農業生物資源研究所(生物研)は6月29日、カイコの培養細胞を用いて、「幼若ホルモン」が変態(変身)を抑える作用を持つ遺伝子「Kr-h1」を働かせる仕組みを明らかにしたと発表した。

成果は、生物研 昆虫科学研究領域 昆虫成長制御研究ユニットの粥川琢巳任期付研究員らの研究グループによるもの。研究の詳細な内容は、米国東部時間7月2日付けで「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」に掲載された。

殺虫剤による害虫防除は、農作物の安定的な生産に大きく貢献しているが、その一方で使用を誤ると、環境や人体、またミツバチやテントウムシなどの益虫に悪影響をおよぼす危険性がある。そのため、環境や人体によりやさしく、害虫にだけ作用するような殺虫剤の開発が求められているのはいうまでもない。

昆虫の幼虫は、卵からかえると、幼虫のままほとんど姿形を変えずに脱皮を繰り返して大きくなる。十分に大きくなると、今度は幼虫から蛹、蛹から成虫へと劇的な変態を行う(画像1)。

画像1 昆虫の脱皮・変態における幼若ホルモンの役割

幼若ホルモンは、昆虫が幼虫が脱皮を繰り返すことを維持し、蛹へと変態するのを抑える働きを持つホルモンだ。昆虫が正常に成長するために、昆虫体内の幼若ホルモン量は、発育段階に応じて厳密にコントロールされている。

そのため、昆虫の体内に幼若ホルモンがほとんどない時期に、外から幼若ホルモンと同じ作用を持つ化合物「幼若ホルモンアゴニスト(幼若ホルモン剤)」を与えたり、逆に、体内の幼若ホルモン量が多い若い幼虫に、幼若ホルモンの作用を阻害するような化合物「幼若ホルモンアンタゴニスト(抗幼若ホルモン剤)」を与えると、昆虫は正常に発育することができない。

これを逆手に取って、幼若ホルモン剤や抗幼若ホルモン剤を、害虫防除に使おうという試みがなされている。幼若ホルモンの化学構造は昆虫のグループによって差があるため、特定の害虫種のみに作用する幼若ホルモン剤や抗幼若ホルモン剤が作れる可能性があるのだ。

現在、幼若ホルモン剤は一部の害虫の防除に利用されているが、若い幼虫にはほとんど効果がない。そのため、チョウ目昆虫の害虫「ヨトウムシ」などの防除には使用できていない状況だ。よって、抗幼若ホルモン剤があれば、ヨトウムシなどの幼虫を早く蛹にして農作物の被害を抑えることができると期待される。

しかし、これまでのところ、実用的な抗幼若ホルモン剤は開発されていない。その理由として、幼若ホルモンは60年以上前に発見されたにも関わらず、変態を抑える分子的なメカニズムに不明な点が多いからだ。そのため、抗幼若ホルモン剤を効率的に探索する方法が開発されていないのである。

そこで研究グループは今回、抗幼若ホルモン剤の効率的なスクリーニング法の開発を目指し、ゲノム情報や培養細胞が利用できる、チョウ目害虫のモデル昆虫であるカイコを用いて、幼若ホルモンの分子作用機構の解明に取り組んだ次第だ。

生物研はこれまで、甲虫のモデル昆虫である「コクヌストモドキ」を用いて、Kr-h1遺伝子が変態を抑える働きを持つこと、また幼若ホルモンはKr-h1遺伝子を働かせることで変態を抑制することを明らかにしてきた。

しかし、幼若ホルモンがKr-h1遺伝子を働かせる詳しい仕組みはまだ解明されていない。今回、カイコを用いて調べたところ、コクヌストモドキと同様に幼若ホルモンがKr-h1遺伝子を働かせていることが判明したのである。

次に、カイコ培養細胞を用いた「生物発光レポーターアッセイ法」(短時間、低コストで解析可能な、遺伝子の発現状態を化学発光の強度により測定する方法)により、幼若ホルモンがKr-h1遺伝子を働かせるのに必要なスイッチの役割をするDNA配列「幼若ホルモン応答配列」を発見した。

また、幼若ホルモンが、「幼若ホルモン受容体遺伝子(Met)」が作る「MET」タンパク質に結合し、さらにMETは「ステロイド受容体コアクチベーター(SRC)」遺伝子が作る「SRC」タンパク質と結合することがわかったのである。

研究グループは、この幼若ホルモン/MET/SRCの3つの分子の複合体が幼若ホルモン応答配列に結合することにより、Kr-h1遺伝子が働く(転写が活性化する)ことを明らかにしたというわけだ(画像2・3)。

画像2の左は、若齢幼虫で幼若ホルモンがKr-h1遺伝子を働かせる仕組み。細胞内に取り込まれた幼若ホルモンは、まずMETタンパク質と結合する。幼若ホルモンと結合したMETタンパク質は、さらにSRCタンパク質と複合体を形成してKr-h1遺伝子の幼若ホルモン応答配列に結合する。すると、Kr-h1遺伝子のスイッチが入って働き出す。

画像2の右は、終齢幼虫のもの。細胞内に幼若ホルモンがない時には、METとSRCのスイッチが形成されないため、Kr-h1遺伝子が働かない。Kr-h1遺伝子には、変態を抑える作用があるため、体内に幼若ホルモンがある若齢幼虫ではKr-h1遺伝子の働きにより変態が抑えられているが、終齢幼虫になると昆虫の体内から幼若ホルモンがなくなり、Kr-h1遺伝子のスイッチが切れて働かなくなり、そのために変態が起こると考えられる。

画像2。幼若ホルモンがKr-h1遺伝子を働かせる仕組み

ショウジョウバエ、ミツバチ、甲虫(コクヌストモドキ)、アブラムシなど、ゲノム情報がわかっているほかの昆虫にも、「幼若ホルモン応答配列(Kr-h1遺伝子)」、MET遺伝子、SRC遺伝子があるかどうか調べたところ、すべての昆虫でこれらの遺伝子が見つかった。

このことから、今回、カイコで明らかになった幼若ホルモンによるKr-h1遺伝子の誘導の仕組みは、昆虫に共通なメカニズムであると考えられるという。

今回の成果を生物発光レポーターアッセイ法に応用し、カイコ培養細胞を使って、幼若ホルモンと同様の効果を持つ幼若ホルモン剤や、幼若ホルモンの作用を抑える抗幼若ホルモン剤を効率的にスクリーニングする方法も開発された(画像3)。

画像3は、幼若ホルモン応答配列を利用した新しい薬剤のスクリーニングシステムの詳細。カイコ培養細胞に、今回見出された幼若ホルモン応答配列に、Kr-h1遺伝子の代わりにルシフェラーゼ遺伝子をつないだレポーターを導入することで、幼若ホルモン剤や、抗幼若ホルモン剤を効率的にスクリーニングするシステムが開発された。

調べたい化合物を細胞に与えて、発光すれば幼若ホルモンと同じ活性があることがわかる(A)。また、調べたい化合物と幼若ホルモンを同時に細胞に与えて、発光しなければ、幼若ホルモンを抑える活性があることがわかる(B)。

将来的には、この方法を用いて見つけた抗幼若ホルモン剤から、ヨトウガなどの害虫を小さい内に早く蛹にして、作物の被害を減らすような新しいタイプの薬剤が開発されることが期待される(C)。

画像3。幼若ホルモン応答配列を利用した新しい薬剤のスクリーニングシステム。図中のJHアゴニストとは幼若ホルモン剤のことで、JHアンタゴニストは抗幼若ホルモン剤のこと

研究グループは今後、「トビイロウンカ」などの重要害虫や、ミツバチなどの昆虫などについても、幼若ホルモン応答配列、MET遺伝子、SRC遺伝子を明らかにし、それらの遺伝子を利用して、幼若ホルモン剤や抗幼若ホルモン剤のスクリーニング系を開発する予定だ。

それらを利用することで、狙いの害虫のみに効果があり、ほかの昆虫には悪影響がない薬剤の開発につながるものと期待されるとしている。