鳴らない、鹿威し

「誰かいいひと、紹介してくださいよ」……恋人はいないのか、このまま結婚するつもりはないのか、と問われて、20代後半の私はこんなふうに答えていた。いつも必ず冗談めかしていたが、いつでも必ず、本心だった。

あるとき、公私ともに大変お世話になった方から「ならば、いい男を見繕ってやろう」と言われたことがある。「わぁ、嬉しいですー、まずはお目にかかるだけでも!」と調子よくホイホイ応じた私は、その場でひどく叱られた。「会うだけ、というのは『見合い』ではない。おまえが望み、私が請け負うと言ったのは、ただの遊び友達ではなく、結婚相手の紹介だ。本気で受けるつもりがないなら、そんな態度で臨んではならない」と。

まるで父親のように私の将来を案じてくださったこの方は、両者顔合わせの場でとくに問題がなければ即まとまる、昔ながらの「縁談」を世話してくれようとしたのだった。詳細は忘れたが、大店の跡取り息子といったようなお相手。世の中には、こうやって結婚を決める男女もいるのだ。そろそろ嫁へ行かせたい娘と、そろそろ嫁を貰いたい息子とが、周囲の大人たちの力を借りて引き合わされ、料亭の中庭の鹿威しがカポーンと鳴り、トントン拍子に夫婦となることもあるのだ。というより、人類の長い長い歴史においては、こちらが圧倒的多数派だったのだろう。

「あーあ、誰でもいいから結婚したいなー」という、若い私の当時の口癖は、ひとたびマジレスされれば、こんなにも簡単に解決されてしまうことなのだった。顔も知らない相手との結婚はロマンチックでいいかもしれない。自分で男を選ぶとろくでなししか引き当てられないし、客観的な目利きの年長者に選んでもらうシステムは合理的だ。それでも私には、譲れないものが一つあった。「仕事」である。

相手がどんなに条件の整った素敵な殿方であろうとも、自分の仕事を辞めて、見たことも聞いたこともない品物を扱う大店の女房になることが、私にはどうしても即決できなかった。ゆくゆくは大旦那となる夫の生活を支え、一緒に婚家の商いを守り立て、次の跡取りを大事に産み育てる、先方が欲しがっている「嫁」にはなれなかった。

「たかが結婚で、嫁ぎ先の都合で、好きな仕事を強制終了させられるなんて、イヤだ」と思った。つまり、結婚はしたいが、誰でもよくは、ない。そんなところに主義主張があったなんて、この「縁談」を持ちかけられ、丁重にお断りするまで、自分でも気づかなかったことだった。

「妻」という名の仕事

しかしながら世の中には、結婚をきっかけにさっくり「仕事」を辞めていく人たちもいる。そのまま家庭に入り専業主婦となる人もいれば、配偶者の海外赴任に同行するなどの理由で退職し、行った先でまた新しいことを始める人もいる。

結婚を機に、夫婦二人で一つの看板を掲げて「仕事」を始める人たちもいる。厨房に籠もる料理人の夫と店を切り盛りする妻、スポーツ選手である妻の体調とスケジュール管理を取り仕切る夫、などなど。自営業者は何も、大店の跡取り息子だけではない。

「棋士の妻というのも、楽しいものですよ! 岡田さんもいかがです?」

将棋のプロ棋士と見合い結婚した女性に、そう薦められたことがある。独身時代は第一線で活躍するキャリアウーマンだったが、「結婚するからには家庭に入ってほしい」と言われ、以来、地球上にたった百数十名しかいない肩書を持つプロフェッショナルの「妻」業が、彼女の新しい仕事になった。もとは知人の紹介で、将棋については何も知らなかったそうだ。私ができなかった即決を、下した女性である。

そのまま勤めていたらさぞや凄腕の女性エグゼクティブに、とつい思ってしまうのだが、歴史的な大舞台に挑む配偶者を裏方として支える新しい仕事においても、彼女はバリバリ辣腕を振るっている。日本の頂点が世界の頂点、超一流の頭脳アスリートたちの勝敗を左右するマネジメント業務は、へたな企業経営よりやりがいを感じる仕事であるに違いない。

自分の仕事を続けながら棋士の妻を「兼業」する人も知っている。まず愛があって、次に適性もないと、なかなか両立できそうにない。いかがです? と言われたところで、そう簡単には真似できませんよ、と首を横に振るしかなかった。「嫌です」の次は「無理です」か。逃げちゃダメだ。

人生はいつも自己都合

「結婚か、仕事か」を迫られて「仕事」を選んだ……。自分ではそう思い込んでいたけれど、今になって冷静に振り返れば、かつて「縁談」を断った私の心理状態は、そんなに大層な二者択一でもなかった。言ってみれば、今まで挑戦したことのない仕事への「転職」を持ちかけられて、その突然のヘッドハンティングに見合う能力があるかどうか、自分に自信が持てなくなって、グズグズ断った、というような話である。

結婚がどんなものかもわかっていなかったし、職業に対する認識も、今以上に甘かった。「棋士の妻? 大店のおかみ? 大企業経営? 外資系? どれも面白そうね、やってみます!」と新しい世界へ飛び込んでいく度胸もなければ、「どんなに向いてなくても、私はここで働きたい!」とみずから誰かの門を叩く覚悟もなかった。まして、二足のわらじを履くバイタリティなどもない。そのときの仕事にしがみつくことを、別の仕事ができない言い訳にすり替えていた。挙げ句の果てに「あーあ、最近『仕事』が忙しくて出会いがないわー」ときたもんだ。

今、与えられているこの仕事を誰かに剥奪されてしまったら、私が私でなくなる気がした。私が私であるならば、どんな仕事をしていても、私は私であるはずなのに。「いつからでも、何にだってなれる」という強い自信さえ持っていれば、もっと早くに踏み切って、見たことも聞いたこともない人生を歩んでいたかもしれないのに。

「いかにして働くか」は、いかに着飾るか以上に、人となりをあらわす。お気に入りの一着しか着たくない、と駄々をこねる子供のような私は、一見するとそのファッションにこだわりがあるようで、その実、まったくオシャレじゃなかったな、と今は思う。何を着ていても私は私、もっといろいろな服を試してみたい、そう言えたらいいのに。

結婚前に会社を辞め、まったく別の業種に転職した友人がいる。同じ職場の先輩後輩として出会い、年上の妻のほうが社に留まった。社内恋愛が禁止されているわけでなし、職場結婚でよかったんじゃないの? と訊いたら、「この時代、夫婦共働きで同じ会社に勤め続けるのは、リスクばかりが高いでしょ。給料は下がる一方で、今のままだと僕の収入が妻を超えることもないしね」と言われた。ごもっとも。

知人の間では、「結婚を機に自己都合で会社を辞める? 男が?」と驚く声も上がった。しかし、いざ自分が転職や結婚を経験してみると、私には、彼の気持ちがすごくよくわかる。これからの人生、何が起こるかわからない。かつて安泰だった企業組織だって、明日どうなるかもわからない。他人と生活を一つにするという大変化を前に、同じ自分の職能を、もっと条件の好い職場で活かすことにした、というだけのことだ。数年経った今も、転職先で成功を収めていると聞く。

「結婚」をきっかけに「仕事」を変える、「結婚」をきっかけに「仕事」が変わる。こんなフレーズ一つを取り上げてみても、本当にいろいろな夫婦のかたちがある。「一時はどうなることかと思ったけど、やってみると前よりも、よくなったよね」とさえ笑えたら、それでいいと今は思う。

<著者プロフィール>
岡田育
1980年東京生まれ。編集者、文筆家。主な生息地はTwitter。2012年まで老舗出版社に勤務、婦人雑誌や文芸書の編集に携わる。同人サークル「久谷女子」メンバーでもあり、紙媒体とインターネットをこよなく愛する文化系WEB女子。「cakes」にて『ハジの多い人生』連載中。CX系『とくダネ!』コメンテーターとして出演中。2013年春に結婚。

イラスト: 安海