『パイレーツ・オブ・カリビアン』『ONE PIECE』に続いて、またしても海賊ものが大ヒットである。本年度の本屋大賞に輝いたのは和田竜作品『村上海賊の娘』。村上海賊(水軍)といえばかつて瀬戸内を支配した海の王者。その瀬戸の海と紀伊水道を隔てた阿波の国、徳島県には「海賊料理」なる名物料理があるとか。それって、海賊が食べていた料理?

皿の上の新鮮な魚介を直火で焼いて食べる海賊料理(イメージ)

生きたままを焼く「残酷料理」がルーツ

村上海賊とは違うが、かつて徳島県にも海賊はいたらしい。現在の阿南市を拠点とした阿波海賊(水軍)がそれで、豊臣秀吉の朝鮮の役などで大活躍したと伝えられる。徳島南部の名物料理、海賊料理はこの阿波水軍にそのルーツがあるのだろうか? と勝手に妄想して調べてみたら……違った!!

「元祖海賊料理」の看板を掲げる徳島県海陽町の「浜部海賊料理店」のホームページをのぞくと、次のような「海賊料理」誕生秘話が紹介されていた。

昭和35年頃、宍喰(現海陽町)という海辺に浜部五郎さんという漁師さんがおった。浜部さんは漁と観光案内の仕事をかねて、浜辺で生きた魚介を焼いて食べる「残酷料理」をあみ出した。味も良く、人気もよかったのだが、どうも「残酷料理」ではイメージがよくない。程なく「海浜料理」と名前を変えた。

「海浜料理」はまたたく間に評判となり、浜辺は料理を食べにくる人でいっぱいになった。そんなある日、お客のひとりが言った。「これは海賊が食べるような調子だから、海賊料理としてはどうだろう」。これは名案!! と早速「海賊料理」と改名、評判はさらに広がっていった。

「浜部五郎とは私の死んだおやじです」。

こう語るのは「元祖海賊料理 浜部海賊料理店」の主人・浜部賀津秀さん。五郎さん創案になる「海賊料理」はその後、周辺の海辺の飲食店や民宿にも広がって、いまでは徳島県観光協会のホームページに紹介されるほどのご当地名物料理になっていったのである。

生きた伊勢えびを網に。かつては「残酷料理」と呼ばれた

海賊が出そうな水床湾。生け簀(す)もたくさんあって、新鮮な魚介の宝庫

海の上の座敷でいただく

さて、「海賊料理」なるものの定義だが、浜部五郎さんの時代は「採れたての魚介を生きたまま網で焼いて食べる」というものであったが、時代の変遷とともに、いまでは「新鮮な魚介を網で焼いて食べる」に変わっている。それでも元祖の「浜部海賊料理店」ではプライドをかけて、伊勢エビなど可能なかぎり浜部さん自身が海で採ってきたものをお客に供しているという。

「浜部海賊店」の海賊料理セットは、伊勢エビ、サザエ、ヒオウキガイ、大アサリの海賊焼きに、伊勢エビ、サザエ、季節の魚の刺身3点、さらに煮付けとご飯もついて5,000円という破格料金。もちろん食べるには予約が必要だ。

お店は浮き座敷。つまり、海の上にいかだを浮かべ、その上に座敷を構えてお客をもてなしてくれるので、海の上で波にゆらゆら、海賊気分が満喫できるというわけだ。

「昔は自宅も海の上にあったんです。海が荒れたりすると家が揺れて揺れて、さすがに生活するにはしんどいですね」と浜部さんは苦笑する。(注:「浜部海賊料理店」ホームページ掲載の浮き座敷は古いもので、現在の浮き座敷は以下の写真の通り)。

海に浮かぶ浮き座敷の浜部海賊料理店。海賊気分が味わえる

「海賊料理」を振る舞う民宿も

「浜部海賊料理店」以外にも、海陽町など徳島南部の海部郡一帯の民宿などには「海賊料理」を売り物にしているところが多い。このあたりは海釣り、サーフィン、シーカヤックなどマリンスポーツのメッカであり、海の観光地でもあるのだ。浜部さんも海賊料理を提供する一方、釣り客を釣り場に船で案内する渡船業も営んでいる。

水床湾ではシーカヤックを楽しめる

海岸沿いを走る土佐浜街道沿いには「海賊料理」の看板が目につく。そんな看板を掲げて宿泊客に「海賊料理」を振る舞う民宿のひとつに海陽町の海山荘がある。1泊2食付きで1泊5,076円だが、海賊料理は別料金となる。

道路沿いの「海賊焼き」の看板

別料金で「海賊料理」を楽しめる民宿海山荘

●information
民宿海山荘
徳島県海部郡海陽町浅川字鯖瀬24-11

ほかにも徳島市の「ししくい」、海部郡牟岐町の「民宿しらきや」、「黒潮の味 屋形船」など「海賊料理(海賊焼き)」を提供する店は数多い。徳島県観光協会や海陽町観光協会などがホームページで「海賊料理」の食べられる店を紹介しているので参照してほしい。

●information
徳島県観光協会「阿波ナビ」

海陽町観光協会