問題をおさらい!
正解はこちら!
【答え】トヨタ・スポーツ800
正解はトヨタ自動車の「スポーツ800」でした。
トヨタ博物館(愛知県長久手市)は2025年1月13日に「来館者累計800万人」を達成しました。「800」という数字にちなみ、クルマ館のエントランスにはトヨタ「スポーツ800」とホンダ「S800」を展示しました。
実はこの2台、半世紀以上も前から"永遠のライバル"と言われています。トヨタがわざわざホンダ「S800」を用意して博物館に展示したのは、2台のクルマがライバル関係にある何よりの証拠です。
しかし、トヨタ「スポーツ800」とホンダ「S800」の間には歴然とした性能差があり、レースの世界では、とてもライバルと呼べるような関係にはありませんでした。両モデルのスペックは以下の通りです。
トヨタ「スポーツ800」の概要、スペック
ボディサイズ:全長3,585mm/全幅1,465mm/全高1,175mm
エンジン:790cc・空冷水平対向2気筒OHVエンジン
車体重量:580kg
最高出力:45ps/5,400rpm
最大トルク:6.8kg・m/3,800rpm
最高速度:155km/h
ホンダ「S800」の概要、スペック
ボディサイズ:全長3,335mm/全幅1,400mm/全高1,215mm
エンジン:791cc・水冷直列4気筒DOHCエンジン
車体車重:755kg
最高出力:70ps/8,000rpm
最大トルク:6.7kg・m/6,000rpm
最高速度:160km/h
ではなぜ、この2台の「ライバル伝説」が半世紀以上も続いているのでしょうか。実はこの伝説、1965年7月に船橋サーキットで行われた「全日本自動車クラブ選手権」から始まっています。
400ccから1,300ccまでのGTカーが争う「GT-1レース」では、ダイハツ工業「コンパーノスパイダー」や日野自動車「コンテッサ」などの当時のスポーツカーが40台もエントリーしていましたが、優勝候補は生沢徹のホンダ「S600」と浮谷東次郎のトヨタ「スポーツ800」に絞られていました。
このイベントの最終レースとなったGT-1クラスは、スタート直後に予選4位の浮谷東次郎が3位に浮上し、予選トップの生沢徹を追いかけます。ところが、5周目にアクシデントが発生します。船橋サーキットの難所"トイレ裏カーブ"でイン側に入った浮谷東次郎が生沢徹に接触してしまうのです。
その際に浮谷東次郎のトヨタ「スポーツ800」はフェンダーがへこみ、予定外のピットインを強いられます。その結果、53秒ものハンディを負ってしまい、順位を最下位まで落としてしまいます。しかし、そこから鬼神のような追い上げを見せ、24周目には集中力を失った生沢徹を捉え、奇跡ともいえる大逆転優勝を成し遂げてしまうのです。 これが、今なお語り継がれるトヨタ「スポーツ800」の伝説の逆転劇です。
つまりこれはトヨタ「スポーツ800」とホンダ「S600」の戦いであり、ホンダ「S800」(販売期間1966年~1970年)はこの時、まだ誕生すらしていません。トヨタ・スポーツ800にとって本当のライバルは、ホンダのS600だったのです。また、この出来事は生沢徹と浮谷東次郎のライバル同士の戦いという見方もできます。ちなみに、生沢徹はスカイラインがポルシェの前を走るという、あの「スカイライン伝説」を生み出したレーシングドライバー(当時のプリンス自動車でワークスドライバーとして活躍)でもあります。
「どこで言い伝えが捻じ曲げられてしまったのか?」という点については、誰も知る由がありませんが、そこには「ホンダには絶対に負けられない」というトヨタのプライドみたいなものがあったのかもしれません。
それでは、次回をお楽しみに!
監修: 旧車王(https://www.qsha-oh.com/)
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