コンピューターというハードウェアを活用するために欠かせないのが、OS(Operating System:オペレーティングシステム)の存在です。我々が何気なく使っているWindows OSやMac OS XだけがOSではありません。世界には栄枯衰退のごとく消えていったOSや、冒険心をふんだんに持ちながらひのき舞台に上ることなく忘れられてしまったOSが数多く存在します。「世界のOSたち」では、今でもその存在を確認できる世界各国のOSを不定期に紹介していきます。今回は「Haiku」を紹介します。
時代のあだ花となった「BeOS」
時代は約20年前となる1990年。当時はバブル景気も最盛期に達しつつも、翌年から始まる平成不況の影にも気付かず、皆が日常をおう歌していました。任天堂が家庭用ゲーム機「スーパーファミコン」を発売し、パーソナルコンピューター界わいでは、コンシューマ向けマシンとして発売されていた「MSX2」が熟成期に入った頃。Windows OSはようやくMicrosoft本社でWindows 3.0がリリースされた年です。この年に本題の基盤を作ったOS「BeOS」が産声をあげました。
BeOSは独自のハードウェア「BeBOX」を設計し、そのハードウェアの専用OSとして開発がスタートしています。当初はApple本社で開発責任者の任を担っていたジャン=ルイ・ガセー(Jean-Louis Gassee)が独立して起業したBe社(当時はBeOS社)のコンピューターとして発表されましたが、世間に公開されたのは1995年頃。当時のMacintoshが採用していたPowerPC上でBeOSの動く様を目にするようになり、翌年には同CPUを搭載していたPower Mac(Macintosh)で動作するようになりました。
この頃のAppleは旧態依然のMac OSからの脱却に難航しており、同社は次世代OSの候補として当時NeXT社を設立していたスティーブ・ジョブズ(Steven Jobs)のOPENSTEP、MicrosoftのWindows NT、そして前述のBeOSを候補にあげていました。このときAppleがBeOSを選択していれば、今のコンピューター界わいは大きく様変わりしていたことでしょう。過去のしがらみにとらわれず一から書き上げた真新しいBeOSは、設計思想から洗練されていました。同等のハードウェアスペックを備えるコンピューターでMac OSとBeOSを比較しますと、そのパフォーマンスはBeOSに軍配があがり、その登場を多くのユーザーが待っていたほどです。
しかし、ルイ・ガセーが提示した金額はAppleが想定していたものと大きく開きがあり、交渉時点で未完成であったことも相まって、AppleはOPENSTEPを選択しました。そして現在のMac OS Xにつながっていきますが、主旨が異なりますのでこの話は割愛。紆余曲折を経てルイ・ガセーが選択したのがIntelプラットフォームという新天地です。当時はDOS/V(PC/AT互換機上で日本語を表示可能にした日本語環境)マシンを使っていた筆者も、あこがれていたBeOSが手持ちのマシンで動作するということで興奮したことを覚えています。
1998年にIntel版としてBeOS R3(Release 3)が発売されましたが、もちろん国内で入手する術は多くありません。当時Be社と総販売代理店契約を結んだぷらっとホーム社から購入し、手持ちのDOS/Vマシンに早速導入してみましたが、サポートするハードウェアが限られており、BeOSが認識するVGAカードやNICを買い求めるのが実に手間。ハードウェア面を整え、BeOSが稼働するようになってもOS自体が日本語を意識しておらず、OSを使えるようにするまでの負担がかかって仕方ありませんでした。
同年暮れには日本語フォントや日本語IMEを搭載したR4(Release 4)も登場し、早速バージョンアップしましたが、Windows 98で環境が整っていたことと、個人的興味がLinuxへ移っていたことも相まって、"インストールだけで満足"という結果に落ち着いてしまいました。その後もBeOSはバージョンアップを重ね、1999年にはR4.5(Release 4.5)をリリースし、2000年にはビジネスシーンでの活用を盛り込んだR5(Release 5)を発表。販売形態としてOEM供給や個人非商用向け無料版、従来のパッケージ版を用意することでシェアの拡充を狙いましたが、時既に遅し。
MicrosoftはWindows 2000を発売し、AppleもMac OS X Public Betaを発売するなど、現代に至るOSのシェアが確立した時期だけに、無料版を用意したのでしょうが、既にBeOSが入るすき間はありませんでした。開発途中のR5.1はひのき舞台にあがることもなく、2001年にはBe社は知的資産を売却して解散。1990年に生まれたBe社は同年をもって終わりを告げたのです(図01)。
「BeOS」から「ZETA」と「Haiku」へ
BeOSはひのき舞台に上ることはできませんでしたが、多くのユーザーに好かれてきたOSです。そこで生まれたのが商用OSの「ZETA」と、オープンソースで開発された「Haiku」です。まずは前者から紹介しましょう。Be社の知的資産はPalm社(現ACCESS Systems)に売却されましたが、そのPalm社からライセンスを2003年に得たのが独YellowTAB社。
BeOSのソースを元に独自開発を加えたOS「ZETA(ゼータ)」を開発し、2005年にデビューしました。日本でも販売代理店が現れ、当時の某コンピューター雑誌に体験版が収録されるなど、マイナーながらもWindows以外のOSとして認知されると思いましたが、筆者が知る限り盛り上がりを見せることはありませんでした(図02~03)。
2000年代中期はWindows XPの安定動作や、数多くのLinuxディストリビューションといった状況下でZETAを試そうとするユーザーは少なかったのでしょう。2005年にはバージョン1.1を市場に送り出しましたが、2006年には開発元であるYellowTAB社が破産保護下におかれ、販売を引き継いだ独magnussoft社もZETAの販売不振に伴い開発支援打ち切りを決定。2007年でその短い期間を終えることになります。本誌でも海上忍氏が破産保護下に至った際の記事、開発終了時の記事を寄稿していますので、一連の流れに興味を持たれた方はご覧ください。
ZETAに対する個人的な感想を述べれば、Mozilla Firefoxや独自のPDFビューアーなどのソフトウェアを用意し、BeOS R3時代のようにデバイスドライバ不足で悩まされることもなかったため、初めて使い物になるOSが登場した、という印象を持ちました。しかし、筆者が改めて述べるまでもなくOSは"環境"であり"縁の下の力持ち"でなければなりません。重要なのはOS上で使用するアプリケーションですが、安定動作していたWindows XPからZETAに乗り換えるメリットを見いだすこともできず、記憶から消えてきました。
もう一つの分かれ道である「Haiku」は、ZETAよりも早いタイミングで産声をあげました。オープンソース版BeOSを目指したユーザーが集い、OpenBeOSという名で開発が始まったのは2001年の話。同開発プロジェクトは、BeOSとの完全互換を目標としつつも、開発スピードはさほど速くありません。Linux(カーネル)の開発スピードを横で見てきた筆者にとっては、遅々とした印象を覚えるほどでした(図04)。
そしてプロジェクトスタートから8年の月日を経た2009年9月、「Haiku R1/Alpha 1」が初披露されました。日本国内でのHaiku/ZETA/BeOSプラットフォームやアプリケーションの普及などを支援するユーザーグループ「JPBE.net」でも大きく取り上げられています。翌年の2010年にはR1/Alpha 2が、昨年の2011年にはR1/Alpha 3がReleaseされるなど、開発スピードも少しずつ速まり、オルタネイティヴOSとして存在感を高めています(図05)。