2021年2月24日~25日に開催された「グランドセイコー/セイコー オンラインサミット2021」では、多彩な新製品の発表とともに、時計製造の現場に携わるスタッフによるトークライブも行われた。ここでは、グランドセイコーの最新ムーブメント「キャリバー9SA5」をテーマに開催されたトークライブをダイジェストで再現する。
登壇者は、メカニカルキャリバー9SA5のムーブメント開発を担当した内山弘樹氏と、長年にわたりグランドセイコーのメカニカルキャリバーを組み立ててきた平賀聡氏。内容的に少々難しい部分もあるが、豊かで魅力的な機械式時計の世界を少しでも味わっていただければと思う。
機械(メカ)だけで時計を動かし、精度を守り、薄く、そして美しく
―― 今回、手巻き付き自動巻きムーブメント「キャリバー9SA5」(以下、9SA5)を搭載したグランドセイコーのHeritage Collection「Series 9」が発表されました。この9SA5はどのようなキャリーバーなのでしょうか。
内山氏:2020年に登場した、設計製造の両面で進化を遂げたキャリバーです。性能はもちろん、外観の仕上げにもこだわった非常に美しいものになっています。さらに、ムーブメントの薄型化にも取り組み、実用性を高めた設計となっています。
―― まさに、グランドセイコーの技術の結晶ともいえるメカニカルキャリバーということですね。それではここで、キャリバー9SA5の特長を見ていきましょう。
【グランドセイコー メカニカルキャリバー 9SA5の特長】
・10振動のハイビートながら、80時間のパワーリザーブを実現
・動力ゼンマイの力を効率よくテンプに伝える、デュアルインパルス脱進機の採用
・独自の巻き上げヒゲを実装し、緩急針を用いないテンプ「グランドセイコーフリースプラング」
・部品の垂直方向への重なりを避けた水平輪列構造によって薄型化を実現
・製造の地、岩手県雫石(しずくいし)の自然の情景を映し出す美しいムーブメント
―― いずれも画期的な進化かと思いますが、中でも特筆するとしたら、どのような点が挙げられますか?
内山氏:高精度をさらに安定化させることに加え、動作を長持続化することを開発の目標に据えました。そのために今回、新たに開発した「デュアルインパルス脱進機」と「グランドセイコーフリースプラング」、この2つが大きなポイントになっています。
まずデュアルインパルス脱進機は、従来の脱進機(※1)の構造を根本から考え直して、一から設計し直したグランドセイコーオリジナルの脱進機です。この新しい脱進機と2つの香箱(※2)を搭載することで、秒10振動のハイビートでありながら、80時間という長持続化を図っています。
(※1)脱進機:ガンギ車を一定速度で回転させ、時計の針を前に進める装置
(※2)香箱:機械式時計の動力となるヒゲゼンマイが収納されているケース
内山氏:そしてもうひとつの特長であるグランドセイコーフリースプラング、こちらも新規設計の調速機(※3)となっています。特に今回、ヒゲゼンマイの形状にも非常にこだわっていて、8万通りという途方もないシミュレーションを行い、そこからベストな形状を導き出しました。
この9SA5を、自信を持って今回のモデルに搭載しています。なお、このヒゲゼンマイを搭載したことによって、姿勢差(※4)に対する精度が安定し、そして衝撃にも非常に強くなっています。
(※3)調速機:回転など運動の速度を自律的に調整する装置
(※4)姿勢差:時計装着時や外して置いたとき、時計の姿勢(向き)によって精度がばらつくこと
―― さて、キャリバー9SA5の概要をお話しいただいたところで、先ほど挙げた5つの特長について、より深くご紹介していきましょう。まず9SA5の水平輪列構造についてお伺いしたいと思います。内山さん、なぜこの水平輪列構造に取り組んだのですか?
内山氏:はい、9SA5の目標のひとつとして、実用性の向上がありました。そこで、できる限り薄いムーブメントにしようと最初から考えていたのです。そのために今回、水平輪列構造と呼んでいる新しい輪列構造を採用しました。
9SA5のようなメカニカルキャリバーは、基本的に時計を動かすための基本輪列と、ゼンマイを巻き上げるための自動巻きの輪列を上下に重ねて設計するのが一般的です。でも、それではどうしてもムーブメントに厚みが出てしまいます。
「9S85」という既存のムーブメントはこの設計になっていたんですが、今回、9SA5を新しく設計するにあたり、基本輪列と自動巻きの輪列を同じ階層に置いて、重ならないようにしました。そうすることで、できるだけムーブメントを薄くしているんですね。これを我々は水平輪列構造と呼んでいます。これにより、従来の9S85に比べて、15%程度の薄型化を実現しました。そもそもムーブメントが非常に小さいものなので、その中での15%は大変なスリム化といえますね。
内山氏:実はさらにもうひとつポイントがありまして、機械式のムーブメントにはりゅうずが付いていますよね。そのりゅうずの位置をできるだけ裏ぶた側に下げる工夫をしています。そうすることで、腕に乗せたときに時計の重心が下がって、非常に腕なじみの良いものになるのです。このことも併せて、9SA5の実用性を非常に高めています
―― なるほど、大幅な性能アップにも関わらず薄型化を実現して、なおかつフィット感も増したんですね。
緻密! 繊細! そして美麗! 革新を続ける人類の英知
―― ところで、さきほど「香箱を2つ搭載している」というお話がありましたね。
内山氏:そうですね。今回は香箱を2つ使っていて、これをツインバレルと呼んでいます。ゼンマイを巻き上げるときには、まず一方の香箱(の中のゼンマイ)が最初に巻き上がります。ある程度巻き上がったところで、もう一方の香箱が巻き上がるという形で、交互にバランスを取りながら巻き上がっていく仕組みです。両方の香箱が完全に巻き上がると、一方のゼンマイがスリップして巻き上げ過ぎを防止するという構造になっています。
ゼンマイが解(ほど)けるときは、これと逆の動きになります。バランスを取りながら両方が解けていく形です」
―― なるほど。80時間という長時間駆動(パワーリザーブ)は、これにより生み出されているのでしょうか?
内山氏:80時間のパワーリザーブを実現する上で、このツインバレルは非常に大きなファクターです。が、実はこのツインバレルだけでは、80時間を達成するのは難しい。
じゃあどうするかというと、この2つの香箱に蓄えられた「(ゼンマイの)エネルギーをどう使っていくか」が、大きなポイントになってきます。エネルギーをうまく使うことで、持続時間を延ばしてあげることが大事になってくるんですが、その秘密は先に述べた新しい脱進機「デュアルインパルス脱進機」に隠されています。
―― ここで出てきましたね、デュアルインパルス脱進機!
内山氏:大抵の機械式時計は、クラブツースレバー脱進機というもの使っています。クラブツースレバー脱進機は、香箱のゼンマイのエネルギーをアンクルという部品を介してテンプに伝えるんですが、アンクルを1つ間に挟むぶん、脱進機効率(エネルギーの伝達効率)があまり高くないという性質があります。
今回の9SA5では、この脱進機効率を高めるため、クラブツースレバー脱進機のような従来の間接衝撃型の伝達方式に加えて、ガンギ車が直接テンプを叩くという直接衝撃型の伝達方式を組み込むことで、伝達効率を向上させています。
―― 間接と直接、2つの衝撃方法があるので「デュアルインパルス脱進機」と名付けられたのですね。さぁ、そしてテンプ(※5)が組み込まれて、時計の心臓が動き出すわけですが、内山さん、「グランドセイコーフリースプラング」と名の付くこのテンプの特長についても解説をお願いします。
(※5)テンプ:行ったり来たりする往復運動を正確に繰り返し、時計に精度を与える装置。車輪のような形をしている
内山氏:大きく2つの特長があります(写真参照)。右側の9S85は、ヒゲゼンマイの形状が平ヒゲといわれるフラットなものなんですが、左側の9SA5のヒゲゼンマイは巻き上げヒゲといって、途中でちょっと巻き上がったような形状になっています。この形状が、さきほどお話した8万通りものシミュレーションを行った上に見出したベストな形状です。この巻き上げヒゲ形状によって、姿勢差による精度への影響がさらに小さくなっています。
内山氏:また、9S85では緩急針と呼ばれる精度を調整する機構が入っていましたが、9SA5ではこれを外して、チラネジと呼ばれるネジを回すことで調整をする方式に変更しました。これがいわゆるフリースプラングといわれる方式です。このフリースプラングにすることで、これまで以上に繊細な精度の調整、追い込みができるようになりました。
内山氏:ちなみに、このチラネジ(赤丸の部分)を外側に出したり内側に入れたりすることで、精度を調整します。9SA5のテンプについては、調整技術はもちろん重要なんですが、それ以上に部品を作る技術が非常に大切です。形状も複雑でとても作りにくい形なので、高度な部品製造能力が要求されるテンプです。
―― 部品製造技術と組み立て、そして調整技能のどれもが高レベルで必要ということですね。そして内山さん、グランドセイコーフリースプラングには、世界初の工夫があると伺いました。
内山氏:はい。グランドセイコーフリースプラングの構造にはヒゲ持ちと呼ばれる部分があって、そこを回転させることで等時性(※6)を調整できる機構が付いています。ヒゲゼンマイの形状を微妙に変化させると等時性が変わるんですが、これまでのフリースプラングの時計では等時性の調整が難しいという課題がありました。しかし、我々は例の8万通りのシミュレーションで「ヒゲゼンマイの形状によって等時性が変化する」という知見を得たのです。
(※6)等時性:振り子が一往復する時間は、同じ重り(重さ)とヒモの長さであれば、揺れ方の大小に関係なく同じになるという原理
―― 9SA5は表面の仕上げも見事ですね。この美しさのコンセプトについても解説をいただけますか?
内山氏:グランドセイコーは「The nature of time」というブランドフィロソフィーを持っておりまして、表面の仕上げや受けの部分も大自然の情景をモチーフにデザインしています。9SA5では、受けの表面の仕上げを雫石川仕上げと呼んでいて、東北の自然の中をゆったりと流れる雫石川をイメージしています。これまでの9S85などで行っている仕上げよりも色味を抑えた、落ち着いた仕上げだと思いますが、いかがでしょうか。
なお、受けの部分は繊細な筋目模様になっています。これに対して、受けの外周や内周が鏡面で非常にきれいに仕上げられているので、コントラストを考えて、あえて上面はワントーン下げたデザインにしているんですね。
―― 9SA5はさまざまな革新的機能、そして構造を含め、まさにThe nature of time、グランドセイコーの哲学が形になったメカニカルキャリバーだということが理解できました。本日はありがとうございました。