普段、何気なく乗っている電車か少しずつ変化している。たとえば山手線。いまのE231系電車は2002年から投入され、2005年4月に全列車がE231系となり、205系と入れ替わった。これは大きな変化だった。ところがその後、E231系に小さな変化が訪れた。2010年2月から2011年9月までに起こった「ある変化」にお気づきだろうか?

2008年の山手線E231系電車。いまはない"あるもの"が写っている

山手線E231系電車に起きた変化、それは「6扉車の消滅」だ。山手線のE231系は11両編成で、当初は7号車と10号車に片側6扉車が連結されていた。それが順次4扉車に交換され、現在はすべて4扉の車両に統一されている。乗客から見れば、以前は乗車位置によって4扉だったり6扉だったりしたわけで、「最近、6扉車を見かけないな」と思ったはず。もう山手線に6扉車は存在しない。

理由のひとつは混雑の軽減

山手線になぜ6扉車が導入され、そして消えてしまったのか。その理由のひとつに「混雑率の変化」がある。首都・東京の中心部を走る山手線は、朝の通勤ラッシュ時間にもっとも混雑する路線のひとつ。1990年度の混雑率は、上野~御徒町間で274%まで上昇した。

国土交通省によると、通勤電車の混雑率の目安は、100%で「全員が座席に座るか、吊り革、手すりをつかめる」、200%で「身体がふれあい相当圧迫感があるが週刊誌程度は読める」、250%で「電車がゆれるたびに身体が斜めになって身動きできず、手も動かせない」だ。

274%はそれ以上で、体調に異常があってもおかしくない。人の圧力でドアが開かなくなる場合もあったという。この混雑を軽減するために、山手線は1990年から1991年にかけて、当時の205系電車の10号車に6ドア車を増結し、10両編成から11両編成になった。E231系ではさらに乗降しやすくするために、当初から7号車と10号車を6扉としていた。

しかし、それと前後して、山手線の混雑率は緩やかに減少していく。1996年に埼京線が新宿~恵比寿間を延伸し、2002年には大崎へ。実質的な複々線化が完成して、乗客の流れが変わった。2001年には湘南新宿ラインの運行も始まり、2008年には地下鉄副都心線も開業して、私鉄からの乗り換え客が地下鉄に流れた。山手線の混雑率も、上野~御徒町間で204%まで下がった。こうなると6扉車のメリットは薄れて、逆に日中の座席数の少なさが不評になる。6扉車は座席を格納できる構造で、ラッシュ時は格納状態となり、日中は座席を増やせる。混雑率の低下に合わせ、山手線では座席の格納を2010年に取りやめた。扉部分はもともと座席がないから、4扉車より座席は少ない。

それでも、なにもわざわざ4扉車を新造して交換するほどのことではなさそうだ。座席だってそんなにたくさん増やせるわけではない。

京浜東北線の4扉化に合わせたホームドア

京浜東北線の線路を走る山手線電車(2007年10月)

消滅した山手線6扉車が京浜東北線ホームにいた(2007年10月)

山手線の4扉化にはもうひとつ理由がある。それはホームドアの設置と、品川~田端間で並んで走る京浜東北線に関係がある。混雑した路線には、乗客の落下事故を防止するためにホームドアを設置する動きがあり、山手線でもホームドア設置工事が始まった。このとき、すべてのホームドアを4扉車両用に統一し、6扉用を作らなかった。なぜなら京浜東北線がすべて4扉車両だからである。

田町~田端間の線路をメンテナンスする場合、山手線と京浜東北線は同じのりばを共有する。山手線に6扉用のホームドアを作ってしまうと、京浜東北線の電車が山手線ののりばを使うとき、ホームドアと車両の扉が一致しなくなる。だから京浜東北線と山手線は4扉に統一しよう、となったらしい。

京浜東北線も先代の209系は6扉車を連結していたが、E233系に6扉車を連結しなかった。その理由は、E233系は209系より車体の幅を少し広げて混雑緩和を図ったことと、将来に東北縦貫線が開通すれば、さらに混雑を緩和できると見込んだからだという。