経済キャスターの鈴木ともみです。連載『経済キャスター・鈴木ともみが惚れた、"珠玉"の一冊』では、私が読んで"これは"と思った書籍を、著者の方へのインタビューを交えながら紹介しています。第18回の今回は、山口義正さんの『サムライと愚か者 暗闘オリンパス事件』(講談社)を紹介します。
山口義正さんプロフィール
法政大学法学部卒業。日本公社債研究所(現格付投資情報センター)アナリスト、日本経済新聞証券部記者などを経て、現在は経済ジャーナリスト。月刊誌「FACTA」2011年8月号で初めてオリンパスがひた隠しにしてきた不透明な買収案件を暴いて大きな反響を呼ぶ。その記事は、解任された元社長マイケル・ウッドフォード氏がオリンパスを告発する引き金となった。
「これは真実である。情報提供者を秘匿するため、登場人物のうち「深町」だけを仮名とし、一部の人物・固有名詞については名を伏せたが、すべて実在の人物、企業等である。 日時や場所についても特段の事情がない限り、発表資料や電子メールのやり取りの記録などから可能な限り正確を期した」。
今回ご紹介する『サムライと愚か者 暗闘オリンパス事件』は上記のような「ことわり書き」から始まります。
紛れもなく「ノンフィクションの書」
今やオリンパス事件と言えば、日米欧の捜査当局が大規模な動きを見せた一大経済事件として、誰もが知っている事実です。であるにもかかわらず、敢えて「ノンフィクションの書」であるという「ことわり書き」を記していることに、私は最初、疑問を抱きました。しかし、同書を読み進めるうちに、その疑問は解かれ、確かに「ノンフィクションの書である」という「ことわり書き」が必要なのだ、という思いを抱くようになっていきます。
登場人物たちの個性豊かなキャラクター、事件の発端となる情報提供から次第に明かされていく東証一部上場企業・オリンパスの重大な秘密、「個人の力」が玉突き状態で結びついていき、大企業の経営者を追及していくストーリー…。それはまるで、筋書きのある小説を読んでいるかのようで、もしかして大部分が脚色なのでは? と思わずにはいられないほど起伏に富み、緊迫感に満ちているからです。
実際、著者である山口義正さんご自身も、取材した際にこんなふうに語って下さっています。
「わざわざ『これは真実である』と書いておかなければ、そうとは信じてもらえないと思ったんです。話の展開があまりにもジェットコースター的だからです」。
ちなみに「これは真実である」という始まり方は、映画『大脱走』の冒頭部分へのオマージュという意味も込められているのだそうです。映画にも詳しい山口さん曰く、話の展開は『大脱走』というよりもむしろ『スティング』に近いとのことですが…
よって、同書は紛れもなく「ノンフィクションの書」です。
それを意味する「ことわり書き」を頭に入れ、そこを改めて意識しながら本書を読み進めていくと、「個人の力」を信じるようになり、心の中に「勇気の翼」が生えてきます。と同時に、私たち一人ひとりの日本人が形成する「日本社会の弱さ」も浮かび上がってきます。
まずは同書のタイトル解説も記されている『あとがき』からご紹介しましょう。
本書のタイトル『サムライと愚か者』はウッドフォード(解任された英国人のオリンパス元社長)が私に投げかけた「どうして日本人はサムライと愚か者がこうも極端に分かれてしまうのか」という問いからとった。本文にも書いたように、ウッドフォードは英国ではナイトの爵位を授けられており、ナイトを日本風に言えば「馬乗り侍」となるだろう。日本で戦時に騎乗を許されていたのは身分の高い武士であり、英国のナイトも同様である。当然、プライドは高い。 現代の日本語でサムライと言えば単なる身分の呼称ではなく、「プライドを持ち、自分の信じるところに従って一人でも戦う人物」という意味で使われることが多い。「信念を持って正義や美意識を貫こうとする人物」と言い換えても間違いではないだろう。オリンパス事件はこの「正義」を心の中心に近いところに置いている個人の情報提供によって第一報を書くことができた。するとこれと同じ価値観を持った別の個人が共鳴し、私に重大な情報をくれたことで海をまたいだ経済スキャンダルに発展し、さらにこれらの人々の連鎖は拡大して、ついには事件の全貌までもほぼ明らかになってしまった。私はこれらの個人たち(あくまでも「個人たち」であって、「集団」ではない)に代わってキーボードを叩いたに過ぎない。(『サムライと愚か者 暗闘オリンパス事件』「あとがき」より抜粋)
「正義」を心の中心の近くに置く個人の情報提供によるスクープ記事に別の個人が共鳴し、さらなる個人の連鎖によって世界を揺るがす経済事件が明るみになる。個人がつながりながら、重大な秘密を解き明かしていく様子は、まるで推理小説を読んでいるかのようです。しかも、個人一人ひとりの個性が鮮明です。
全ては友人の「告白」から始まった…
まずは、その登場人物の一人である「深町」氏についてご紹介しましょう。彼は「オリンパス事件」における最初の情報提供者であり、著者である山口さんの友人(カメラ仲間)です。
深町は二~三機のカメラをバッグに忍ばせてきていた。私たちはカメラ仲間で、付き合いはすでに長い。(中略)その日の目的地は尾瀬だった。(中略)私たちは準備を整えると、アキアカネが舞う林道をさっそく歩き始めた。(中略)不意に深町がぽつりと言った。 「ウチの会社、バカなことやってるんだ…」 深町の言葉には何か意を決したような響きがある。後ろを歩いていた私は無言で「?」と、次を促した。「売上高が二~三億円しかない会社を、三○○億円近くも出して買ってんだ。今は売上げも小さいけど、将来大きな利益を生むようになるからって。バカだろ?」 (中略) 「いくらなんでも、そんな話はありえないだろ。何かよほどの成長分野を見つけて買ったんじゃないのか?」 私は疲れのために半ばどうでもいいやという感じで、聞き返した。 「でもウチの本業とは関係ない会社なんだ。しかも営業赤字でさ」 営業赤字とは、その会社が本業で儲かっていないことを意味している。そんな会社を買収して何になるのか、私にはよくわからなかった。その後はこの話題で二言、三言交わしただけで、話は尽きた。 (中略)私も深町もこの日の何気ない雑談が、後に日米欧の捜査当局を駆り立て、元経営トップら七人の逮捕者を出すほどの大きな経済事件につながっていくとは思いもよらなかった。 ニ○○九年八月の、ある日曜日のことだった。 (「プロローグ」 旅先の告白 より抜粋)
上記・プロローグに記されている深町氏による旅先での告白。この告白を機に、「オリンパス事件」の全貌が明かされていくことになります。深町氏からの情報提供はさらに続き、ついに、山口さんはオリンパスの取締役会資料を始めとする内部資料を手にし、巨額の損失処理について追及し始めます。その様子は、『第一章「潜行取材」のしかかる秘密の重さ』に詳細に記されていますので、ぜひ、じっくりお読みください。企業会計について、今一度整理できる内容にもなっています。
『FACTA』阿部重夫氏のジャ―ナリスト魂
さて、ストーリーの最初の登場人物である深町氏は、まさに「暗闘オリンパス事件」の出発点となる重要人物です。このような重要キャラクターは他にも次々に登場します。例えば、月刊誌『FACTA』編集主幹の阿部重夫氏。阿部氏のジャ―ナリスト魂がこのストーリーを盛りたて、厚みを増させていきます。
ファクタは政治経済を中心とした総合情報誌だ。毎月ニ○日に契約者に発送される会員制の雑誌で、書店売りは少ない。発行部数はニ万部と小ぶりだが、個人はもちろん、企業や官公庁、マスメディアなどが主要な購買層になっているために発行部数の割に影響力が大きい。しかしファクタを特徴づけているのはそうした点ではなく、批判対象に聖域を設けない辛口の編集方針だった。 待ち合わせは、お茶の水にある山の上ホテルである。その一階には喫茶スペースがあり、そこで午後一時に阿部重夫編集主幹と会うことになっていた。(中略) 挨拶もそこそこに窓際の席に座ると、私はさっそく要件を切り出した。オリンパスが不可解な企業買収を繰り返し、巨額の損失を出していること、そのために財務内容が公表数字以上に悪化している可能性があることなどを説明していった。(中略) 「犯罪の臭いがしますね…」と阿部がつぶやく。(中略) 私は念のためにと思ってデイパックに忍ばせておいた内部資料の束を取り出し、問題の取締役会資料を見せて言った。 「これは株式市場に出回っている怪文書の類ではありません。オリンパスから出てきた、言ってみれば原本です」 クールな阿部は普段、あまり感情を表情に出さないが、その時ばかりは眼鏡の奥で表情が動き、少しだけ背をのけぞらせた。明らかに驚いている。(中略)そして阿部は言った。「まだ次号のメニューについて編集会議を済ませていませんが、カバーストーリーで行けると思います。三ページになるか、四ページになるかはまだわかりませんが」 記事を取り上げてくれる雑誌が決まった瞬間だった。(第ニ章「震えながら待て」犯罪の臭いがする より抜粋)
山口さん(当時は匿名)の執筆による「FACTA」2011年8月号における「オリンパス事件」スクープ記事の掲載。ここから玉突きのような連鎖が始まります。そしてこの連鎖は、あのマイケル・ウッドフォード元社長が登場人物として加わることにより、ギアチェンジし、さらに加速化していくのです。
偶然と言えば、それは確かに偶然かもしれない。私の思いもよらないところで小さな芽がでていた。四月に社長に就任したばかりのマイケル・ウッドフォードとオリンパスOBの友人が連れだって温泉へ旅行に出掛けたおり、友人がそっと耳打ちしていた。その友人の手にはファクタ八月号が握られている。「君の会社について、妙な記事が書かれている。私も読んでみたが、これはかなり確証を持って書いているように思う。気をつけた方がいい」(中略) この友人はウッドフォードのためにファクタを自ら英訳し、温泉宿へ向かう列車の中でウッドフォードにこれを読ませた。七月三十一日の日曜日のことだった。 後にこのエピソードを聞かされたとき、私にはこの囁きが天の配剤としか思えなかった。そしてこの囁きはやがてオリンパスの問題を事件化させ、国境をまたいだ大騒動に発展するきっかけになっていく。ウッドフォードが日本人だったら「ここはしばらく様子を見よう」と考えたに違いない。しかしジョン・ブルのウッドフォードはすぐに行動を開始した。 (第三章「黒い株主」 ウッドフォードへの耳打ち より抜粋)
ウッドフォード元社長と、菊川元会長が直接対峙
こうしてストーリーも佳境に入ってきます。 続きの話もかなりの見せ場。ウッドフォード元社長と、菊川元会長が直接対峙する場面です。舞台はランチミーティング。よくぞここまで再現できたものだと感心せずにはいられない、迫力あるシーンとなっています。まさに「サムライが挑む一騎打ち」のシーンとでも言いましょうか。私は何度も読み返しました。ぜひとも、読んでその様子をイメージしていただきたいシーンのひとつです。 そして、そのやりとりから約2カ月後、ウッドフォード氏は社長職から解任されることになります。
そして一○月一四日午前九時、オリンパスの新宿本社で臨時取締役会が開かれた。(中略)菊川は宣した。「今日の取締役会の議題は、オリンパスの重要な買収について話し合う予定だったが、キャンセルされた。ウッドフォード氏を社長、代表取締役そしてCEO(最高経営責任者)から解任する」 ウッドフォードは当事者ということで、発言は一切認められない。菊川が取締役たちの賛意を問うために挙手を求めると、会議室に居並ぶ役員は全員が一斉に手を挙げた。(中略)取締役会は終わった。わずか八分間のことである。(第三章「黒い株主」 社長解任 より抜粋)
この取締役会にて解任されたウッドフォード氏は、すぐさま英国に帰国すると、フィナンシャル・タイムズやウォールストリート・ジャーナルなどの経済誌へオリンパスが抱える問題について語り、英国SFO(重大不正捜査局)へも通報。オリンパス問題は、一気に海外で急展開を見せ始め「オリンパス不正疑惑事件」へと重大化していきます。 世界中の注目が集まるなか、本事件のスクープを放った山口さんのもとに、新たな人物が現れます。
この人物がとても興味深い。米国人ながら肩書は僧侶。その僧侶「ミラー・和空」氏は、第四章のタイトルにおいて「怪僧」と評されているほど、個性豊かな人物です。先程触れたウッドフォード元社長と、菊川元会長が直接対峙するランチミーティングの場面を克明に再現できたのも、このミラー・和空氏からの情報提供によるものでした。「果たしてミラー・和空氏とはいったい何者なのか?」「ウッドフォード氏とはどのような関係にあるのか?」「山口さんとはどのようにして知り合ったのか?」そのあたりについては『第四章「怪僧登場」 暗闘の記録』に書かれています。とても魅力的な重要人物です。
ミラー・和空氏から提供されたまさに「暗闘の記録」をもとに、紆余曲折の激闘の日々の中、山口さんの取材も、事件の追及も進んでいくことになります。
そして、同書に記されている一連のストーリーには、この記事において紹介しきれない「個人」たちがまだまだ登場します。一人ひとりの「個人」が次々に連鎖していく過程、まさに「点」が「線」となり、連なっていく物語が描かれていくのです。
2011年10月26日、菊川会長兼社長が退陣
2011年10月26日。菊川会長兼社長は退陣します。
その頃、オリンパスを巡る騒ぎは一段と激しさを増し、野田佳彦首相も英フィナンシャル・タイムズでのインタビュー記事で「今回の騒動はルールに従う市場経済国として日本の評価を貶める恐れがある」と懸念を表明、海外に次いで日本政府も重大事件として認知するようになってきました。
さらに、金融面でも、外資系証券会社はオリンパスの投資判断レポートの作成を停止し、金融取引を見合わせ始めます。オリンパスの格付けも引き下げられます。そして11月8日。ついにオリンパスが膝を屈する日がやってきます…。
高山新社長は記者会見を開いた。過去の有価証券投資での損失隠しを認めたのである。各マスメディアは大々的にこれを報じた。ウッドフォードを追いだして会長兼社長に復帰した菊川も、損失隠しを認めて辞任した。テレビのニュースでは、菊川の後を任されて社長に就任した高山がこの日の会見でテレビカメラの砲列に向かって深々と頭を垂れる様子が繰り返し放送されていた。その目にはうっすらと涙が滲んでいる。 高山は会見で、菊川が「今まで隠していて申し訳ない」と話し始めたこと、森が損失隠しへの関与を認めて副社長を解任されたこと、 損失隠しの中心的役割を果たしたのは菊川と森、元副社長で監査役の山田秀雄の三人であることーなどを明らかにし、必要があれば三人を刑事告訴することも表明した。一連の問題を調査するため、外部から有識者を選んで第三者委員会を立ち上げることも明かしている。 オリンパスはついに膝を屈した。ファウストは悪魔メフィストフェレスと魂を売る契約を交わして享楽を得たが、地獄に落ちた。(第五章「偽りの平穏」 隠し損失 より抜粋)
年が明けて2012年2月16日。東京地検特捜部と警視庁は、菊川元会長兼社長を始め7人を金融商品取引法違反(有価証券報告 書の虚偽記載)の容疑で逮捕します。逮捕者のなかには、野村証券OBの横尾宣政(現・被告)も含まれていました。横尾被告はオリンパス社外の人物です。詳しくは、同書の第六章『野村証券OBたち』に書かれています。ビジネス・経済・マーケット関連の書籍では、なかなか明かされない事実が記されています。個人的には、金融関係の方々にこそ、お読みいただきたい章と言えます。
「『個人』の力はバカにできない」
さて、このように「オリンパス事件」は、会社を私物化する経営者、そこに群がる闇の人物たちによってもたらされた許されざる経済事件です。と、同時に『「個人」の力こそが全うな価値の源泉なのだ』ということを教えてくれた事件だったようにも思います。その点について、スクープした記者であり同書の著者でもある山口さんに直接うかがいました。
「私は、この事件を通して『個人』の力はバカにできないという認識を新たにしています。この本に登場する人物、つまり私に情報提供してくれたり、協力してくれたりした個人たちは、今でもお互いに全く面識のない人たちです。そんな個人の力が連鎖して、事件の全貌をほぼ明らかにすることができました。個人の力は世の中、社会を突き動かす原動力であり、価値の源泉なのです。日本社会では、どうしても『無事是名馬』、事なかれ主義の『和』を重んじ、自分がおとなしくしていればうまくまとまるという価値観が根づいている面があります」。
「実際、オリンパスの社員も、皆おとなしく親切で、いい人の集団という社風なのだそうです。でも、組織が暴走しているなか、皆が事なかれ主義で『和』を乱すことを恐れていたら、誰も暴走を止めることはできない。私の好きな言葉に『アマは和して勝つ、プロは勝って和す』という名言がありますが、まさに、個人一人ひとりが立ち上がり、力を発揮した先に、健全で高尚な『和』が生まれるのだと思います」。
「『サムライ』とは『高尚で正直で元気な者』」
健全で高尚な「和」の源泉は全うな個人の力にある。確かに山口さんのおっしゃる通り、全ての価値を形成する上での基本はそこにある気がします。さらに源泉という意味では、人の心のなかに存在する「正義」も挙げられるのではないでしょうか。その点についても伺いました。
「実は、この本の本文には『正義』という言葉は全く出てこない。『あとがき』でやっと使った言葉です。正義というと、どうしても青臭く気恥ずかしく…この言葉を使うことによって、事実や主張が安っぽい伝わり方をしてしまう気もします。さらに『正義』という言葉を禁じ手としたのは、『正義』は『真理』よりも一段低いところにあると思うからです。ですので、記事や本文では敢えて使っていません。ただ、ジャーナリズムの出発点は、やはりこの『正義』からスタートしなくてはいけないのだと思います。それはジャーナリズムの世界に限らず、世の中、社会全てに言えることかもしれない」。
「この本の『あとがき』で、私は夏目漱石の小説『坊ちゃん』のワンシーンを引用しています。主人公の坊ちゃんが生徒から悪戯されたとき、生徒をどう処分するかを決める職員会議で、坊ちゃんの盟友である山嵐が弁じたてるシーンです。『教育の精神は学問を授けるばかりではない、高尚な正直な、武士的な元気を鼓吹すると同時に、野卑な、暴満な悪風を掃蕩するにあると思います』。この台詞には、『サムライ』の根本、基礎要件が託されています。『サムライ的なるものは何か』をはっきりと描いた言葉であり、今の日本人に足りないものを過不足なく表現しているのだと思うのです。 つまり、ウッドフォード元社長が私に手向けた言葉『サムライ』とは『高尚で正直で元気な者』を指す言葉だということです」。
「日本人一人ひとりの心のなかにも『サムライ』は住んでいる」
そもそもこの「サムライ」という言葉は、日本人ではない英国人のウッドフォ―ド氏から発せられた言葉です。今回の「オリンパス事件の解明」は、たまたま英国人のナイトが経営陣の一員であったことが、大きく影響していますが、問題が生じたらすぐに隠し、それを事なかれ主義のまま、予定調和な結末に導こうとする日本人のみの集団であったとしたら、いったいどのような結末を迎えていたのでしょうか? その点についても山口さんの見解を伺いました。
「英国人であるウッドフォード元社長が経営陣にいなかったら、今回の問題は、事なかれ主義のもとに、大きな事件にもならず、うやむやにされていたかもしれません。日本人と欧米人との差は、問題があるとわかった時に、どう対応するか、その問題を隠し続けるのかどうかに表れます。 実は、この本のタイトルの元になったウッドフォード元社長の問いかけ『日本人はなぜサムライとイディオットが極端に分かれてしまうのか』について、最初は私も『単純な二元論で片付けられる問題なのだろうか』と違和感を持ちました。でも、今回の『オリンパス事件』からもわかる通り、日本人はこうした二元論を避けることで、『誰に責任があるのか』『本来、どういう解決策が求められるべきだったのか』をうやむやにしてしまいがちで、そこに問題の根源があるのだとわかりました」。
「結局、日本社会においては、不正を働いた旧経営陣と不正を明らかにしようとしたウッドフォード元社長が喧嘩両成敗という結果になってしまった…。 私たちは、そのことに対してもっと違和感を覚えるべきだと思います。 欧米であれば違った判断や処分が下されたことでしょう。この点における日本(日本人)と欧米(欧米人)との違いは決定的です。 ただ、『個人』ということをベースに考えれば、私たち日本人一人ひとりの心のなかにも『サムライ』は住んでいるのだと思います。今もなお、オリンパスの不正を正したいという個人からの情報が寄せられ続けていることからも、それは確かです。 一方で、密告社会化することを危惧する声もありますが、限りなく黒に近いグレーを発見した時に、グレーゾーンとして見てみないフリをするのか、膿を出し切ることで健全な成長、発展へとつなげていくために立ち上がるのかは、『サムライ』としての個人の正義感に委ねられるのだと思います。私もジャーナリストとして『サムライ』でありたいと思っています」。
「『オリンパス事件』は日本社会・日本人を象徴する事件」
私自身、「サムライ」という言葉は、好きな言葉です。本書を読み、いざという時には「サムライ」として振る舞いたい、そんな勇気の翼を与えてもらえた気がしています。ただ、山口さんご自身のなかでは、もっと別の感覚をお持ちのようです。
「この本は、勧善懲悪の話ではありません。『読者の皆さんも、すっきりとした読後感を感じていないのでは?』という気がしています。というのも、真実をできる限り追及しながら、あいまいな形で事件が幕引きとなってしまった…。『オリンパス事件』は日本社会・日本人を象徴する事件だと言えますが、それを完全に打ち崩すことはできなかった。その意味では、私は『敗者』かもしれません」。
勧善懲悪にはならなかった…その点では「敗者」。ジャーナリスト魂は、そういう感覚と心得を持った人に根付くものなのでしょう。日本を象徴する事件「オリンパス事件」は、決して終わった事件ではなく、まだまだ続いている事件であると言えます。
今回の事件では、たまたま英国人のナイト(騎士)が経営陣の一員であったことが、大きく影響していますが、問題が生じたらすぐに隠すことに注力しようとする日本人・日本社会の体質が変わらない限り、似たような事件はいくつも浮上してくることでしょう。
すでに日本社会のあちらこちらに潜在している事なのかもしれません。 経済事件に関心のない方でも、「個人の力とは?」「日本人とは?」「日本社会とは?」など、根本的な命題を改めて見つめ直すことのできる一冊です。 映画を観ている、小説を読んでるかのごとく、共感せずにはいられないノンフィクションストーリー。 まさに珠玉の一冊です。
『サムライと愚か者 暗闘オリンパス事件』(講談社)
◆プロローグ | 旅先の告白 |
◆第一章 | 潜行取材 |
◆第二章 | 震えながら待て |
◆第三章 | 黒い株主 |
◆第四章 | 怪僧登場 |
◆第五章 | 偽りの平穏 |
◆第六章 | 野村証券OBたち |
◆第七章 | 官製粉飾決算 |
執筆者プロフィール : 鈴木 ともみ(すずき ともみ)
経済キャスター、ファィナンシャルプランナー、DC(確定拠出年金)プランナー。 中央大学経済学部国際経済学科卒業後、ラジオNIKKEIに入社し、民間放送連盟賞受賞番組のディレクター、記者を担当。独立後はTV、ラジオへの出演、雑誌連載の他、各種経済セミナーのMC・コーディネーター等を務める。現在は株式市況番組のキャスター。その他、映画情報番組にて、数多くの監督やハリウッドスターへのインタビューも担当している。