Appleで有名な広告キャンペーンの一つに、2002年の「Switchキャンペーン」があります。Real Peopleキャンペーンともいわれ、Windows PCからMacに乗り換えた人々が白い背景の前でコメントをするコマーシャルです。国際的なキャンペーンでしたが、アイスランドと日本では、ローカライズ版のコマーシャルも放送されました。

2006年、すでにIntelチップに移行したMacでも、このSwitchキャンペーンのリバイバルがありました。そして現在は、MicrosoftがMacからWindowsへの移行を促す「逆」Switchキャンペーンともいうべき広告展開をしています。Switchというキーワードは、コンピュータの業界では、プラットホームを移行する際の象徴的なキーワードになりました。

かくいう筆者も、「Switcher(スイッチャー)」の一人です。

大学生だった2001年に、自作のDOS/Vパソコンから真っ白なノートパソコンだったiBook(当時)に乗り換えたのは、iPodが目当てでした。音楽が好きで、通学に2時間近くかけていた筆者にとって、CDやMDから解放されるという誘い文句は、非常に魅力的だったのです。毎朝4枚のMDを選ばなくていいのですから。

すでにWindowsにも対応していた第3世代iPodを用いたディスプレイ。2004年7月に、東京・原宿で撮影

1993年にNECのパソコンで、MS-DOSとWindows 3.0Bから使い始めた筆者にとって、Macへの移行が初めてのスイッチでした。マシンからOS、ウィンドウのシステムやデザインも異なり、それらは違和感でしかありません。今以上にトラブルが多かったパソコンに対して、それまで培ってきて、時には力技による解決も行ってきたノウハウは、ほとんど役に立たなくなってしまいました。

おそらく現在の方が、ソフトウェア面やシンプルな使い勝手の面で以降はしやすいと思いますが、当時はより対立色も鮮明で、わからないことをサポートしてくれるコミュニティまで、大学内で別れていた印象です。もちろん、Macは超少数派でしたが、所属していたゼミにはMacユーザーが多かった点は救われました。

パソコンのプラットホームの移行は、パソコンそのものの買い替えコストに加えて、それまで使ってきたソフトウェアが丸ごと使えなくなってしまいます。Mac向けにMicrosoft Office for MacやAdobeのアプリケーションはありましたが、Windows版はもちろん使えないため、ゼロから揃え直さなければならなくなります。当時主要ソフトは1~2年ごとにバージョンアップ版が発売されていたため、バージョンアップがスイッチのタイミングとして最適でした。

音楽編集系のソフトなどは、同じソフトがMacにはなく、異なるソフトを購入して使い方を覚え直さなければならないこともありました。お金の意味でのコスト以外に、習得コストは思った以上に大きいのです。

その経験があることから、同じApple製品であっても、MacからiPadへの移行は筆者の中では「スイッチ」と認識していました。そのことは、スイッチすることを遅らせるには十分な理由となっており、いつしか、筆者がスイッチに踏み切るには何らかのきっかけが必要になっていたのです。