写真集を見たり、買ったりするうちに写真を見る眼が養われると飯沢氏はいう。写真集を楽しむ足がかりを紹介してきた最終回は、写真集の探し方や購入方法、またそれらにまつわる楽しみ方を伺ってみた。

写真集と巡り会う楽しみ

写真集の楽しみ方には「見る」以外に、探して購入する楽しみもある。良い写真集に巡り会うためには足を使うことが基本だと思う。クリック1つで欲しい品物が自宅に届くというネットショッピングが普及して、それを利用している人は多いと思う。だけどネットショッピングでは分からないこともある。現物が送られてきて、見本の写真と違ってガッカリすることが少なくない。すでに評価の高い写真集をオーダーするのなら失敗はないのかもしれないけど、それは自分で見つけた写真集じゃないよね。

現物が見たくても周りの本屋にない場合や、早く買わないと売り切れてしまうようなときはネットを使わざるを得ないし、ネットで購入することに否定するつもりはないよ。しかし、足で歩いて目で見るということを無視してしまうと、写真集を買う楽しみは半減してしまうと思うんだ。写真集は紙とインクの塊、だから「もの」つまりオブジェとしての魅力も持っている。これは中身の問題とは違ったとこで成立していると思う。書店巡りは、写真集蒐集の楽しみのひとつだよ。写真集を探すのは、実際に「手にとってページをめくる」という楽しみ方を基本にしたほうが僕はいいと思う。

写真集の発行部数は少ないのが一般的。タイミングを逃すとすぐ書店の売り場からなくなってしまう。面白そうだと思ったらその場で購入するのが基本だよね。よく「写真集の三重苦」として、「高い、重い、かさばる」と笑い話で言うんだけど、躊躇して購入の機会を逃して、手に入れ損ねたというのはよくあること。基本的に写真集は重刷されることはなく、たいていが初版のみしか発行されない。もし欲しい写真集の新刊が書店からなくなってしまうと、もう古本屋に頼るしかないね。古書になるとたいていは値段が上がっている。そう考えると初版で買うことは得なんだよ。だから「迷ったら買う」と考えたほうがいい。

古書店は写真集を扱っている専門店もあって、とても面白い。ときどき掘り出し物があるのでこまめに足を運ぶ必要はある。ただ、今は日本の写真集の価格が異常に上がっているので、昔のような本当の意味での掘り出し物は、ほとんどないと思う。しかし地方に行くと、ときどきとんでもなく安い値段になっているものもあるから、これは古本屋巡りの楽しみのひとつではある。やはり掘り出し物を見つけたときは嬉しいよ。

僕が行く古本屋は、けっこう決まっていて神田の源喜堂書店魚山堂書店をチェックしてるね。このどちらかで、たいていの写真集は見つかる。あと書店やギャラリーに併設された古本コーナーもよく使う。蒼穹舎ラットホールギャラリーもいいよ。これらを利用してもどうしても見つからない場合は、amazonや日本の古本屋を利用することもある。洋書専門サイトの赤い靴も何度か使ったことがあるね。買うものが決まっている場合は足を運ばなくてもいいからネットショッピングもメリットがあると思う。古本屋巡りは、多少時間が必要だけど、学生さんとかは神田や早稲田界隈の古書街を1日かけて回ってみると、すごくいい経験になると思うよ。

神田にある源喜堂書店。写真集や画集だけでなく、オリジナルプリント、版画、ポスターなども扱っている

写真集のバックグラウンドを知る楽しみ

写真集が出版されると、トークショーやサイン会などの刊行イベントがあるんだけど、それらはとても貴重な体験だと思う。写真家に直接会えるという喜びがあるし、写真家のサインももらえるから得だよ。写真家が制作過程のエピソードを語るのを聞くと、写真の見え方がまた違ったものになる。写真集のバックグラウンドを知ることは、簡単なようで難しい。写真集を見ていてわかる場合もあるけど、たいていはわからない。バックグラウンドを出してしまうとその見方しかできなくなってしまうから、そういう余分な背景をわざと写真集から隠してしまうこともある。だけど僕は写真集ができあがってくる過程を知ることは大切だと思っているんだ。機会があれば、1度そういったイベントに足を運んでみるのも面白いよ。

写真を見る力を養う写真集

写真集を「買う」、「見る」ことによって、写真を読み解く力がつくと思う。写真を「読む」と考えると難しいと思うけど、読むとは言葉に置き換えることだから、最初は無理して言葉に置き換える必要はなくて、見て楽しむだけでいい。見て、直感的に善し悪しや好き嫌いを判断する。それを積み重ねていくとだんだん読めるようになってくる。

写真集とつき合っていくことは、ペットを飼うことに似ていると思うんだ。ペットを飼うには餌をあげなくてはいけないし、甘やかしても駄目だし、放っておくのも駄目。初めはつき合い方がわからなくても、次第にどう扱えばいいかがわかってくる。写真にも同じことがいえて、写真集とのつき合い方がわかれば、たぶん他の写真に関わるいろいろなことにもそのまま応用できると思うんだ。例えば、写真家の人たちとどうつき合うのかとか、展覧会をどう見るのか、自分が写真集を作る場合どうやって見せていくのかなどだね。だから写真集は、写真を勉強するうえで教育的な要素を持っている。一度にわかる必要はないけど、少しずつわかってくる体験を大切にしてほしい。また、写真集は初版で買ったほうがいいと言ったけど、お金がなくて全部は買えない人もいるだろう。そのときは、たくさんある選択肢の中から、自分にはいま何が必要なのか、何を買うべきなのか、と考えるだけでも、自分の眼を鍛えることに繋がるはずだ。

買った写真集を楽しむには何度も繰り返して見ることだよね。だから作家は何度でも見ることに耐える写真集を作らなくてはいけないと思う。自分の見方は変わっていくもの。経験を積むことによって見方も深くなる。最初の段階で、肩に力をいれて買うんじゃなくて、可能性で買って欲しいんだよ。気になったらまずは買ってみる。しばらく手元に置いて、繰り返し見ていくと、見え方が変わっていくこともある。そういった面白くなる可能性がある写真集をぜひ買ってほしい。もしかしたら面白くならないかもしれないけどね(笑)。骨董が趣味の人も散々偽物をつかまされて勉強していくでしょう? 写真集も同じことがいえるよ。僕だって、偉そうなことを言っているけど、ずいぶんひどい買い物もしている。効率が悪いようにも見えるけど、10冊のうち1冊でも良い物が見つかれば良いんじゃないのかな。本当に良い写真集があれば、の9冊は無駄じゃないと思う。良い写真集を見つけ出すための訓練のようなものだからね。

飯沢耕太郎(いいざわこうたろう)

写真評論家。日本大学芸術学部写真学科卒業、筑波大学大学院芸術学研究科博士課程 修了。
『写真美術館へようこそ』(講談社現代新書)でサントリー学芸賞、『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房)で日本写真協会年度賞受賞。『写真を愉しむ』(岩波新書)、『都市の視線 増補』(平凡社)、『眼から眼へ』(みすず書房)、『世界のキノコ切手』(プチグラパブリッシング)など著書多数。「キヤノン写真新世紀」などの公募展の審査員や、学校講師、写真展の企画など多方面で活躍している。

まとめ:加藤真貴子 (WINDY Co.)