以前、社会人入学した大学を卒業したとき、こんなことを言われた。「早稲田卒、英語堪能、スペイン語可能、テニスはレッスンプロ並み、肩書きがどんどんごっつくなって、ますますモテない感じだね」(※ただし語学に関してはかなり誇張があるが)。

なんということだろう。自分を好きになるのに、努力をしてがんばって、なんとか一人前だと思えるようになりたいとやってきたことで、人が遠ざかるというのはどういうことだ。しかし、同じようなことを『きみはペット』のスミレちゃんも嘆く。「(高学歴・高収入といった)私の持っているものは、私が勝ち取ったものよ。それが無意味だったっていうの?」。

『少女漫画』第2話は、『ガラスの仮面』だ。主人公は局アナ。金持ちの娘で美人で優秀。姫川亜弓である。彼女は、その立場に甘んじることなく、自分の仕事をまっとうするために、あらゆる努力をする。しかしその努力を、決して人に見せることはない。大抵、ものすごく努力する人は、その姿を人には見せないものだからだ。

しかし多くの人間は、「自分の目で見たもの」しかわからない。結果を出している人に対しては、「ただ結果を持っている」ことしか見えないのだ。故にそれに対して、非常に簡単な理由や言いがかりをこじつける。曰く、「勝ち気だから」「才能があるから」「美人だから」とか。そうして、結果を持たない自分に対して言い訳をするのだ。「でも私は××がないから仕方がない」って。

主人公は、自分を上手にアピールすることができない。そのうちに若手の女に仕事を取って代わられてしまう。その女は、自分の身体を使ってプロデューサーを丸め込み、大きく開いた胸元、短いスカートで人気と地位を獲得していく。「局アナなんて、若くてお色気だったらそれでいいんだよ」というのが、局の意見だ。

この漫画は、どうしてこう悲しいんだろう。相変わらず女たちは、穴の空いた肉の物体だとしか認識されず、努力は空回りして人を遠ざけてしまう。男はどうだ。努力して勝ち得たものは、そのまま自分の価値にならないか。高学歴、高収入そのものが嫌いな女は少数だろう。腹筋の割れ目を見せて仕事を取った男は、どれだけいるだろう。女が高肩書きの男を遠ざけるとき、理由は「気が利かない」「プライドが高い」「話が合わない」などの「コミュニケーション能力」なのだ。決して努力した中身ではない。

しかし、この漫画のいいところは、救いがあるところだ。お色気でのし上がった女は失脚し、主人公は左遷された番組で、するすると「アナウンサー」としての能力を発揮していく。いらない人間扱いされて、本当にいらない人間になってしまうか、もう二度と離せない必要な人間にのし上がるかは、その人の努力次第なのだ。誰にだって不況はある。そこが人生の分かれ道なのだろう。

『ガラスの仮面』でも、姫川亜弓は、本来は「ただ美しい女子」だ。しかし天才肌のマヤを目の前にして、恐ろしい姿勢で走るパントマイムをやったり、オリンピック級の体操レッスンを受けたりして、ごっつい努力をしている。しかし、それが世間で評価されることはない。「サラブレッドだから」「お金持ちだから」と、人々に言い訳されてしまうのだ。人をうらやむのはかまわないけれど、自分の努力が足りないことを、人の環境のせいにするのは卑怯なことだ。

けれどまあ私の場合は、自分の肩書きがモテない理由になるほどとは思えない。そしてついに判明したのだ、モテない理由。「指輪」だ。多くの男子は、女の指輪に男の匂いを感じるのだそうだ。なるほど。私は、数年前にクリスマス直前にカップルでごった返すシャネルショップで自分へのご褒美に買った指輪を箱にしまい、ノー指輪で外出をすることにした。これで来月あたりから大モテ間違いなしである。何かが思いどおりにならない理由を簡単なところに求めるのは、他人の環境を言い訳にするのと同じくらい、楽でいいな。
<つづく>