今回は昭和最後の年に行った広島・山口での出来事を書いてみたいと思います。いまでこそ筆者は文章を書く機会に恵まれ、不安定ながらも楽しい日々を過ごしていますが、以前はけっこう堅い職場にいました。普段ほとんど外に出ることのない職種でしたが、勤めて3年ほど過ぎた頃、急に山口県柳井市と広島県呉市へ出張することになりました。

広島県随一のターミナル、広島駅を発車する広島電鉄3100形

出張先で宮島観光、出張先で広島市内散策

関西から瀬戸内の町へ。もちろん広島・山口方面へ行くのは初めてでした。これはもう、仕事というより楽しい旅行です。初日の行先である柳井市へは、午後遅くに着けばよかったのですが、なぜか筆者は早い時間の新幹線に乗り、新大阪駅を出発しました。

広島駅で在来線に乗り換えると、通学中の女子学生たちの会話が聞こえてきます。「ぶち恐ぁ~!」なんて、広島弁を生で聞くのも初めてで、いやがおうにも旅行気分が盛り上がってしまいます。……出張なんですが。

広島駅からまっすぐ柳井市へ向かうはずもなく、宮島口駅で下車して出張先とは関係のない方向に乗り継ぎ、船に乗りました。そう、せっかく広島まで来たのに、安芸の宮島を見ないなんてもったいない! 「もったいないお化け」が集団で化けて出てきますものね(笑)。

宮島を観光し、できたてのもみじ饅頭などをいただき、昼すぎに宮島口駅に戻ってきました。そこから山陽本線で最初の目的地、柳井をめざします。岩国駅を過ぎると、車窓には瀬戸内海の穏やかな景色が広がりました。平日の午後、弁当を食べながら車窓の景色を楽しむ。これだから鉄道の旅はやめられません。……出張なんですが。

柳井市内で最初の仕事を済ませて広島へ戻り、その日は広島市内のビジネスホテルで1泊しました。翌日は呉市へ向かうことになっていましたが、それもまた午後の用事だったので、それまで広島市内をぶらぶらしよう! と思いつきました。広島に来たからには、やはり広島電鉄の路面電車を見てみたかったのです。

広島電鉄1900形は元京都市電の車両。各車両に京都にちなんだ愛称が付けられており、写真の1912号の愛称は「大文字」。いまも現役の車両だ

翌日、広島市内をぶらぶら歩き、街中を路面電車が行き来する様子を眺めながら、「広島もそうだけど、瀬戸内の都市だと岡山も路面電車が元気だよな。広島も岡山も、気候風土がちょっと似ているのかな……」なんて考えていました。

そんな中、突然、目の前にドーム屋根の建物が! 筆者が行き当たったのは原爆ドーム。「観光名所」だなんて、軽々しい言葉を使ってはいけない場所のように感じられます。その建物から発せられる歴史の重みに、しばらく圧倒されてしまいました。

出張からの帰りは、新幹線ではなく在来線で

その後、筆者は呉線に乗り、呉市へ。さっさと用事を済ませて今回の出張は終了となり、さて帰りです。新幹線のきっぷも出張費に含まれていましたが、旅行気分が盛り上がっている身としては、このまままっすぐ帰っても面白くありません。そこで、「在来線の電車でぼちぼちと帰ろうか」なんて思い立ったわけです。季節は秋。夕闇迫る広島駅から、とくに時刻表も見ることなく、山陽本線の岡山方面の列車に乗りました。

その先、何時頃どの駅でどう乗り換えたのか? いまとなってはまったく覚えていません。国鉄時代に製造された車両ならではの、直角背もたれのクロスシートに座り、暗い窓の外をぼんやりと眺めていました。寝ているのか起きているのか、うつらうつらと、夢と現の間を行ったり来たり……。列車は東をめざし、淡々と進みます。

少しだけ暖房の効いた車内で、ぬくもりに包まれながら、「タタントトン」という走行音を聞く。これもまた、鉄道旅行の楽しさでしょう。

山陽本線の列車を乗り継ぎ、姫路駅に着く頃には、すでに夜10時を回っていました。ここから新快速に乗り換えた瞬間、旅は終わり、いつもの日常が戻ってきたような気分になります。筆者の住む地元の駅まで、あとちょっと。

「おうちに帰るまでが出張ですよ!」と、係長の声が聞こえた気がしました。

中国地方の山陽本線は、昔もいまも115系が主役だ

さて、これまで半年にわたって、当連載「鉄道、昭和の旅」を続けてきましたが、今回でひとまず一区切りとしたいと思います。筆者は引き続き、「関西オモシロ鉄道の旅」という連載を10月から始めることになりましたので、これからもよろしくお願いします。