桂昌寺跡の裏山にある地獄極楽の入口

「悪いことをしたら地獄に落ちるぞ~」。昔、子供を叱る時などによく使われたセリフだが、地獄ってどんなところだろう? そんな素朴な疑問をゆる~く解決してくれるスポットが、大分県にある「桂昌寺(けいしょうじ)跡・地獄極楽」だ。江戸時代に造られたというこの異界に出かけてみた。

村人を教え導く手掘りの洞窟

大分県宇佐市安心院にある桂昌寺跡は、室町時代の開基と伝わる寺院の跡。江戸時代に入って廃れたが、末期の文政3年(1820)頃、午道法印という僧が再建した。その時、文字の読めない村人を教え導くために本堂の裏山に洞窟を掘り、地獄と極楽の様子を分かりやすく再現(!)したというのが、現在に残る「地獄極楽」だ。

現在は住職もおらず桂昌寺跡という史跡になっており、地域の人によって造られた本堂の周りを雑木林が囲むのどかな場所である。

では、地獄極楽の入口はどこにあるかといえば本堂裏の岩山の中。そこに奥行き約70mの洞窟が掘られ、現在、40m先まで見学できる。拝観料100円(※ただし、有志で募っている形だ)を賽銭(さいせん)箱に投じて中に入ると、早速閻魔大王がお出迎えしてくれる。ちょっと目つきは怖いものの、大きめの頭と素朴な風合いがいささかユーモラスで、愛らしくさえ思えてくる。

地獄に入り口で待っている閻魔大王の石像

ここから先、地獄道と極楽道へと道が分かれているが、「先に地獄道へ」と案内があるので従うことにする。地獄道は反時計回りに一周する周回路で、狭くて薄暗い上にコケも生えていて、さすがに不気味だ。道具も不自由だった江戸時代に、よくもここまで掘り進めたものだと感心しながら歩き進む。

先に地獄へお行きなさいと案内が!!

洞窟内には電球が灯(とも)っているが、狭い岩窟の中を歩いていると方向感覚も距離感も麻痺(まひ)してくる。随分長く歩いた気分になり、だんだん不安になってくる。しかも、通路のところどころに赤鬼青鬼を始め、地獄のオールスターたちが石像となって待ち構えているのだ。

しかしよくよく見ると、暗がりの中で出会う彼らは閻魔大王と同様、どこかユーモラス。怖いというより、むしろホっとしてしまう。

細長く薄暗い洞窟内では地獄の住人がお出迎え

鎖を伝って洞窟登り! 試練は極楽にあった!!

鎖を伝って天国へ。運動不足の身にはこたえる

無事、地獄道一周を終え、いよいよ極楽道へ。こちらの道はやや広く、一直線で出口へと通じている。極楽とはいえ、あまりにも楽過ぎる。……と思いきや、やはり終わりではなかった。目の前の岩穴にまた洞窟があるではないか!

新たな洞窟は狭く、頭上には細長い穴が開いている。実はここ、「極楽浄土に通じる縦穴」だそうで、天井から垂れ下がる鎖を伝って約5m登らないと極楽浄土に行けないことになっている。極楽への道は楽ではないという教えなのか。というより、地獄より極楽の方が怖いではないか!

ここまで来たらしょうがない。意を決して登ることにしよう。幸い穴が狭く、背中や足の筋肉を駆使して踏ん張りながら何とか出口までたどり着けた。運動不足の身には少々きつかったが、苦労してたどり着いた極楽は丘の上に石仏が点在するのどかな場所で、苦労して登った甲斐(がい)があったというものだろう。

ちなみに極楽浄土へは迂回(うかい)路があり、縦穴を登らなくても行けるようになっていたという。急がずともゆっくり極楽へ向かう道もあったのだ。何と深い教え。

こうやって意外に楽しめた地獄極楽。スリリングでちょっぴり身体も動かせるミニミニテーマパークといった感じだろうか。これといってご利益などはないが、スリルを味わうことで仏教の教えを身を持って知ることができるのが魅力。さて、江戸時代の人はどのような思いでここをめぐったのだろうかと、思いを馳せるのも一興だ。

極楽へと導いてくれる手すり付き階段も用意されている

●Information
宇佐市観光協会