産業技術総合研究所(産総研)は9月20日、ニチレイフーズとの共同研究により、カレイから抽出される不凍タンパク質「AFPI」を用いると、マウスのすい島細胞を4℃の非凍結温度で120時間(5日間)保存できること、また120時間保存した後のすい島細胞がインスリン生産能力を保持していることも見出したと発表した。

成果は、産総研 生物プロセス研究部門の津田栄 上級主任研究員、同・西宮佳志 主任研究員、同・坂下真実 主任研究員、ニチレイフーズ研究開発部 応用研究チームの小泉雄史研究員、同・井上敏文研究員らの共同研究チームによるもの。研究の詳細な内容は、9月17日付けで米オンライン科学誌「PLoS ONE」に掲載された。

カレイ由来の不凍タンパク質高純度精製品の画像。画像1(左):。画像2:3次元分子構造モデル(一本鎖αらせん)

糖尿病は血液中のブドウ糖濃度(血糖値)が高くなる病気で、2011年の統計によれば日本の糖尿病患者は約1000万人を超えており、世界で6番目に多い。運動療法や経口薬などによって症状が改善しない場合には注射により血糖値を下げるホルモン(ペプチド)であるインスリンを継続投与する必要が生じる。外科手術によって機能をなくしてしまったすい臓の代わりを患者に移植する方法も開発されているが、患者への負担が大きく、拒絶反応の問題もあり、ベストの解決策とはいえない。

この問題を解決するために開発された方法の1つが、「すい島(ランゲルハンス島)細胞」移植だ。すい島細胞とは、すい臓組織の中で集団を形成している、インスリンなどのホルモンを分泌する細胞のことだ。酵素を使ってすい臓をバラバラにしてそのすい島を集め、局所麻酔だけで血液バッグから点滴の要領で患者の肝臓の血管内に注入して移植を完了するというものである。すい島細胞移植によってインスリン分泌が再開するため、患者はインスリン治療継続投与する必要がなくなる仕組みだ。

従来のすい臓移植に比べ患者への負担が小さく、すい臓そのものではなく細胞だけを移植するため拒絶反応が起きにくいので、免疫抑制剤も活用することで2~3回のすい島細胞移植で治癒することが報告されている。しかし日本では臓器の提供量自体が少なく、移植を行う上での地理的ならびに時間的条件が制限されることが問題だ。ただし、仮にすい島細胞を数日間非凍結温度保存できれば、空輸などの手段で離れた医療現場間ですい島細胞移植を行うことが可能になるという。

そこでカギとなるのが不凍タンパク質で、産総研はこれまでの研究で魚類やキノコ類を始め、数10種類におよぶ日本の動植物が持つことを明らかにしてきた。不凍タンパク質は、氷の表面に結合してその成長を止める機能を持ったタンパク質だ。低温環境に適応した複数の生物から発見されており、魚類由来のものは氷だけではなく、細胞膜にも結合して細胞の安定性を向上させるものもある。

産総研では、個々の不凍タンパク質の構造や性能を詳細に調べると共に、食品分野や冷熱利用技術に不凍タンパク質を応用するための技術開発が行われてきた。また、ニチレイフーズは不凍タンパク質を生産する魚類の大量捕獲と不凍タンパク質粗精製品の冷凍食品応用などについて研究開発を進めている。近年になって、カレイ類から得られる不凍タンパク質がいくつかの細胞に対して保護効果を発揮することが示されたため、今回の研究で、マウスすい島細胞に対する不凍タンパク質による保護効果の評価が行われたというわけだ。

市販の細胞保存液は、無機塩、グリセロール、糖、アミノ酸などを含み、細胞の周囲の浸透圧やpHを整えてなるべく生体内に近い環境を作る働きをする。今回、タンパク質を含まない市販の細胞保存液に、各種の不凍タンパク質を溶かし、この細胞保存液を用いた場合のマウスすい島細胞の生存率が調べられた。

不凍タンパク質として、国産のカレイ類の魚肉から精製したFPI、寒冷な環境に生息する魚類であるワカサギの「AFPII」やタラの「AFGP」なども用いられている。対照実験には、細胞保護効果があることで知られる「ウシ血清アルブミン」(ウシの血清から精製される分子量約6万6000のタンパク質で、細胞保護作用を持つ)や「トレハロース」(2つのブドウ糖が「1,1-グリコシド結合」により結びついた糖類の1種で、細胞保護作用を持つ)を細胞保存液に溶解したものが用いられた。

実験は、37℃で培養したマウスすい島細胞を10mg/ml濃度の不凍タンパク質を含む細胞保存液に浸し、4℃の冷蔵庫内で保存した形だ。実験開始時の生細胞数を100%として、保存開始から24、72、120時間後の生細胞の割合(%)が調べられた結果(画像3)、特にカレイ類のAFPIを用いた時に、120時間後でも約60%の高い生存率が得られたのである(画像3)。

これに対し、ウシ血清アルブミンやトレハロースを用いた時には、すい島細胞は72時間以内にほぼ死滅してしまった。また、このAFPIを含む細胞保存液を用いて120時間非凍結温度下で保存したすい島細胞を体温付近(37℃)に戻したところ、保存前と同レベルのインスリン分泌能力を保っていることも確認されたのである。

画像3がマウスすい島細胞の生存率の経時変化だ。その見方だが、市販の細胞保存液(●)にAFPI(○)、AFPII(△)、AFGP(◇)、トレハロース(■)、ウシ血清アルブミン(▲)を市販の細胞保存液に溶かしたものを調製し、各々に10万個のマウスすい島細胞を浸漬した時の生存率の時間依存性が調べられた結果だ。

画像3。マウスすい島細胞の生存率の経時変化

さらに、共焦点レーザー顕微鏡を用いてAFPIがすい島細胞に吸着する様子の観察も行われた。不凍タンパク質を蛍光物質で標識した溶液にマウスすい島細胞を浸して、1時間経過した後の顕微鏡画像が画像4だ。AFPIはすい島細胞の細胞膜に満遍なく吸着していることが確認された。また、蛍光色素でウシ血清アルブミンを標識したものを用いての実験も行われ、AFPIの細胞膜への結合能力はウシ血清アルブミンよりもはるかに優れていることが判明したのである(画像5)。

画像4(左):共焦点レーザー顕微鏡による細胞観察結果。マウスすい島細胞の膜に対する蛍光ラベル不凍タンパク質(AFPI)の吸着を示す画像。画像5(右):AFPIとウシ血清アルブミン(BSA)の細胞膜吸着能力の違いを表す模式図

これまでに、電気化学顕微鏡などを用いた研究により、保存液に浸された細胞が時間経過と共に膨張して最終的に破裂して、機能を失うことがわかっている。今回の結果から、AFPIは細胞膜に吸着して細胞の膨張とそれに続く破裂を抑制し、結果的に細胞機能を維持できる期間を延長すると考えられるという(画像6・7)。

不凍タンパク質の細胞保護メカニズムを表す模式図。画像6(左):保存液中では、通常の細胞は72時間の時間経過と共に膨張しやがて破裂する。画像7(右):細胞膜に吸着した不凍タンパク質は破裂を防いで細胞を保護し、その生存時間を延ばすことができる

なお不凍タンパク質の安全性については、日本人が普段食べている魚から抽出されるものはいくつかの予備的な実験によって確かめられてきてはいるが、より詳細な評価法を用いて精査する必要があるとする。不凍タンパク質が副作用を示さずに細胞膜を保護するだけの機能を示すのであれば、今後細胞保存液には必ず不凍タンパク質が添加される可能性があるという。マウスすい島細胞について観察された今回の不凍タンパク質の保護効果はヒトのすい島に対しても同様に発揮されることが期待されるとする。すい島細胞移植がより広く普及し、糖尿病患者数の減少をもたらすことを期待したいと、研究チームはいう。

研究チームは今後、カレイ類の不凍タンパク質による細胞保存期間の延長効果をヒトすい島細胞に応用することを目指す予定だ。より多くの保護成分を含む細胞保存液に不凍タンパク質を溶かし、細胞膜保護効果を調べるとしている。その一方で、不凍タンパク質の分子構造のどの部分が細胞膜保護に関与しているのかの作用メカニズムの解析も試みるという。これらの研究を通じて、不凍タンパク質を活用した新たな細胞保護技術を開発していきたいとしている。