漫画『釣りバカ日誌』の原作者・やまさき十三が72歳にして初めて監督に挑んだ映画『あさひるばん』が29日に公開を迎える。約30年前に高校球児だった浅本有也(國村隼)、日留川三郎(板尾創路)、板東欽三(山寺宏一)の"あさひるばん"トリオが、当時マドンナだったマネージャー・阪元幸子(斎藤慶子)の娘・有三子(桐谷美玲)から一通の手紙を受け取ったことがきっかけで、物語は展開。國村、山寺との絶妙な掛け合いを披露し、お笑い芸人のほか、俳優、監督としても活躍する板尾創路に話を聞いた。

板尾創路
1963年7月18日生まれ。大阪府出身。1986年にほんこんと共にお笑いコンビ・130Rを結成。芸人としてバラエティ番組に出演する一方、映画やドラマ、舞台などに出演。2010年に『板尾創路の脱獄王』で監督デビュー。2作目となる『月光ノ仮面』(2012年)は、第35回モントリオール映画祭に正式出品された。

――脚本を読んだ時の第一印象をお聞かせください。

3人が、(元マネージャーの娘を)自分の娘やと全員思っているシーンがあったんですけど、そこを國村さんと話してました。3人の同級生が3人とも娘と思っているということは、ヒロインの斉藤慶子さんは3人とそういう関係になったのか…と(笑)。それでええんか? という話をしたのは覚えてますね。恋多き人っていえばいいんですけど、そういうふうに映ると得する映画ではないなと思っていたので、そこを國村さんと相談してました。

――3人のやりとりがとても自然でしたが、現場ではどのような雰囲気だったのでしょうか。

國村さんとはもともと仲良くさせてもらっていて、山寺さんとは僕も國村さんも初めてだったんですけど、山寺さんは人柄もよくて、場を明るくしてくださる方でした。3人が集まると同級生っぽく、自然と仲良くなりましたね。それは画面にも出ていると思います。

――3人がプロレスでじゃれあったり、グータッチをしたりなど、中にはアドリブの演技もあったそうですね。

現場で考えて僕が提案したこともありましたし、何よりも3人のシーンが多かったですからね。監督からも、いろいろ思うところがあったらやってくださいと言われていたので、待ち時間に自分らでいろいろ話し合ってました。これまでの現場でもそういうことは多々ありました。自分らで埋めていかなければならないことはありますからね。

――そのやまさき監督は、72歳で監督デビューとなりましたがいかがでしたか。

昔は助監督で映画を撮ることを目指していらして、まずはそこがすばらしいなと。その後は漫画の方に転向されて、大成功。今回、原点に帰って来はったというか、そういう人生もいいなと思います。

普段は無口でおとなしいおじいちゃんみたいな方で、監督としての圧力もないですし、すごく優しい。どちらかというと、おじいちゃんに癒やされるような印象でした。でも、72歳でデビューってあまりないですよね。宮﨑駿さんが引退されたりしましたが、一方ではこうしてデビューする人もいる。そこに参加できて、とてもよかったと思います。

――これまで2作品の監督を務めてこられましたが、監督を経験した上での俳優業はまた違った気持ちなのでしょうか。

監督の気持ちが分かるというのもありますけど、現場のことがよく分かるようになりました。いろんなことに気付くし、監督やってから俳優で映画に参加すると、やってほしいことがすごく分かってしまう。それがいいのか悪いのか分かりませんが…。

そもそも俳優は、そこまで考える必要がないですからね。別に俺やったらこうするなとかはないんです。それは監督によって違いますし。でも、監督をやった経験は俳優に生かせていると思います。ひょっとしたら、使う側は使いにくいかもしれませんが(笑)。

――やまさき監督の演出で印象的だったことはありますか。

いろいろな現場で役者さんがアイデアを出したりしますけど。監督の中にも作品のイメージはあって、コメディでもきつい表現とか、角を取っていくようなというか、言葉にすごく気を遣っていらっしゃいましたね。そういうあったかくて、みんなが楽しめるような雰囲気の現場で。お芝居も割と自由にやらせてもらいました。演技についての細かい指示はあまりありませんでした。

――3人で鍋を囲んでいるシーンがあります。そこで、日留川(板尾)が板東(山寺)の鍋を取ってあげていますよね。

板東は仮出所したこともあって、ごちそうみたいな感じでした。そういう振りもありましたよね。鍋にすごく反応したり、食べ物をすごくガツガツ食べたり。だから、友だちとして「食べろ食べろ」という感じだったんです。特に台本に書いてあったことではないんですけど、流れで自然とそうなりました。