いまから37年前の1976(昭和51)年6月、修学旅行がありました。当時、中学校の修学旅行といえば、京都・奈良を巡るコースが定番。しかし筆者が通った中学校は、倉敷や小豆島を巡るという、ちょっと珍しいコースでした。

その修学旅行で、東京との往復のために乗車したのが新幹線。筆者は初めて乗る新幹線から、初めて見る沿線風景にカメラを向けていました。今回は新幹線の車窓から撮影した、昭和の鉄道風景を紹介します。……多少写り込みがありますが、ご容赦ください。

「御役御免」となり、米原駅の外れに留置されていたDD50形

「終活」中!? 哀愁のDD50形

休車となり、米原駅の外れで廃車まで留置されたDD50形。1953(昭和28)年から製造された、国鉄初の本線用電気式ディーゼル機関車です。エンジンが非力だったため、つねに背中合わせの重連で使用されたそうです。

長らく北陸本線で使用され、最晩年には米原~田村間の直流・交流接続区間の中継用に使われていました。しかし撮影翌年の1977年、6両全車が廃車となっています。

旧型国電70系と並走!

修学旅行最終日。名古屋駅で旧型国電70系電車による回送列車とほぼ同時に発車し、途中まで並走することに。70系は1951年から製造開始され、横須賀線や京阪神緩行線へ投入された、3ドア・セミクロスシートの近郊形電車です。

スカ色の70系4連と同時発車!

4両編成の中間車はモハ70。1957年度に最終増備された300番台で、全金属車体で登場した

中央本線をまたぐところで70系とお別れ。両端のクハ76は半鋼製タイプ

名古屋地区の70系電車は、1966年の中央本線名古屋~瑞浪間電化にともない、横須賀線・京阪神緩行線より転入。1978年頃まで活躍しました。当時、名古屋地区の70系は神領電車区に配置されており、基本6連・付属4連で運用されていました。

ちなみに1976年は、岡多線(現在の愛知環状鉄道岡崎~新豊田間)が新豊田駅まで開業した年。同路線では当初、70系電車の付属4連が使用されていたそうです。写真2~4の70系4連による回送列車は、中央本線をまたぎ、東海道本線を走行しているので、ひょっとしたら岡多線へ向かうところだったのかもしれません。

豊橋駅のミラクル!

飯田線や名鉄が乗り入れる豊橋駅では、さまざまな列車を写真に収めていました。

「昭和顔」の貴重な並び。写真手前から非冷房153系、旧型国電80系、10系気動車

80系と名鉄パノラマカー。80系の先頭車クハ86は、前面が3枚窓の初期車

飯田線の旧国とパノラマカー

当然ながら、いまは鬼籍入りとなった車両ばかり。写真5の153系は、1958年から製造された新性能急行形電車で、全車非冷房(サハシ153形のビュフェ部分のみ冷房付き)で登場しました。その後、1964年から冷房化改造が順次行われましたが、1970年代後半に入ってもなお、非冷房の車両が残存していました。結局、153系全車の冷房化は達成できず、非冷房のまま廃車された車両もありました。

写真5の右端にいる10系気動車は、おそらく二俣線(現在の天竜浜名湖鉄道)の列車に使われていたものと思われます。当時、二俣線の列車は新所原駅より東海道本線に乗り入れ、豊橋駅まで直通する列車が数本ありました。

城下町・姫路の操車場

地上駅時代の姫路駅には、隣接して姫路操車場が広がっていました。

たくさんの2軸貨車やEL越しに、国宝・姫路城を眺める

EF60形やDE10形のほかに2軸タンク車も。姫路城は建物と重なってしまった

山陽新幹線と山陽本線を軸に、播但線や姫新線が分岐する姫路駅。その構内にあった姫路操車場は、当時、鉄道の要衡として機関区も併設されていました。御多分にもれず、この操車場も国鉄貨物輸送が縮小された影響で、1984年に廃止されています。機関区は運転部門のみ、JR貨物に引き継がれています。

車両基地の写真2枚

新幹線の車窓から見えた車両基地にも、必死になってカメラを向けていたようです。

当時の宮原区を俯瞰する。DLやDCのほか、画面右下にカニ21が写っている

EF60形、EF58形、DD13形など、浜松機関区に留置中の機関車たち

当時、新大阪・京都発着のブルートレインの拠点でもあった宮原区(写真10)。ひとつの構内に、「機関区」「客車区」「電車区」の3つの基地がありました。現在は宮原総合運転所となり、所属する車両の多くは電車に。その他、客車と機関車も配置されています。

一方、浜松機関区(写真11)はかつて、EF58形のねぐらとして有名でした。EF58形はおもに東海道本線の荷物列車を牽引していて、お召し予備機のEF58形60号機もここに配置されていたとのこと。現在、機関区は廃止され、浜松運輸区となっています。

「オンリーワン!」

タイミング良く新幹線に向かってきた阪急電車

新幹線の車窓からとらえた阪急宝塚線の下り電車。当時、筆者が撮影した約230本(36枚撮り)のネガの中で、関西の私鉄を撮影したのはこの1コマのみ(オンリーワン!)。個人的に貴重な写真となりました。

新幹線から見た昭和の車窓風景。その景色は、いまとなっては大きく変わっているところがほとんどです。とくに写真8・9の姫路城を望遠する景色は、手前にビルやマンションが建ち並んでしまい、いまではその隙間から城を見えるだけになってしまったそうです。

「鉄道懐古写真」撮影時期と撮影場所

  撮影時期 撮影場所
写真1 1976年6月 米原駅
写真2 名古屋駅
写真3 名古屋駅付近
写真4
写真5 豊橋駅
写真6
写真7 豊橋駅付近
写真8 姫路駅付近
写真9
写真10 新大阪駅
写真11 浜松駅付近
写真12 新大阪~新神戸間
※写真は当時の許可を取って撮影されたものです
松尾かずと
1962年東京都生まれ。
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現在の目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う"撮り鉄"に。とくに73形が大好きで、南武線や鶴見線の撮影に足しげく通った