてよ」と画面の端を指差した。


『平成41年 4月×日』


平成41年?今って、平成何年だっけ?


「え?え?えぇっ!?」


ミオとスマホの画面を交互に見て、素っ頓狂な声を上げる。本格的に頭が混乱して来た。

「ミオのパパが大悟くんなの」


「はぁぁあああ?」思わず大きな声が出た。戦艦三笠を熱心に撮影していたカメラ小僧が、何事かとこちらを振り返る。


「ミオっていくつだ?」


「9歳。小学3年生」


「9歳って、俺、今、21歳なんだけど?21-9=11、11歳の時の子供ってありえねぇだろ!?」


「だーかーらー、ミオは未来から来たんだってば!大悟くんの未来の子供なのっ!」


ミオはぴしゃりと言い切った。


「未来?」


ミオは頷いた。


「俺、将来は彼女と結婚するのか?」


2度目の頷き。


「何で未来の俺の娘が、2016年のここにいるんだ?」


「それはミオにも解んない。でも、ずっと神様にお願いしてたから。『大悟くんがママと出会う前の世界に行きたいです』って」


「神様にお願いしてたら、願いが叶ってここに来たっていうのか?」


3度目の頷き。


「どうやって?」


「ミオにも解んないんだってば。いつもの電車に乗ったと思ったら、急に目の前が真っ白な光でピカーってなって、眩しくて目をつぶったの。目を開いたら、いつもとは違う電車に乗ってるって、気付いたの。窓から見えるお家とか、駅が違うの。目の前のおじさんが読んでた新聞に2016年って書いてあったから、もしかして、タイムトリップ成功!って思ってた時に、大悟くんを見つけたんだよ」


何それ?小学生の作り話にしては、手が込みすぎている。


じっとミオを見つめる。


「ミオが言ってること、信じてくれる?」


正直、まだ混乱してる。けれど、どうしても気になることがある。


「信じるけど、何でミオは俺とミオのママが出会う前に行きたかったんだ?」


「それは……」


ミオは俯いて、ぐっと唇を噛みしめた。


「大悟くんとママが恋人にならないように、邪魔しようと思って……」


「邪魔?何で?」


もしかして未来の僕は、夫婦仲が上手く行ってないのか?それより、今までの一連の行動は確信犯なのか?あざとい、カワイイ顔してあざといぞ、ミオ!


「あれ?ちょっと、待ってよ。2人の恋路を邪魔するってことは、それってよく考えたら、ミオが生まれなくなっちゃうんじゃないのか?」


ミオを覗き込むと、彼女は手元のスマホを眺めていた。入学式の晴れやかな笑顔、その写真の中の僕たちは幸せそうに見えた。


その内、ミオの手が小刻みに震え、目元に涙が溜まって来た。ぐすんぐすんと鼻を啜りながら、ミオは静かに泣き始めた。


「ミオが2年生になったら、ママは死んじゃうの」


「え?」


「お婆ちゃんが言ってたの。ミオを生んだから、病気になったんだって。だからミオが生まれて来なければ、大悟くんとママが出会わなかったら、ママは死ななかったのかなって思って__」


「お婆ちゃんって?」


「ママのママ」


「そっか」と呟くと、ミオは嗚咽を漏らして本格的に泣き出した。僕はミオの背中を優しく撫でながら、彼女が泣き止むまで待った。




ぐぅぅと僕の腹の虫が鳴いて、ミオは目をぱちくりさせた。濡れた大きな瞳が、不思議そうに僕を覗き込む。


「ごめん。でも人間、悲しくても腹は減るんだ」と恥ずかしい気持ちを隠して呟くと、「大悟くんらしい。ミオもお腹すいた」とようやく笑顔になった。


「カレー好きか?カレーを食べに行こう!ここはカレーが有名な街なんだ」


「うん。好き!行く!」


「俺、今日はこれでもオシャレして来たんだ。折角だから、ミオがデートの相手になってくれよ」


「うん。いいよ」


ミオの小さな手を握りしめると、立ちあがった。



「おいしい、おいしい、おいしい!」


「とりあえず、何でも3回言うんだな」


目の前でカレーライスを頬張るミオを見る。何で今まで気付かなかったんだろう。大きくてぱっちりとしたその瞳も、前を向いた特徴的な耳も艶やかな黒髪も、全て彼女のミニチュア版だ。


誰かに似てるって?僕の好きな人そのものじゃないか。顔の中心にちょこんと乗った残念なその団子鼻は__僕似か。


「何か、ごめん」


思わず呟いた一言に、きょとんとした表情で、ミオは僕を見ていた。




夕焼けの差し込む駅のホームにミオと2人、立っていた。


僕はよしっと気合いを入れると、隣に立つミオの手を握りしめた。


「決めた。俺、やっぱり告白するよ」


「えっ!?」


ミオは驚いて声を上げた。


「ミオの気持ちはよく解ったよ。俺って、父親になっても情けないんだな。小さいミオに自分が生まれてこなければ、なんて思わせちゃうなんて、ダメ親父だ」


「そんなことない」とミオは頭を横に振った。


「今日1日、ミオと過ごしてみて、俺はミオが大好きになったよ。ミオが言うように、ママが死んじゃう未来は凄く寂しいけど、ミオに会えないのはもっと寂しい。それに、ミオが今の俺の所に現れたみたいに、また奇跡が起ってママが助かるかもしれないと、俺は密かに期待している」


「奇跡が起こらなかったら?」


「その時は、2人で生きて行こう。2人ならば悲しみも半分こって言うだろう。ママをずっと大好きなまま、忘れずにいよう。俺、もっと頼りがいのある男になるからさ」


何か愛の告白をしてるみたいだと、我ながら照れてしまう。ミオは俯いているので、どんな表情をしているかは解らなかったけれど、「うん」と小さく頷いていた。


「お婆ちゃんを嫌いにならないでくれよ。自分よりも子供が先に死んじゃうのって、きっと俺たちが思っている以上に辛くて悲しいんだ」


ミオは再びこくりと頷いた。


「……大悟くん」


「ん?」


「ママはね、大悟くんの優しい所が好きなんだって。ミオに教えてくれた秘密の話だよ。電車の中でね、お婆さんに席を譲ったり、泣いてる赤ちゃんに変な顔して笑わせたりしてたって。大悟くんがいつもママを見てるみたいに、ママも大悟くんのことちゃんと見てるんだよ」


「何だよ、急に。さっきまで邪魔しようとしてたくせに、今度は応援か?」


「ごめんね。でも、2016年の大悟くんに会えてよかった」


アナウンスが電車の到着を告げた。線路の向こう側からこちらに向かってやって来る車両は、いつも赤色ではなく、黄色だった。


しあわせの黄色い電車。そんなキャッチコピーが確か付いていた。


_パパ」


不意にミオが呟いた。


「今、もしかして俺のことパパって呼んだ?」


驚いてを振り返ると、ミオは白い光に包まれていた。未来に帰る時が来たようだ。無駄な抵抗を思っていても、名残惜しくてギュッと握った手に力を込めた。


「えへへ」と光の中でミオが笑った。


「ミオ、情けなくてもダメでも、パパが好きだよ。_未来で、待ってるね」


最後にミオがそう言った。まばゆい光が収まったと思ったら、ミオの姿はもうそこにはなかった。繋いでいた手の温もりだけ、微かに残っていた。


しあわせの黄色い電車が、ホームに滑り込んで来た。扉が開き、目の前に立っていたのは、僕の大好きな人だった。





「大悟くん、見て、見て」


そして今、僕の目の前には、彼女がいる。


臨月を迎えた彼女は大きなお腹を擦りながら、飛び切りの笑顔を僕に見せる。


4月のよく晴れた日。彼女は観音崎に海を見に行こうと僕に提案した。


彼女が働いていた美術館が、観音崎にあって、その辺りを散策するのが好きだったらしい。デートで、何度か訪れたことはあるが、この時期に来るのは初めてだった。


観音崎灯台から、観音崎京急ホテルを通って、僕らは海岸通りを歩いていた。


右手には海が見える。東京湾の奥には、猿島が浮かんでいる。僕らの歩く海岸沿いには桜の並木道が連なっていた。


「海沿いに桜並木があるなんて、ちょっと不思議。でも、凄く綺麗」


彼女は嬉しそうに桜の木を見上げた。


真っ青な空からピンク色の花びらが、ひらひらと舞い落ちる。


「大悟くん、私、決めたよ。赤ちゃんの名前。美しい桜って書いて、ミオって言うのはどうかな?」


「美桜、美桜、美桜。うん、いい名前だ」


「何で3回言ったの?」


彼女は不思議そうに訊いてくる。


「何となく」と答えると、「何それ」と目じりに皺を寄せて、微笑んだ。その笑顔がたまらなく好きだ。


「あ」と呟いて彼女がお腹を押さえたと思ったら、「今、蹴った。この子も、美桜って名前、気に入ってくれたのかな?」と嬉しそうに、僕の手を取って、自分のお腹に押し付けた。




美桜、聞こえてますか?


パパは早く美桜に会えるのを楽しみにしています。


パパはママと出逢えて、恋をして、結婚をして、こうやって新しい命を迎えて、今、とっても幸せです。


もし、奇跡が起きるなら、ママが病気にならないように、そのための努力は一生懸命するつもりです。


もし、運命に逆らえないのであれば、パパはこうしてママと過ごす一日一日を大切にしたいと思います。


大好きなママの笑顔を覚えておこうと思います。


そして一生、ママと美桜を愛し続けます。


__なんて、恰好つけすぎか?




「覚えてようね」


彼女が僕の手を優しく包みながら、呟いた。


「今日見た綺麗な桜を、忘れないで。それで、美桜に教えてあげるの。この桜を見て、美桜の名前を思い付いたんだよって」


「うん。美桜が生まれたら、今度は3人でここに桜を観に来よう」


「約束」


彼女が細い小指を立てて、僕の目の前に付きだした。そっと自分の小指を絡ませる。


「約束」


無邪気に微笑む彼女の顔が、あの日に出逢った9歳の美桜の笑顔と重なった。




(FIN)



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<京急グループ小説コンテスト入賞作>

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「京急グループ小説コンテスト」は、マイナビニュース、京浜急行電鉄、小説投稿コミュニティ『E★エブリスタ』が共同で、京急沿線やグループ施設を舞台とした小説を募集したもの。テーマは「未来へ広げる、この沿線の物語」。審査員は、女優のミムラ、映画監督の紀里谷和明などが務めた。

(マイナビニュース広告企画:提供 京浜急行電鉄株式会社、マイナビニュース、エブリスタ)

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