米国で躍進するバイオベンチャー

続いて、税金をどのように研究に使うか、という話。よく、科学者・研究者に対しては、「これだけ税金を使っているのだから、社会に役立つことをやれ」ということが良く言われるという。「これだけ金を使っているんだから、早くアルツハイマーなどの薬を開発しろ!」などというわけだ。

だが、脳は歴史上最も複雑な天然の機械であり、1人の人間の人生からすれば半世紀という時間は長いように感じるが、世界中の優秀な科学者・研究者がそれだけの時間をかけて研究していても、まだまだわからないことだらけの未知の領域なのである。

アルツハイマーの特効薬を早く作れ、などといわれても、実際のところ、まだ記憶の仕組みも一部しかわかっておらず、まだまだわからないことが山ほどあるのだ。よって、「そんな簡単にはできません」と利根川センター長は断言。基礎研究というものは時間がかかり、やってみないとわからないこともいっぱいあり、月にロケットを飛ばすといったこととはまた全然違うのだという。

基礎研究は、現在とることが可能な手段を使って研究しようということなので、「5年以内に薬を作れ」などといわれても、「そんなものはできるかどうかわからない。できるかも知れないけど、できないかも知れない」のである。基礎研究はそういう研究だからこそ、国が税金を使って長期のサポートをしてやるべきもの、というわけだ。その結果としてある程度の基礎知識を得られたら、それを薬の開発に役立てていこうというのは、本来は企業がやるべきものであるとする。薬の開発は国がやるべきものではなく、世界でも企業が行っているのが当たり前だという。

また米国の強みとしては、「中間の研究組織があること」だとする。いわゆる、バイオテクノロジー(バイオテク)企業のことだ。米国はベンチャーキャピタル(投資ファンド)が非常にたくさんあり、例えばある大学の研究室で新たな発見や新開発があり、それが実際に薬剤開発などで役立てられそうだとなったら、まず大学がパテントを取ってそれをライセンスし、資金を持っていて興味のあるベンチャーキャピタルがライセンスを受けて企業を作り、その発見した教授もアドバイザーなどとしてその企業に参画させ、基礎研究と実際創薬の間である「クリニカルトライアル」の段階の研究をやるのだそうだ。

そういう仕組みが非常に盛んで、そのため、大規模な製薬会社がそのレベルの仕事をやるのではなくて、大企業はたくさんあるバイオテク企業の中から成果があるところを買い取るという仕組みなのである。一番有名な例としては、サンフランシスコにあるジェネテックという最初にできたバイオテク企業を、世界的な製薬会社のロシュが買い取り、基礎研究と製薬の中間の研究を今でも続けているという。

それに対して日本の場合、ベンチャーキャピタルが少ないことがまず違うとする。利根川センター長が個人的に思うところとしては、投資の見返りを求めるのであれば、大学やBSIのような基礎研究をやっているところに、トランスレーショナルリサーチをやれというのではなくて、ベンチャーキャピタルを育む政策を、もっと強く導入すべきだとした。例えば、ベンチャーキャピタルを作ろうとしている人たちを税制措置で優遇するなどして育てるべきだろうという。利根川センター長は米国の様子を見てきており、肌でそうしたことを感じているとしている。

現状、それにも関わらず、「君たちは基礎研究しかしないから科研費を大幅に削減するぞ」などとしているわけで、「基礎研究のないところに成果など、何も生まれるわけがない」というわけだ。利根川センター長は「日本版NIHは自殺行為だ」とまでいい切る。そして、「こういう事実を、危機的な状況をマスコミの皆さんにはきちんと国民の皆さんに伝えていただきたい」とした。

なぜヒトは研究を続けるのか

そして話題は変わり、もう1つ伝えたかったことは、自分たち科学者や研究者がサイエンスを題材として研究に取り組んでいる理由だ。ヒトを含めて自然がいったいどうなっているのか不思議で仕方がなく、「その答えを出したいから、朝から晩まで、飲まず食わず……ではないけど、かなりの努力をしてきている」という。もちろん各種の疾病などを治したいとも思ってやってはいるが、必ずしも人道的な見地だけでなく、謎を解き明かしたいという思いが原動力となっていることが多いという。

また、科学者や研究者以外の一般の人であっても、好奇心というものは程度の差こそあれ、誰だって持っているはずである。そういう人たちにアピールするような、それに加えて、我々の周りで起こっているもしくは存在する自然界のミステリー対する興味を喚起するような記事を「記者の皆さんには書いていただきたい」とした。

その一例として利根川センター長が取り上げたのが、ニューヨークタイムズのJames Gorman氏が書いた記事の最後の部分(画像14)。理研が日本時間の7月26日に発表した、マウスの記憶に関する実験(記事はこちら)で、そのマウスがまったく経験したことのない誤りの記憶を作り出すことに成功したという発表に対するものである。実験は、経験していないのに経験したように思わせられる技術を用いたものだった。

画像14。ニューヨークタイムズのJames Gorman氏の記事の最後の部分

利根川センター長はGorman氏からの電話インタビューを受けて3時間以上話し、今回の記事はその後に書かれた記事であり、それを読んで感心したというのが、最後の部分に関することだ。好奇心だけでその部分を書いたという。今回の成果自体は人間を扱っていないが、人間でも誤った記憶を作り出すことは可能だし、人間は常に誤った記憶を作り出しているという。

そのことが大きな問題になることもあり、「えん罪」は今もって世界中で大きな問題となっている。目撃者の証言などのほかに、DNA鑑定が現在では採り入れられているわけだが、その導入により、過去に犯罪者とされて刑務所に収監された人たちの中にも無実の人たちも多くいることが示され、はたしてそういった人たちがどれだけの労苦と時間を過ごすことになったのかという新たな問題を浮き彫りにすることとなっている。思い込みや刷り込み、錯覚などによって誤った記憶を作り出してしまった目撃者の証言が、多くのえん罪を引き起こしてしまったのである。このように、人間では誤った記憶を作り出す能力を普通に持っているわけだが、利根川センター長ら理研BSIのスタッフがマウスに対して行ったのは、技術を用いて人為的に行うというものである。

ちなみに利根川センター長によれば、ヒトの誤った記憶を作り出せる能力は、進化の過程でメリットがあって獲得したわけではないと考えているという。ほかのことを得るために、トレードオフとして副産物的にこういうことが起こるようになってしまったのだろうとした。

周囲で起こっているさまざまなことに対して記憶を作るのは「リアルメモリ」だが、あるリアルメモリを作ってだいぶ時間が経過してから、何かほかのことが起きたとしよう。その何かが起こっている時に頭の中で前のことを思い浮かべることがヒトには可能で、それも常時やっている。要は、「思い出す」という行為だ。

しかし、思い出していると、前のできごとと今のできごとがくっついてしまって、まったく現実にはなかった記憶を作り出し、経験したように思い込んでしまうことがあるのである。ヒトの脳は、アートやサイエンス、ビジネスなど、あらゆる場面でクリエイティブな活動を行えるが、そういう能力と関係があるのだという。

そうした話を、Gorman氏の記事ではまとめられているということだが、利根川センター長は、このように人々の好奇心を刺激するような記事をぜひ書いてほしい、と我々メディアの人間に対してこの講演で何度目かとなる念を押した。一般大衆を見くびってもいけないし、それによって基礎研究の重要性も理解されてくる、ともいう。筆者もサイエンスライターを名乗る者の1人として、それは当然だと思うし、改めて自分に言い聞かせたいと思うところである。