区役所に行こう

夏に生まれた夫と冬に生まれた私が、秋に結婚を決め、約半年後に新居への引越を済ませた。陽気のいいこの季節にも何か記念日を作るといいね、と区役所へ婚姻届を提出したのが4月25日。夫のオットー氏(仮名)の既存の籍に私が配偶者として加わり、戸籍上、両親の籍から抜けた私の姓が改められたことになる。

独身時代は「夫婦別姓」を強く強く支持していた。何か特別な考えやポリシーがあったわけではない。とくに考えやポリシーもなく「夫婦同姓」を受け入れる人たちとは相容れない、というのが、唯一最大の理由だった。具体的には、「女の子は結婚すると苗字が変わるものだから」と口にするような大人が大嫌いだった。

初めて実印を作った高校生のとき、一生ものですよ、と「苗字なし」タイプの印影を勧められ、そのあまりの理不尽さに文具店のカウンターで発狂しかけたことがある。これからの人生、どこの誰といつ結婚しようがしまいが、そのとき役所へ届け出ようが出まいが、そんなの私の勝手で、私が決めることで、たかが印鑑、何度でも作り替えて登録しなおしゃいいのだから、ほっとけ!! そもそもこの国のおそろしく不毛で無意味なハンコ捺印の風習からして滅ぼしたいのに、どうしても署名だけで受理されない書類に行き当たってしぶしぶ買いに来てやってるのに、私と私のハンコから、勝手に私の苗字を奪うな!!

どうして女の子だけが、生まれ持ったものに変更や不自由を強いられるのか。婚姻の決め事には「夫または妻の姓を名乗る」とあるだけなのに、周囲で改姓するのは妻ばかりだ。ここで折れたら負けなんじゃないか。学業を修め社会に出て、自分の名前で仕事する、そんな人生を一本道で貫き通すためにも、親から授かった氏名を生涯ずっと使いたい。そんな私のごく当然の権利についてすら理解を示さない男性となんて、絶対に法律婚などするものか、と思っていた。

男女がただ別姓を名乗るためだけに事実婚を選択せざるを得ない現状は不自然だと思うし、とっとと法改正されればいいのにと、今も心からそう思う。しかし私自身は、割とすんなりオットー氏の籍に入った。

実際に戸籍を移動したら、意外にも「なんだ、こんなものか」としか感じなかった。婚姻届も戸籍謄本も、紙切れ一枚の事務手続きだ。何事も実際にやってみなければわからない。この程度なら別に「入籍」でいいや、と思った。いざ結婚する段になってやっぱり自分には「何か特別な考えやポリシーがあったわけではなかった」、そのことに気づかされる格好だった。

名前をつけてやる

そもそも私には学生時代から「okadaic」というハンドルネーム兼ペンネームがあり、これがほとんど通名になっている。身分証明の要らない各種手続きはサイン一つで済ませてしまうし、この名義で銀行口座まで作った。「自分の名前で仕事する、そんな人生を一本道で貫き通す」がしたいだけなら、戸籍上の氏名がどう変わろうと「okadaic」を使えばよい。

次に、よくよくよくよく考えると、生家の苗字「岡田」については好きでも何でもない。むしろ凡庸で野暮ったく感じるし、嫌いとは言わぬまでも飽き飽きしているし、可能なら別の苗字で生きてみたかったという浮気心もある。「生家の籍を出たくない」わけでもない。跡を継ぐ気はないどころか、実家を出るとき籍を抜いてオリジナル戸籍を新設し、好きに改名しておけばよかったとさえ思うし、思うだけで今の今まで実行に移さなかった程度には、所属に無頓着でもある。

「女の私だけ姓が変わるなんてイヤだ!」と思ってはいたけれど、いったい何がイヤだったのか。改姓を強制されること。選択の自由がないこと。言い換えれば、持って生まれた名前を誰かに「奪われる」こと。自分以外の誰かの都合で何かを「手放す」ことだった。

しかし、ものは考えようである。生まれながらの氏名、すっかり愛着のある通名、婚姻によって得た耳慣れない夫の姓。気がつけば、今の私には三つも名前がある。産声を上げたときにはシングルだったアイスクリームが、すくすく育っていつの間にかトリプルスクープになった、と考えればいいのではないか? 一度きりの人生で、三色違うフレーバーのアイスが食べられると思えば、一味一味にまつわる不満、字画が悪いとか飽きが来るとかなんとかは、ずいぶん些細な問題と思える。

私の名前は「奪われた」、マイナスされたのではない。むしろ結婚によって「増えた」、プラスされたのだ。なんだ、お得じゃないか。婚姻届に必要事項を記入する段になって、ようやくそのことに気づいたのだった。

純白の令夫人

もちろんそこに至るまで、考えつく限りの建設的な抵抗は表明してみた。たとえばオットー氏の姓は「オットーダ(仮名)」なので、二人で新しく「岡オットー田」または「オット岡ーダ」といった新しい戸籍を作って、その複合姓ともミドルネームともつかない新しい姓を名乗るのはどうか? という提案。間髪入れず「ははははは、ヤだよ」と乾いた笑いが返ってきた。

相手がイヤなら、仕方がない。結婚は一人でするものではない。私が何かを提案しても、相手に却下されたら採決されないのだ。自分一人で作る印鑑の図案のようには、自由に決められない物事だってある。生活環境の変化に弱いオットー氏の人生に変更点が極力少なく、新しいもの好きで進取的な私の人生にさらなるオプションが増える、結局そんな落としどころに着地した。

さっそくトリプルアイスの食べ合わせを研究する。クレジットカードの名義は引き落とし口座の名義と違っていても構わない。ただし海外で使うカードはパスポートの名義と同じが望ましい。健康保険証には本名記載が必須だが、運転免許証の更新は少し先だから、しばらくは旧姓でも身分証明ができる。贔屓役者のファンクラブ会員証は独身名義にしておくか。実印とは別に通名の印鑑も作っておこう……。あれこれ検討した結果、ほとんどを新姓に書き換え、パスポートのみ、旧姓を併記して持つことにした。

改姓後の氏名でパスポートを作る際、許可さえ下りれば、例外措置としてカッコ書きで旧姓を追記できる。通常の「訂正申請」では旧姓を新姓に上書きされてしまうので、まだ有効期限が残っている旧姓パスポートを泣く泣く失効させ、旅券ごと新たに取得する「切替申請」をおこなった。「訂正」は900円、「切替」は1万円強。とはいえ、姓をダブルスクープにする値段と思えば安いものだ。ブサイクな証明写真を堂々と撮り直す口実にもなった。新作もなかなかブサイクに撮れたが。

改姓後の氏名でメールアドレスを増設したり、普段とは違う雰囲気のアイコン画像を設定したりするのも面白い。戸籍上は本名であるはずなのに、偽名を名乗って別人格を構築するような楽しさがある。新しく誕生したオットーダ夫人の氏と名の組み合わせは、避暑地でテニスでもしてそうな古風で上品な響きがある。旧姓がバニラで通名がチョコレート、新姓はカシスシャーベットという感じか。

どちらか一つしか使えないと思うと、手放す名前が惜しくなる。どちらも手元に残せると思えば、どの名前にも愛着がわく。パスポートに二つの姓を併記できたのは、海外での通名使用について日本国から太鼓判を捺してもらったようでいい気分だ。戸籍名が変わっても私は私のままでいい。結婚しても失うものはない。一本道には仲間がどんどん増えて、何も奪われない。自分以外の誰かがそう言ってくれる仕組みが、もっともっと増えればいいのに、と思う。

それにしても、たかがハンコ一つ欠けているからと書類を突き返すこの国の仕組みのほうは、早く滅びてしまえばいいのに、とまだ思う。旧姓で署名した脇に捺印しろと言われて取り出した印鑑が「オットーダ」だったことが、この半年でも数回あった。「どうせ三文判でいいんなら、これでもいいでしょ?」と訊いたら、「ははははは、ダメです」と乾いた笑いが返ってきた。「岡田」の私はまた店先で発狂しかけたが、「オットーダ夫人」はおしとやかにグッと堪えて純白の微笑みを返す。そうして「okadaic」の私は、後日どこかでエッセイに書いてやるぞ、とドス黒い心に誓うのである。

<著者プロフィール>
岡田育
1980年東京生まれ。編集者、文筆家。主な生息地はTwitter。2012年まで老舗出版社に勤務、婦人雑誌や文芸書の編集に携わる。同人サークル「久谷女子」メンバーでもあり、紙媒体とインターネットをこよなく愛する文化系WEB女子。「cakes」にて『ハジの多い人生』連載中。CX系『とくダネ!』コメンテーターとして出演中。2013年春に結婚。

イラスト: 安海