コンピューターというハードウェアを活用するために欠かせないのが、OS(Operating System:オペレーティングシステム)の存在です。我々が何げなく使っているWindows OSやOS XだけがOSではありません。世界には栄枯盛衰のごとく消えていったOSや、冒険心をふんだんに持ちながら、ひのき舞台に上ることなく忘れられてしまったOSが数多く存在するのをご存じでしょうか。「世界のOSたち」では、今でもその存在を確認できる世界各国のOSに注目し、その特徴を紹介します。今回は現在のWindows OSに連なるワークステーション向けOS「Windows NT 3.x」を取り上げましょう。

Windows NTを生み出したDavid Cutler氏

執筆時点での最新Windows OSはWindows 8ですが、その源流をたどっていきますと、David Neil Cutler(デヴィッド・ニール・カトラー)氏が中心となって開発したOS「Windows NT」にたどり着きます。本稿では何度も登場してきたCutler氏ですが、その全体像を述べたことはありませんので、彼の足跡をたどるところから始めましょう(図01)。

図01 Microsoftの「Technical Recognition Awards」に残されていたCutler氏のプロフィール。2007年時点の写真が掲載されています

Cutler氏は1971年に入社したDEC(Digital Equipment Corporation:1998年にCompaq Computerが吸収合併し、2002年には同社がHewlett-Packard Companyにより吸収合併されている)のミニコンピューターであるPDP-11用リアルタイムOS「RSX-11M」の開発に携わりました。ただし、同氏のキャリアはDECではなく、米国の大手化学会社Du Pont(デュポン)から始まります。大学卒業後の1965年に同社へ入社した当初は、発泡の保温材を衣料に使う方法を考案する仕事に従事し、ここで同氏はコンピューターについて初めて学びました。

しかし、同氏の才能が発揮されたのはUNIVAC(ユニバック)製コンピューターの保守管理を行う部署に異動してからです。同コンピューターは当時既に古い部類とされていましたが、非常に高価なため、Du Pontは使い続けることを選択。同部署でCutler氏は信頼性を向上させるため、OSに直接触れなければなりませんでした。ここでようやくオリベット大学時代に専攻した数学や物理が花開きます。

よりOSに携わる仕事に就きたい、と考えたCutler氏はDu Pontを退社し、前述のDECへ入社しました。ここで同氏は前述のPDP-11のリアルタイムOSの開発で評価を得たのです。そもそもRSX-11シリーズは1970年代後半から同社のミニコンピューター上で動作し、多くの開発者の手で改良が加えられてきました。さらに小規模なメモリー搭載環境でも動作可能にするために、開発チームを率いたのがCutler氏です。

画期的だったのは、32キロバイトという狭いメモリー空間の中で、階層型ファイルシステムやアプリケーションのスワップ、リアルタイムスケジューリングを実装し、マルチタスク処理で動作していた点。同氏はHelen Custer(ヘレン・カスター)氏の著書「Inside Windows NT」に寄せたCutler氏の前文で「RSX-11Mおよびユーティリティー(ツール)は、スモールシステムからPDP-11/70(4メガバイトのメモリーと専用メモリーバスを装備。2キロバイトのキャッシュメモリーと専用バスで高速なI/Oデバイスを接続可能)のようなシステムを含む、(当時の)PDP-11全機種で動作した」と述べていました。なお、英文ですがCutler氏の前文は「こちら」で読むことができます(図02)。

図02 Helen Custer氏の著書「Inside Windows NT」。Google Bookでほんの一部を読むことができます

高評価を得たCutler氏は1975年7月から、同社のミニコンピューター「VAX(バックス)」用OS「VMS」の開発チームに参加しました。同デバイスは16ビットミニコンピューターだったPDP-11シリーズを32ビットに拡張した商用ミニコンピューターです。開発コード名はVAXがStar(スター)、VMSがStarlet(スターレット)と名付けられ、その一体性を表しています。Cutler氏以外にもXerox Data Systems(XDS)の開発に携わったことで有名なDick Hustvedt(ディック・ハストヴェット)氏やPeter Lipman(ピーター・リップマン)氏が各プロジェクトリーダーを担当しました。

VMSの誕生で有名な逸話が、Blue Ribbon Committee(ブルーリボン委員会)と名付けられたVMSの設計を簡素化するために立ち上げられた委員会です。StarletプロジェクトのリーダーであるRoger Gourd(ロジャー・ゴード)氏が統括し、Starプロジェクトに参加している3人のハードウェア技術者とCutler氏ら3人で構成されていました。そもそもVMSは「Virtual Memory System」の略称であり、その根源となったのが同委員会で採用したシンプルなメモリー管理とプロセスのスケジューリング手法です。1976年春にVMSは完成し、翌年の1977年10月には、初のVAX-11シリーズとなる「VAX-11/780」と一緒にVMSが世に送り出されました。

その後もCutler氏は、MICRO VAX-1の設計やRSTS(Resource Sharing Time Sharing System)のデスクトップ版開発プロジェクトに携わりますが、粗暴とも言える性格や発言が周囲との軋轢(あつれき)を生み、当時上司であり良き理解者だったC. Gordon Bell(C・ゴードン・ベル)氏から自身のプロジェクトチームを持ってはどうか、という助言されました(図03)。

図03 Microsoft ResearchのWebページに残されているBell氏のプロフィール。同氏は1991年の同研究所設立に携わっていました

当時のDECに芽生えていた官僚主義と、VAX-11の成功でVMSプロジェクトの方向性が自由に変えられなくなったことに嫌気が差していたCutler氏は、DEC本社から遠く離れたワシントン州シアトルにラボを設立。ここで同氏はOSだけでなく独自のコンピューターを設計したいと考えていましたが、後ろ盾となっていたBell氏が体調を理由にDECを1983年に退社し、自身の意見が上部に通じなくなっていたのです。