日本マイクロソフトは2017年10月16日、AI(人工知能)に関する取り組みを網羅的に披露するプレスセミナーを開催した。米Microsoftが9月に開催したイベント「Ignite 2017」の基調講演では、「複合現実」「AI」「量子コンピューティング」の3テーマに絞って多くの技術・ソリューションを発表し、方向性を示していた。今回のプレスセミナーでは、会場を訪れていた日本マイクロソフト 執行役員 CTO 榊原彰氏がIgnite 2017の概要を説明したが、ここでは姿が見えにくい量子コンピューティングに絞って解説する。
まず「量子コンピューティング」とはなんぞや。
一般的なコンピューターは「0」と「1」の状態を示す「ビット」で構成されている。だが、量子コンピューティングは「0」と「1」を重ね合わせた「0であり、かつ1である」状態を取る、量子ビットを用いたコンピューターや技術を指す。量子ビットや重ね合わせを簡単にいうと、「消灯状態(0)と点灯状態(1)でも、光源が発する明るさは多様である。そのすべてを表現できる存在」となるだろうか(多少の語弊はご容赦いただきたい)。
なぜ量子コンピューターが注目を集めるのだろうか。それは単純に「汎用的コンピューターよりも速い」といわれているからだ。我々が日常的に利用する汎用的、つまりWebを見たりメールを書いたりゲームを楽しんだりと、さまざまな目的に使うコンピューターと異なり、量子コンピューターは特定分野に対して高い演算能力を示す。
例えば、機械学習のトレーニングではCPUよりもGPUが効果的なように、量子コンピューターは何億何兆通りのパターンから解を導き出す「組み合わせ最適化問題」などを、得意分野として持っている。D-Wave製量子コンピューターの試験運用を2年近く行ってきたNASAおよびGoogleは、「従来のコンピューターに比べて、1兆倍高速だ」と、2015年12月に発表した。当時は多くの一般メディアも取り上げたため、記憶に残っている方も少なくないだろう。
前述したD-Waveを筆頭に、2017年5月にはIBMが「IBM Q」をクラウド経由で利用可能になったと発表し、Intelは2017年10月に17量子ビットのチップ試作製造に成功と発表している。Googleも、2017年内に約40量子ビットを可能にするという。このように、量子コンピューター界隈はプレイヤーこそ少ないものの、各IT企業がしのぎを削っている状態だ。
本題へ入る前に、もう1つ理解しておくことがある。それが「量子アニーリング」や「量子ゲート」と呼ばれる量子回路だ。前者は自然現象を借用したアルゴリズム、後者は二進法の論理回路に似たアルゴリズムとして長く研究されている。
D-Waveなどは量子アニーリングモデルを採用し、IBMやGoogle、そしてMicrosoftは量子ゲート(電子回路)モデルを採用した。その理由として榊原氏は、工夫次第かもしれないと前置きしながら、「量子アニーリングは最適化問題など用途が限定されるが、量子ゲートは汎用的な計算に使えるため、弊社のビジネス戦略に合致する。(Microsoft Researchで量子コンピューティング研究に注力する)Station Qも、当初から量子ゲートを選択している」と説明した。
なお、Microsoftが2017年9月に開催したカンファレンス「Ignite 2017」の基調講演では、「トポロジカル量子ビット」という名称を用いていた。熱や電磁波などの影響を受けるとすぐに壊れてしまう量子ビットだが、重ね合わせを保てる時間を「コヒーレンスタイム」、破壊された状態を「デコヒーレンス」と呼び、トポロジカル量子ビットはさらに安定性が増すという。この方法でMicrosoftは量子コンピューターの実現を目指し、チップを試作した。肝心のチップは榊原氏も目にしていないそうだが、「専門家に尋ねると『本当か? ノーベル賞ものだ』といわれた」(榊原氏)らしい。
デコヒーレンスを起こしやすい量子ビットのために、MicrosoftではBlueForsの冷却装置を採用し、摂氏マイナス273度まで冷やす「宇宙空間よりも低く、地球上もっとも低温な場所」を実現した。BlueForsと共に、磁場の制御や、一定した温度を保つコンパクトな冷却装置を開発したそうだ。なお、量子コンピューティングにおける冷却装置の開発はノウハウが必要で、榊原氏によると、GoogleやIBMもBlueFors製を採用しているという。
もちろん、チップ1つで量子コンピューターが完成するわけではない。Microsoftは量子チップというハードウェアと、Microsoftの統合開発環境「Visual Studio」による開発言語サポートなど「ソフトウェアスタック」を発表した。既に量子コンピューター開発言語は存在するが、MicrosoftはC#やF#、Pythonをベースに可読性の高い言語を開発し、Visual Studioに統合するという。
「コードを見ると面白い。関数にはEPRという単語が確認できる」(榊原氏)。EPRは、Albert Einstein氏、Boris Podolsky氏、Nathan Rosen氏の頭文字をとった「Einstein-Podolsky-Rosenパラドックス」を意味する。どれだけ距離が離れていても、状況変化が一方の量子に反映される「量子もつれ」と、相対性理論が両立しないという論を指す。
Microsoftは、トポロジカル量子ビットを用いた量子コンピューターが、汎用的量子コンピューターシステムの基盤となると同時に、量子物理学に対する重要な飛躍的な進歩につながると見ている。まだまだ、どのような提供方法になるのかや、IBM QのようにMicrosoft Azure経由で量子コンピューターを利用するAPIが登場するのかなど、未知数だ。
前述したIBM Qは、2016年5月の時点で5量子ビット、翌年の2017年5月は16量子ビットプロセッサーを搭載している。「1年で約3倍の成長を踏まえると、5年経てば量子コンピューターを部分的に利用できるはず」(榊原氏)と、自社の量子コンピューティングエコシステムを予測した。今後Microsoftは、量子コンピューターを利用するためのライブラリやフレームワークをリリースすると思われる。
各IT企業が取り組む量子コンピューティングだが、本来Microsoftはソフトウェア企業である。なぜMicrosoftが取り組むのか。「2つの側面がある。1つはMicrosoftのミッションとして新技術を民主化(=広く世に広める)したい。もう1つは量子コンピューターの登場でAIが加速する。自社が注力する技術の1つとして取り組む必要があった」(榊原氏)という。量子コンピューターの登場が5年程度で実現するのであれば、特に若い開発者は、汎用的コンピューターと共に量子コンピューティングに対しても造詣を深めておくべきかもしれない。
阿久津良和(Cactus)