今回の役作りにおいて、「身体的には特にしたことはなくて、そのままの自分で挑みました」というが、「役柄を落とし込む部分では、過去の自分を思い出すような作業が多かったです」と打ち明ける。

「10代の頃の自分は、孤立していた時期があったり、人から見たらすごく闇があるような雰囲気があったと思うんです。それは、自分も半四郎と同じく、自ら選んだ道ではなかったから。ありがたいことなんですけれども、演劇をやる環境に生まれ落ちて、当たり前のように舞台という道があって、その道をずっと歩んできたので。やっぱり自分の意思だけでやっていたわけではなかったので、どうしても苦しい時があったり、時には自分の感情を殺していたりしていたので、その頃のことを今回の半四郎をやる上で思い出していました」

半四郎という人間は、「生きているんだけど死んでいるような亡霊のようなイメージ。生きる道にずっともやがかかっているような状況で歩んできた人なんです」と紹介。過去の自分も「僕は役者として生きていこうと思ったのが23~24歳くらいで、それまではずっともやがかかっていたし、生きる道というものがしっかりと見えていなかったし、向き合っていない状況にありました」と、半四郎に重ねた。

そのもやが晴れたターニングポイントとしては、子どもが生まれたことが大きかったという。

「役者として生きる上で、自分がやるべきこととやりたいことを見つめ直したタイミングがその時でした。自分の意思ではなく役者をやっていた頃もあったけれど、すごくありがたい環境にいたことを改めて実感したんです。時間を使ってやってきた女形や立ち回りなどを、今の自分だったら楽しくできるかもしれない。自分で自分を楽しませる場所は、舞台や自分の劇団、そしてその劇団に携わってくれるみんななので、そういったものをもっと自分の手で作り出していこうと思いました」

この時期には、「絶対にまた力を付けて、みんなで集まりたいと思っていたんです」と、二代目を務めていた劇団朱雀を解散。その約5年後に復活したのには、「今まで自分のルーツとして大衆演劇で学んできたことをいかに作り直していけるかという目標ができたので、自分の生きる軸がまた一つできたんです」という思いがあった。

大衆演劇をブラッシュアップして広げる活動へ

芸歴30年という節目を迎えた早乙女。「今年は新たなチャレンジとともに、いかに若い世代の人たちに自分が大衆演劇で学んできたことをつないでいけるかを考えています。それこそ僕が劇団☆新感線や幸四郎さんに憧れたように。この『鬼平犯科帳』もそうですが、今まで続けてきてくれた方たちがいるからこそ、こうやって僕が参加できるわけなので」と意識を語る。

また、「大衆演劇が盛んだった当時は、その名の通り大衆に寄り添った一番身近なエンタテインメントだったと思うのですが、今はスマホもあるし、どこでもエンタテインメントが楽しめるので、全然“大衆”演劇じゃない。逆にすごくアングラな世界になってしまっているので、古き良きものを残しながらも、ただそれをつないでいくだけじゃなくて、いかに自分がブラッシュアップしてその世界を広げていけるかを課題として活動しています」という。

そのためには、舞台にとどまらず、今作のようなテレビ作品に出演することの重要性も感じている。

「映像作品でしかできないことは絶対にありますし、僕の根っこは舞台にあるので、テレビで僕を知っていただいて、興味を持っていただけたら、舞台を見に来ていただきたいという思いがあっての活動でもあります」