埼玉県熊谷市の地下倉庫「エコープレイランド別館倉庫」から、レトロゲームセンタープロジェクトの活動の模様をお届けするレポートの後編。今回はついにあの『ギャラクシアン3』を体験させていただく。『ギャラクシアン3』を知らない人のためにものすごく簡単に説明すると、要は「『スター・○ォーズ』のファル○ン号の砲撃手になって宇宙空間で戦える!」というノリの大型3Dシューティングゲーム。

一番大きいタイプは最大28人乗りで、周囲360度すべてがスクリーンという、いまから考えても破格のアーケードゲームである。1990年の大阪花博に初めて出展され、会期中にのべ427,000人を動員(ナムコ調べ)。花博の会期が183日なので、これは毎回定員いっぱいの28人が乗ったとしても、1日あたり80回転以上はさせないと達成できない数字。いかに連日大盛況だったかがうかがえる。1992年には東京・二子玉川にオープンしたナムコの期間限定テーマパーク、ワンダーエッグの目玉アトラクションとして好評を博した。ほかにも16人乗り、6人乗りのタイプがあり、いまでは愛知県の西尾市のゲームセンターにだけ現存するらしい。

ここに置かれたものはゲームセンター向けとしてコンパクトに作られた6人用のもの(『ギャラクシアン3 シアター6』)だが、それでもかなりの大型筐体であることには違いない。本来の値段は軽く1,000万円以上するそうだが、数年前に破格値(とは言え100万円以上)で入手できる機会があり、そのときに共同購入したメンバーが、今回のレトロゲームセンタープロジェクトを手がけるゲームサークル「UGSF-WEST」のみなさん、というわけ。そもそも「UGSF」という名前自体がナムコの『ギャラクシアン』シリーズなどに登場する宇宙軍の名前なのだ。かつてはパソコン通信などで参加者を募り、10人、20人単位でワンダーエッグなどに乗り込んで1日やり込むこともあったとか。

どうやってもらってきたのか時間待ちのプレートも。すごい待ち時間だったんだろうなあ……

こうした看板も置かれていて、当時の雰囲気を感じさせてくれます

これが小型の6人用タイプのチラシ。「バーチャル・リアリティ!!」の文字が味わい深い

こちらも当時のチラシ。貴重な資料なのに、モデルの女性のダブル浅野な髪形につい目が行くのはなぜか

こちらの重戦闘艇「ドラグーン」に乗り込んで宇宙空間で戦うという設定。いま見ても十分かっこいいです

電気代のカンパ箱はゲームキューブ。これは『ギャラクシアン3(キューブ)』とも呼ばれていたことに引っ掛けたもの。粋です

ゲート部分もちゃんとあります。倉庫の奥の空きスペースに無理やり収めたそうです

上を見上げると基盤(手前)と三管式プロジェクター(奥)が見えます

頭上の三管式プロジェクターを取り出すとこんな感じ。予備ではなく惜しくも故障してしまったもの。これもいまでは入手困難

こちらはLDプレイヤー。本来は筐体内部に収められているものだが、外部に取り出した形で接続

「では、やりますか」と声をかけていただいたので、緊張しつつ操縦席に。ベテラン4人との出撃とは言え、暗い筐体内に座るとやはり緊張する。ゲーム自体は敵機に照準を合わせて撃つというシンプルなものだが、オート連射という甘っちょろいものは、もちろんナッシング! 操縦桿を握ってひたすらガシャガシャと連射していると、だんだん両腕がつりそうになってくる。こちらは初体験のド素人、かたや歴戦の勇士なので、点数ランキングはもちろんビリだったが、それでも伝説の『ギャラクシアン3』を体験できたのは満足のひと言だった。

操縦席はこんな感じ。思わず血圧と心拍数が上がります

動画
5人同時プレイの模様を動画でほんの少しお届け。スタート直後のワープアウト→小惑星帯での戦い
敵艦内部での戦い。当たり前ですが、普通のカップルや家族連れではこんなに統制の取れた集中連射はできません

ミッションコンプリート! 1位の方は7万点以上。こちらは2万点稼ぐので精一杯

個人的な話で恐縮だが、私が住んでいた某県の片田舎から、大阪の花博まではもちろん行けるわけもなく、当時まだ珍しかったコンビニで『ファミマガ』を買っては「どうやら東京にはとんでもない大型筐体で遊べるすごい遊園地ができたらしい」という記事を、指をくわえて読んでいた○学生でしかなかったのだ。それがいまでは上京して数年経ち、『ギャラクシアン3』を待たずにタダで体験できるどころか、

――ワンダーエッグってニコタマのどの辺だったんですか? 高島屋のあたり?

「えーとね、駅の南口なんで高島屋の反対側ですね」

――ああ、「いぬたま・ねこたま」でしたっけ? 動物園があったところ。

「そうそう。あれの隣にあったんですよ」

……という会話がこなせるぐらいおっさんになってしまった。思えば遠くへ来たものである。

ありし日のワンダーエッグ。1992年からリニューアルを重ねて2000年まで営業された

若っ!! 『パックマン』の生みの親として知られるゲームクリエイターの岩谷徹さん(当時30代)。わかる人だけめちゃくちゃ驚きましょう

それにしてもこの『ギャラクシアン3』だけに限った話ではないが、アーケードゲームを復刻版ではなく、当時そのままの状態で遊べるというのはやはり贅沢な話だ。とくに大型筐体はプレイヤーの座席などもゲームの一部になっていることが多いので、家庭用ゲーム機での完全な再現は難しい。昔のものとは言え、本物はやっぱりすばらしい。なんとなく日本のおばちゃんたちが老けたアラン・ドロンやフリオ・イグレシアスにツアー旅行で会いに行く心境がわかる気もする。

動画
ワンダーエッグの『ギャラクシアン3』は、座席も上下に可動。貴重な映像だが、これまたお客さんのバブリーなファッションが妙に気になる
当時の360度スクリーンの様子。暗くてわかりにくいですが、雰囲気だけお楽しみください。会場ではやっぱり酔う人もいたそうで

ゲーム終了後には、外のモニターでワンダーエッグ時代の貴重な映像も見せてもらった。このモニターも『ギャラクシアン3』の外に置かれ、行列の待ち時間にルール説明などを行っていたものだとか。

――これにもLDプレイヤーとか使われてるんですか?

「まあ、これはただのモニターです。裏につないだXboxからDVDを再生してるだけなんで」

――ああ、360。

「いやいや、360じゃなくてXbox」

ふと床の辺りを見ると、なんか黒くて重そうなでっかい箱が置いてある! 驚きのあまりうっかり写真を撮り忘れてしまったが、ともかく初代Xboxを使い倒すほど濃いメンバーによって運営されているプロジェクトであることはわかっていただけたかと思う。最後に今後の活動目標を聞いてみた。

「『三丁目の夕日』じゃないですけど、いずれ80年代や90年代を懐かしむ時代も来るのかな、っていうのはあります。でもそのときに果たしてこういうゲーム機が残っているかと言うと、おそらく残ってないと思うんですよ。いまある筐体はもしかしたら世界に1台だけのものかもしれない。そういうものを大事に取っておくだけじゃなくて、やっぱりみんなが遊べる形で残していけたらいいなと思いますね」

今回の「エコープレイランド別館倉庫」は1月で惜しくも閉館となるが、マンガ図書館やアニメミュージアムなど設立される昨今、レトロゲームセンタープロジェクトの活動がより大きな形で実を結ぶのもそう遠い日のことではないだろう。そのときにはきっと『ギャラクシアン3』も再び我々の前に姿を見せるに違いない。

かくして今日も無事に戦闘を終えたレトロゲームセンタープロジェクトの面々は夜の街に消えていくのであった……

<※ご注意>
今回取り上げた「エコープレイランド別館倉庫」は2008年1月5日で閉館となります。残りの開放日は2007年12月9日、12月16日、12月30日、2008年1月3日、1月5日の予定です。詳しくはリンク先でご確認ください。また訪問の際には個人の有志団体の運営であることへの配慮をお願いします。閉館後のレトロゲームセンタープロジェクトの活動状況は暫定ページでの告知が予定されています。