Appleのスペシャルイベント開催日が近付いている。現地時間の9月12日に新社屋Apple Park内のスティーブ・ジョブズ・シアターでの実施が告げられているこのイベントでは、iPhoneのほか、LTEに対応した新しいApple Watchも登場すると見られている。果たしてApple Watchはどんな装いで姿を現すのだろうか? 本稿ではこれまでの流れを整理しつつ、新しいApple Watchについて分かっていること、予想できることを纏めてみたい。

2014年9月に初代のApple Watchが発表された時、そのデザインを手掛けたのはジョナサン・アイヴであると聞いていた。しかし、ケースの裏蓋、ホーム画面のデザインを見た瞬間、発表の数日前にApple入社が明らかになったマーク・ニューソンの顔が浮かんだ。彼が以前にデザインを手がけた腕時計「IKEPOD」とApple Watchのケース部はとてもよく似ており、さらに、ストラップやブレスを留めるためのラグがないところもアイディアとしては同じであるように感じられたのだ。

「IKEPOD」で画像検索して写真と見比べていただきたい。マーク・ニューソンのApple入閣はこのタイミングより実は早くて、iPhone 5cのケースのデザインなどにも関わっていたのではないかと思われる

お洒落路線で来るなというのは、その時のスペシャルイベントにファッション誌の編集者/ジャーナリストを多く招待していたことから分かっていた。18金を使ったApple Watch Editionでは200万円越えのモデルも揃え、イメージフォトには、この業界の人間なら知らない人はいないであろう著名なファッション写真家、デヴィッド・シムズを起用。発表直後、パリファッションウィークにあわせて高級セレクトショップ「コレット」で行われたお披露目会では、US版VOGUEのアナ・ウィンター、シャネル、フェンディのクリエイティブ・ディレクターであるカール・ラガーフェルドが訪れたことも話題となった。販売はパリのギャラリー・ラファイエット、ロンドンのセルフリッジズ、東京ではDover Street Market Ginzaといった有名店でも展開され、ファッショニスタ訴求を明確に打ち出した。

Apple Watch Editionでは200万円越えのモデルも用意された

だが、2015年の発売時に、早くも暗雲が立ち込める。発売をアナウンスするスペシャルイベントが行われた3月9日は、パリコレのど真ん中。一所懸命になって呼び込んだファッション誌の編集者/ジャーナリストは、当然、全員そっちの取材で忙しく、どの媒体のWebサイトを見てもApple Watchの記事は全くなかった。完全に無視された格好である。それでもその月の日本版VOGUEには、小冊子と小特集で紹介はされていた。しかし、それも一目見れば媒体の企画でなく、広告案件であるのは明らかであるというものだった。日本版VOGUEは広告出稿があっであろうにも関わらず、こんな残念な記事を掲載している。製品の名称が発表前に噂された「iWatch」のままで更新されていないのだ。発表から半年経って、まもなく発売日だというのにこの有様である。記事を目睹した瞬間、我が目を疑を疑ったが、ああ、ファッション業界での認知度ってこんなもんだろうなと、諦念が筆者の心を満たしていった。

業界のファッションリーダーの沽券にかけて、エルメスとのコラボモデルを投入

とは言え、Appleもこのままでは引き下がれない。発売直後は前述のカール・ラガーフェルドやビヨンセに特別仕様のモデルを渡すなど話題作りに躍起。トム・フォードの懐中時計に改造されたApple Watchにも注目が集まった。そして、この年の秋、エルメスとのコラボレーションが始まる。カプセルコレクションではなく、長期的な展開で、2016年秋に行われたスペシャルイベントでは追加のストラップも発表されている。

NIKEとのコラボモデル(左)とセラミックを使用した新しいApple Watch Edition

その2016年秋のスペシャルイベントには、着目すべきことがもう二つあった。まず、NIKEとのコラボモデルの発表だ。この裏で元NIKE、現Appleのフィットネス&ヘルステクノロジー担当ディレクターであるジェイ・ブラニックが暗躍してるのは想像に難くない。Appleに於ける彼のポジションは独特で、WWDCの基調講演に登壇するだけでなく、しょっちゅう来日してはApple Storeのイベントに現れ、ユーザーとの交流も深めているのだ。Appleの要人は、ひっそり来て、こっそり帰るのが基本なのだが、こういう動きをする存在は非常に珍しく、社内でもユニークな立場にあり、発言力、影響力も相当なものであると推測される。Apple Watchスポーツ路線の立役者と言って過言ではないだろう。もうひとつ、今度はApple Watch Editionについてだ。この発表で、18金を使ったEditionモデルは姿を消し、代わってセラミックを使用したモデルがラインナップされた。ケースにセラミックを使った腕時計と言うと、Chanelの「J12」ラインを思い浮かべる人も多いだろう。そして、そのJ12を手掛けているのは本稿三度目の登場となるカール・ラガーフェルドである。エルメスとの契約があるから、彼の名前は出せなかったのかもしれないが、その影がどうにもチラチラするなというのが今でも続いている(理由は後述)。Appleは、この年のMETガラのスポンサーとなっていたのだが、その時にもジョナサン・アイブ、アナ・ウィンター、カール・ラガーフェルドの姿があった。

Appleのフィットネス&ヘルステクノロジー担当ディレクター、ジェイ・ブラニック。Apple Storeのイベントにもしばしば登場するナイスガイ

さて、その注目点二つ、前者はスポーツ路線、後者はファッション路線の施策と捉えて差し支えないだろうが、後者のほうはその後、急速に終息へと向かっていく。今年になってから、前出のギャラリー・ラファイエット、セルフリッジズで取り扱いが終了。全く報じられてないが、大分前にDover Street Market Ginzaでもディスプレイが撤去された(今年のアタマの時点で並べなくなっただけで購入は可能ということだった)。そして、エルメスとのコラボも継続かどうか雲行きが怪しくなってきている。らいら氏によれば、Apple Watch Hermèsは、Apple Online Storeで「売り切れ」(販売終了)となっており、現在店頭に並んでいるのはApple Watch at Isetan Shinjukuとエルメスの直営店のみである。エルメスのWebサイトでは、ストラップのみ購入可能のようだが、果たしてどうなることやらという状況だ。

高級百貨店/セレクトショップでApple Watchを扱っているのは、最早、伊勢丹のみ

これはつまり、ファッション路線の敗北宣言ということなのだろうか? 確かに現在のApple Watchは、こちらも、らいら氏が指摘する通り、フィットネス&ヘルスの機能を前面に押し出していて、シフトチェンジが図られている。一部ではジョブズの時代は「音楽」、クックの時代は「健康」とも囁かれていて、今後、ますます、フィットネス&ヘルス路線が色濃くなっていきそうな気配である。また、9月12日のスペシャルイベントは恐らく、世界のITジャーナリスト大集合の様相を呈し、筆者のような非テック系の編集者/ジャーナリストの姿は殆どないだろう。ファッション業界で招待されている人もおるまい。だがスマートウォッチの申し子が作ったスマートウォッチの神髄がそれでしかないのなら、ひどくわびしく感じるのも事実である。

……という状況下で、過日、興味深い情報が9 to 5から流れてきた。それによれば、次のApple Watchでは、デジタルクラウンに「赤い」アクセントを効かせるデザインが採用されるようなのだ。そこで真っ先に思い出されるのは、ディオール時代にエディ・スリマンが手掛けた腕時計「シフル・ルージュ」である。筆者は、初代Apple Watch発表時から、バイスプレジデント(当時)のポール・ドヌーヴがエディを引っ張ってくるんじゃないかと言い続けてきた。服飾デザインから離れ、写真家として活動していたエディをサンローランでカムバックさせたのも、このポール・ドヌーヴの仕業である。現在、ポール・ドヌーヴのAppleでの役職はよく分からないことになっているが、Apple Watchの開発に携わっているという情報もある。

エディ・スリマンはサンローランのクリエイティブ・ディレクター退任後、シャネルで新しい職に就くと噂されていた。それに関しては、本稿五度目の登場、カール・ラガーフェルドが糸を引いているという説もあったが、シャネル側がエディ入閣をきっぱりと否定した。エディは、また写真家としての活動がメインとなりつつあるが、ファッション業界に戻ってくる可能性はゼロではないと発言。その一方で、サンローランを擁するケリングとの法廷闘争が続いており、早期の復帰は難しそうな雰囲気が漂っている。

エディ・スリマンが実際にApple Watch Series 3のプロジェクトに携わっているかとなると、それは予想というより筆者の淡い期待に過ぎない。とは言え、Vansとのコラボもあって忙しそうだけど、カール・ラガーフェルドとのカプセルコレクションが出るんじゃないかとか、誰々がクリエイティブ・ディレクターになりそうだとか想像を巡らせられるのがApple WatchのApple Watchらしさだと思えるのだ。Apple Watchにこういうワクワク感がなくなってしまったら、それもまた、ひどくわびしく感じることだろう(案外、エルメスのコラボが続き、それがEditionの位置付けに収まるんじゃないかという気もするが)。