脇坂氏の「86」へのインプレッションは、「クルマに乗り込んで座って、背中がシートに付く、手のひらがハンドルをにぎる、足の裏がペダルに付く。僕らはそのわずかな接点だけでクルマの動きを感じながらドライビングする。『86』はわずかな接点から伝わってくるクルマの動きが伝わる」とのこと。

ドライバー4名をはじめ、登壇者たちの「86」への熱い思いが交わされた

「クルマ側が僕の操作に対して、少しでも濁りのあるような動きになった場合は、クルマに対して良くない印象を持つ。でも『86』に乗ったら、ハンドルから伝わってくる感覚、ブレーキング、アクセルとエンジンのレスポンス……、マニュアルもそうですけど、セミオートマのパドルシフトのダイレクトさも、レーシングドライバーを満足させる仕上がりになっています。このクルマはドライビングのいろんなことを学べる材料になるんじゃないか」(脇坂氏)

「ATが非常によくできている。女性に乗ってほしい」

この日行われたイベントでは、Facebookで募集した招待者が、『86』にちなみ86名来場しており、招待者からのメッセージも紹介された。「『86』で楽しみたいこと」という問いに対しては、「スポーツカーだけど、そこにこだわらず、クルマでできることを全部やりたい」「サーキットを走ってみたい」「日本中に行ってみたい」など。「大人の無駄遣いをしてみたい」という意見に一同が笑い、「20年後に中古で買って子供たちと楽しみたい」という意見には、誰ともなく「その頃まで『86』があるかなあ」「でも、AE86だって20年経っても走ってるクルマがあるしね」とのコメントが。「仲間と同じ『86』を買って、楽しさを共有したい」という意見には、モリゾウ氏と多田氏がうれしそうにうなずいていた。

また、ゲストのレーシングドライバーたちが「86」との付き合い方を語る場面も。

影山氏は、「『86』はとても良い素材。良い食材はフランス料理や中華料理など何でも作れる。自分も『86』を自分好みの味に仕上げていきたいし、ぜひみなさんも自分なりに料理してほしい」

飯田氏は、「実を言うと、自分の『86』1台目はATを発注したんです。マニュアルもいいけど、ATを極めたくなった。このATとパドルシフトはとてもいい。ATでモリゾウさんと勝負したい(笑)。ATが非常によくできています。スポーティで、女性に乗ってもらいたいですね。このクルマを通勤に使ったら、朝、会社に行くまでの時間が楽しくなると思う。それにスマートでカッコイイから、(バリバリのチューンではなく)助手席に乗ってもらえるスポーツカーにしたい」

脇坂氏は、「『86』に乗るところが第1歩。そこから、自分がどう走らせたいか、どう楽しみたいか、どんどん探ってほしい。自分の走りを育ててください。ユーザーの皆さん、いまチャンスですよ。トヨタ自動車は皆さんの声を聴きながら、モータースポーツの文化を作っていくために、いろいろチャレンジしていると思う。だから、販売店に行ってコミュニケーションを取って、いろんな声を届けてほしい。トヨタもきっと応えてくれると思う。それは僕も普段トヨタの方と接していて、すごく感じることです」

小林可夢偉氏、元マツダ社員もサプライズで登場

「86は子どもに夢を与えるクルマ」と小林可夢偉氏

この後、さらにスペシャルなメッセージが待っていた。ひとつはF1ドライバー、小林可夢偉氏がビデオで出演したこと。

「『86』は誰が乗っても楽しめると思う。運転する技術を練習するクルマとしてもいいと思った。若い人だけではなくて、年配の人もぜひ乗ってもらって、昔のクルマブームの時代が戻ってきてくれたらうれしい。そうなったら、子供たちに夢を与えて、その子供たちが大人になって、またその子が大きくなったら、その子供たちに伝えて……。そうしてクルマの夢が広がっていく。こういうクルマに関わって、自分もクルマの夢を作り続けたいと思います」

続いてのサプライズは、なんと元マツダ社員、ロードスター・RX-7開発主査で、退社後は山口東京理科大学教授を務める貴島孝雄氏が登壇した。じつは同氏がまだマツダに在籍していた頃、多田氏の相談に乗っていたという。

「2007年、マツダにいた頃に多田さんから電話があって、『トヨタの多田ですが、スポーツカーの話をしたいので広島にうかがっていいでしょうか?』と。えっ!? と思ったけど、『大歓迎ですよ』と応えたら、営業の方とお見えになりました。『スポーツカーの経営承認が取れないんだけど、マツダさんはどうされていますか?』と聞かれ、私は、『マツダのスポーツカーは、自動車メーカーのプライドと、エンジニアのパッションが決めるんです。収益はその次。エンジニアががんばって、収益の上がるクルマに仕上げるんですよ』と。今度は多田さんが驚かれた」

多田氏との極秘エピソードを披露した貴島教授

2009年に行われた東京モーターショーで、2人は再会する。「多田さんがニコニコしていらっしゃって、『社長直轄の部署を作ってもらいました』と。それで私は、ああ、『86』が生まれるんだなと思いました。マツダの関係者でありながらうれしく思いました」

貴島氏は、「日本のスポーツカーカルチャーは欧米にまだまだ追いつかない。でも、トヨタはメーカーの壁を超えてスポーツカーを盛り上げようとしている。だから一緒にがんばろうではありませんか。20年先のスポーツカーの文化を見て、今日のパーティが始まりだったなと懐かしみたいですね」と述べた。

トークセッションの締めくくりはモリゾウ(豊田)氏だった。

「私が社長になった時、100年に一度の大変革だった。モビリティの変化(スポーツカーからRV、SUVへ)。でも、100年前にもモビリティの変化があって、馬からクルマへという流れがあった。では、馬の文化は終わったかというと、いまだにホースレース(競馬など)の文化は息づいて、馬好きの人々が支えている。市場規模はさておき、クルマ好きの人々がいる限り、スポーツカーはなくならないと思うし、メーカーは挑戦していくべきだ。私たちは車好きのためにいい車を作っていきたい。そして皆様からご支援をいただきたい。それがCMにも入れた『Fun To Drive, Again』に込めた思いです。そこにはモリゾウとしての自分自身の思いもある。これからもいい車を作っていきたい。ご期待ください。『86』で一緒に楽しみましょう」

関連サイト
toyota.jp 86
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