東京大学(東大)は10月11日、物理的なシステムを人工ニューラルネットワーク(人工NN)として用いる「物理リザバーコンピューティング」において、課題となっていた熱的ノイズに強く超大規模並列計算を実現する新たな動作原理を発見したことを発表した。

同成果は、東大大学院 工学系研究科 物理工学専攻の小林海翔大学院生、同・求幸年教授の研究チームによるもの。詳細は、英オンライン総合学術誌「Scientific Reports」に掲載された。

クラウド環境を利用せず、個々の端末で超低消費電力かつリアルタイムにAI情報処理を行うAIハードウェアは、次世代IoT社会を大きく推進するキーテクノロジーとして期待されている。しかし、従来型のアーキテクチャでの実現は困難とされており、新たな情報処理方式が強く望まれていた。

そこで特に注目されているのが、物理リザバーと呼ばれる人工NNを用いた情報処理フレームワークである、物理リザバーコンピューティングだ。そこでは、処理したい時系列情報を適切な物理信号へと変換し、物理リザバーへ入力。応答として引き起こされるダイナミクスは、物理リザバー内で入力情報を非線形変換したものと捉えることができるため、その測定結果に簡易な学習プロセスを施すことで、所望の情報処理を実現することが可能とされる。

この情報処理性能は物理リザバーの特性に依存するため、これまでさまざまなシステムのリザバー性能が検討されてきた。特に、磁性体を用いた物理リザバーは複雑なスピンダイナミクスを有するため、汎用性や省電力性、非線形変換性などの観点でほかの物理リザバーに対する優位性があると考えられている。しかし、そのデバイス実用化にあたっては、急激な情報散逸を引き起こす熱ノイズへの対策と、効率的な集積化方法の開発という2つの大きな課題が残されていたという。

  • 磁性体を用いた物理リザバーコンピューティングの概要図。

    磁性体を用いた物理リザバーコンピューティングの概要図。(出所:東大プレスリリースPDF)

そこで研究チームは今回、磁性体を用いた物理リザバーコンピューティングにおいて、熱ノイズへの堅牢化と時間・空間両方に関する大規模な並列化を同時に達成する新方式の開発を目指したとのことだ。

今回のポイントは、磁性体物理リザバーを構成するスピンのダイナミクスにおいて、入力情報がどの周波数成分に保持されるかに着目した点だという。交流磁場を介して時系列情報を入力し、誘起されたスピンダイナミクスの周波数依存性を精査したところ、入力周波数成分のみが入力情報を保持していることを見出したとする。

従来の磁性体物理リザバーでは、外部からの熱的なノイズによりスピンのダイナミクスが乱され、時系列処理に必要な入力情報の記憶が急激に散逸してしまう問題を抱えていたとのこと。しかし、スピンダイナミクスの入力周波数成分のみを透過する周波数フィルタを導入することで、不要な周波数からのノイズが極限まで削減され、熱ノイズ下でも時系列記憶を保持し続けることが可能となったという。

  • 時事刻々と入力が与えられる時系列処理において、過去の入力情報を復元する性能を評価した図(周波数フィルタによる熱ノイズ下での時系列記憶保持)。

    時事刻々と入力が与えられる時系列処理において、過去の入力情報を復元する性能を評価した図(周波数フィルタによる熱ノイズ下での時系列記憶保持)。周波数フィルタを用いない従来手法では、絶対零度(T=0)以外では熱ノイズにより情報が急激に散逸するが(左)、今回の研究で開発された周波数フィルタの導入により、熱ノイズ下でも長い期間情報を保持できている(右)。(出所:東大プレスリリースPDF)

このような周波数フィルタによる情報抽出手法を応用することで、磁性体物理リザバーコンピューティングの周波数に関する並列化が実現された。処理したい時系列情報が複数ある時、それぞれを異なる入力周波数を用いて交流磁場へ変換し、重ね合わせとして磁性体物理リザバーへ入力する。この時、磁性体物理リザバーのスピンダイナミクスでは、各入力情報がそれぞれに割り当てられた入力周波数で独立に処理される。そこで、周波数フィルタを用いてスピンダイナミクスを分割すると、それぞれの入力情報の計算結果が対応する入力周波数成分から抽出できるとする。

同様に、交流磁場を磁性体物理リザバーの限られた空間領域にのみ印加すると、その領域内のスピンのみが入力情報を反映したダイナミクスを示す。このことから研究チームは、異なる情報を異なる領域に入力し、それぞれの領域のスピンダイナミクスで独立に情報処理を行うことで、空間的な並列計算を実現できるとしている。この空間並列化は、個別のスピン単位まで微細化した領域でも動作することを確認したとのこと。つまり、周波数と空間領域における同時並列化により、膨大な数の計算単位を単一の磁性体物理リザバーに集積させる超多重並列計算を実現できるという。

  • 磁性体物理リザバーコンピューティングの周波数領域(左)と空間領域(右)における並列化の模式図(磁性体物理リザバーコンピューティングの時空間並列化)。

    磁性体物理リザバーコンピューティングの周波数領域(左)と空間領域(右)における並列化の模式図(磁性体物理リザバーコンピューティングの時空間並列化)。異なる時系列情報に異なる入力周波数と入力領域を割り当てることで、単一の磁性体物理リザバー内で膨大な時系列情報を同時に処理することが可能だ。(出所:東大プレスリリースPDF)

研究チームは今回の手法について、膨大な並列度のAI情報処理を、単一の磁性体チップ上で高速かつ超低消費電力で実行できる新たなAIハードウェアの指導原理として、今後のAI・IoT社会を支える幅広い応用可能性を有しているとする。また同手法は多種多様な磁性材料に応用可能であり、より複雑な相互作用・磁気構造を有する磁性体を物理リザバーとして用いると、スピンダイナミクスの高次元性や非線形性が向上し、さらに高度な情報処理が可能になることが期待されるという。

研究チームは今後、磁性体の綿密な物質探索と、その物理リザバーとしての情報処理性能評価を両輪として行い、革新的なAIハードウェア技術の開発へ取り組んでいくとしている。