日本銀行は6月19日に2012年1-3月期資金循環統計(速報)を発表しました(http://www.boj.or.jp/statistics/sj/sj.htm/)。資金循環統計では、日本で経済活動を行う主体を5つ(金融機関、非金融法人、一般政府、家計、民間非営利団体)に分け、それぞれの金融取引やその結果として保有された金融資産・負債について、金融商品ごとに記録しています。

日本の金融資産・負債の全体像を把握することができる「資金循環統計」

例えば国際収支ではモノやサービスといった実物取引を記載するものですが、資金循環統計では実物取引の裏側にある資金の流れや、実物取引とは独立した金融取引(借入れによる株式購入など)を扱うことになります。経済主体ごとに眺めることで、それぞれの資産・負債などの数値、どういった資産運用・借り入れを行っているのか、などがわかります。この統計をみれば日本の金融資産・負債の全体像を把握することができます。

そこで、資金循環統計に含まれている「金融資産・負債残高表」を非常に簡素化した形にしてみました。残高ですから、これまで溜まりに溜まったそれぞれの資産と負債を示すデータです。5つの経済主体、そして各項目も細分化されていますが、見やすいように大枠だけを抽出しています。

図表1:資金循環統計「金融資産・負債残高表」より(出典:日本銀行)

1~5までが日本国内の全ての経済主体であり、各項目の残高が示されています。メディアなどでは頻繁に「日本の個人の金融資産は1400兆円」といった見出しが登場しますが、この数字は家計部門(図中の家計4の枠)の資産残高合計として確認できます。今回の速報では1513兆円に増えています。

景気は悪い悪いと言われる中、これまでの20年で家計部門の資産は増加

そして、「政府の借金はとうとう1000兆円を超えた」というフレーズもよく見かけますが、これは一般政府(図中の一般政府3の枠)の負債残高の合計として確認できます。速報値では1099兆円になっています。意外と思われるかもしれませんが、これまで20年、日本の景気は悪い悪いと言われ続けてきた中でも実は家計部門の資産は増加してきた経緯があります。もちろん、増え方に差はありますが、政府の負債ばかりが増えてきたわけではないのです。

図表2:家計部門の資産と財布債務残高(出典:日本銀行、財務省)

(※日銀発表の資金循環表の政府の負債と財務省発表の政府債務残高は扱う項目に違いがあるため金額に差があります)

「政府の借金1000兆円」にしても「個人の金融資産1500兆円」にしても、実は日本経済全体からみればほんの一部だけを取り上げただけの議論であることが、図表1から見てわかるかと思います。「負債が1000兆円であるのに対し、資産が1500兆円しかないのでこの500兆円を食い潰せば日本は終わりだ」といった指摘がありますが、見ての通り政府にはかなりの資産があります。

一方、個人には住宅ローンなどの負債もあります。そして、他の経済主体も存在しています。したがって、統計の一部だけを取り上げての議論は非常に偏っていると言わざるを得ません。資金循環統計をデータ元として政府負債1000兆円、個人資産1500兆円という数字を使うなら、部分的ではなく全体像を見て語るのが正確な分析であり、フェア(公正)であるはずです。

実はそれほど切迫した状況ではない「日本の財政難」

1~5の日本国内の経済主体のそれぞれ資産と負債を全て合計すると、日本国全体では270兆円の余剰資金があることがわかります。そしてこの余剰資金は海外へと貸し出されているのが6枠から確認できます。少しややこしいかもしれませんが、6の枠は海外から見た資産と負債という区分けです。つまり、海外勢が日本に持つ資産と海外勢が日本に負っている負債(=日本人が海外に持っている資産)となっていて、それを合算すると負債の方が大きくなっています。この海外のマイナス(▼263兆円)と日本全体のプラス(△270兆円)は項目ごとの四捨五入の関係でズレはありますが、ほぼ一緒の数字となっています。

以前の回で日本の対外純資産は世界一という話をしましたが、資金循環統計の「金融資産・負債残高」の余剰資金は対外純資産253兆円とも近い数値となっています。対外純資産は昨年末の数字であるのに対し、今回取り上げている資金循環統計は1~3月期の速報値であること、2つ統計の間には部門分類、取引項目、勘定体系に若干の相違があることなどから多少差がありますが、対外純資産の数字と資金循環の資産・負債の合計はおおよそ同水準となります。

政府にも資産があり、これだけの余剰資金が日本全体にあるのだから、今のままの財政で全く心配なし、というつもりはありません。基本的に無駄があればそれは削減すべきですし、政府の歳入と歳出のバランスが長期間に渡り崩れたままでよいわけはありません。

ただ、日本の財政悪化から日本国債が大暴落を起こして間もなく日本が破綻する、あるいはハイパーインフレになるといった極端な議論には「待った」をかける必要があるでしょう。少なくとも現状では日本が破綻するような危機的状況からは程遠いということを、こうしたデータを見ることでわかってもらえれば、一般市民が詐欺まがいの投資話に乗ってしまうリスクを避けられるはずです。

そして、日本の財政難が増税の理由にもなっていますが、負債1000兆円がごく一部の数字だとわかれば、実はそれほど切迫した状況ではないという事実確認もできるかと思います。本来であれば増税ありきで進む前に、その前提となる正確な経済状況を広く国民に知らせ、その上で増税の議論を進めるのが筋でしょう。

日本国債の議論、"買われても""売られても"騒ぐメディアって?

ところで、資金循環統計では国債の発行残高とその保有者内訳が明らかにされます。3月末の国債発行残高は前年度比4.9%増の919兆円と過去最高を更新しました。これまで通り、保有者の9割以上が日本国内の経済主体である状況に変化はありませんが、海外部門の数字を詳しくみると保有残高は前年度比23%増の76兆円、国債残高に占める海外投資家の構成比8.3%は年度末ベースで過去最高となりました。

海外勢が積極的に日本の国債を購入するということは、日本の財政が破綻するとも、日本国債が暴落するとも思っていないということです。つい先日も日本を格下げした格付け機関もありましたが、海外投資家は全く気にしていない、ということがわかります。

こうした状況をこれまで日本国債暴落説寄りだったメディアはいかに伝えるのだろうか、と思って眺めていました。それ以前に発表されていた国際収支統計で、中国の日本国債の保有比率が2011年末時点で約18兆円、前年に比べて71%増加して過去最高だったという報道と相俟ってでしょうか、(中国の日本国債の保有残高が増加しても日本国債残高全体でみれば8.3%に過ぎないという点には触れずに、)71%の部分だけを強調して「海外勢が日本を浸蝕」といった極端な表現もありました。日本国債が売られると言っては騒ぎ、買われても騒ぐのですから、節操がないという一言に尽きるかと思います。

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執筆者プロフィール : 岩本 沙弓(いわもと さゆみ)

金融コンサルタント、経済評論家、経済作家。大阪経済大学 経営学部 客員教授。1991年東京女子大学を卒業し、銀行在籍中に青山学院大学大学院国際政治経済学科修士課程終了。日、米、加、豪の大手金融機関にて外国為替(直物・先物)、短期金融市場を中心にトレーディング業務に従事。その間、国際金融専門誌『ユーロマネー誌』のアンケートで為替予想部門の優秀ディーラーに複数回選出される。現在は、為替、国際金融関連の執筆・講演活動の他、国内外の金融機関勤務の経験を生かし、英語を中心に私立高校、及び専門学校にて講師業に従事。新著『世界恐慌への序章 最後のバブルがやってくる それでも日本が生き残る理由』(集英社)が発売された。