1月4日から始まる大河ドラマ「花燃ゆ」。幕末に活躍した思想家・吉田松陰の末妹・杉文(すぎふみ)が主人公で、松陰と違って、文は歴史の陰でひっそりと生きた女性だったようだ。今回は「花燃ゆ」の放送を前に、松陰や松陰を慕った志士たちにゆかりの深い、萩市(山口県)の史跡をたどってみたい。
文のそばに志士たちが集う
松陰と言えば、脱藩して諸国を遊歴したり、黒船密航を企てたり、老中座主暗殺を図ったりなどと変革をうながした行動派。そのため、文の周りにも自然と多くの有名人たちが集まってきたという。
松陰が主催した私塾・松下村塾には、後の文の夫であり、長州志士たちをけん引して攘夷(じょうい)運動に携わった久坂玄瑞がいた。また、現在も多くの人々を魅了してやまない高杉晋作、そして、伊藤博文、桂小五郎(後の木戸孝允)、山縣有朋など、教科書でも目にするような重要人物たちがずらりとそろい踏みしている。
そんな彼らが生活していたのは現在の萩市中心部、長州藩の藩庁である萩城の城下だった。この地から多くの若者が全国に散り、維新を成功させたことを考えると、萩は"幕末維新の震源地"と言えるだろう。
松陰や文、幕末の志士たちが過ごした松下村塾
萩市中心部から少し東に行くと松陰神社がある。その名からも読み取れるように、松陰を祀った神社だ。松陰は享年30で安政の大獄の犠牲となり刑死。維新後に元塾生たちによって松陰神社の主神として祀られた。学問で多くの人を導いた松陰だけあって、学業にご利益があると言われ、受験生や学問に従事する人々も多く訪れている。
また、境内には松陰が授業を行った松下村塾と、松陰と文が過ごした杉家旧宅が残されている。杉家はあまり裕福な家庭ではなく、どちらも木造のこじんまりとした家だが、松陰の歴史を語る上では欠かせない。そして、ふたりがここに集まった志士たちとともに青春を過ごした場所でもある。
境内にはこの他にも松陰の遺品を展示する宝物展や歴史館などもあり、じっくり見ていけば松陰神社だけで半日は楽しめる。
町外れには松陰と文の誕生の地も
松陰神社から東に進み、萩の中心地から少し離れた山中に、松陰と文が生まれた松陰誕生の地がある。現在の松陰神社に引っ越す以前、松陰の生家である杉家はこの静かな地に居を構えていた。建物は残されていないが、この付近には松陰や杉家に関する史跡が多くある。
松陰がつかった産湯の井や、松陰をはじめとする杉家や晋作ら、松下村塾生たちの墓が並ぶ墓地。そのすぐ側には、松陰と彼に付き従い密航を試みた金子重之輔の銅像が建てられている。松陰の誕生から密航事件、松下村塾での教育など、彼の生涯を感じることのできる地域だ。
晋作や桂の生家が残る城下町
萩市中心部は、現在も江戸時代の面影を強く残している。萩城の総門や長屋が町中に残っており、武家屋敷のあった地域には土作りの壁が多く、まるでタイムスリップしたような雰囲気が漂う。
特に見どころとなるのは、長州志士たちの生家だろう。晋作の生家では常に晋作の遺品などの展示がされており、産湯の井も残されている。また、周辺には桂の生家も残されており、こちらは屋内まで見学することができる。その他にも博文と晋作が幼い頃に遊んだ円政寺などがあり、長州志士たちの青春時代を垣間見ることができる。
幕末の長州藩主・毛利敬親が座した萩城
長州藩初代藩主・毛利輝元が建てた萩城。幕末に長州藩の藩庁が萩から山口に移るなど、様々な事件があったが、約300年に亘り長州藩と毛利家を守ってきた城だ。現在は石垣が残っているが、幕末には立派な天守が建っていた。
萩城の背後には指月山という山がそびえており、松陰をはじめ長州志士たちは城下からこの山を見あげていたのだろう。松下村塾生たちも幾度も萩城に登城しており、文の2番目の夫となる小田村伊之助(後の楫取素彦)は藩主・敬親の右腕として藩政に関わって行った。
いよいよ放送間近となった「花燃ゆ」。いったいどんなストーリーが繰り広げられるのか注目だ。
(文・かみゆ歴史編集部 青木一恵)
筆者プロフィール: かみゆ歴史編集部
歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史全般、世界史、美術・アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『一度は行きたい日本の美城』(学研パブリッシング)、『日本史1000城』(世界文化社)、『廃城をゆく』シリーズ、『国分寺を歩く』(ともにイカロス出版)、『日本の神社完全名鑑』(廣済堂出版)、『新版 大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)など多数。また、トークショーや城ツアーを行うお城プロジェクト「城フェス」を共催。
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