国鉄時代から房総各方面で活躍した「スカ色」の113系が、このほど定期列車での運行を終了しました。JR東日本千葉支社は9月23~24日、113系車両の引退記念イベント「THE FINAL!! 113!」を実施するとのことです。

同イベントでは、113系車両を使用した団体専用列車が運転されるほか、JR両国駅3番線ホームにて、「鉄道グッズ・車両部品即売会」や「思い出の113系」写真展も行われます。限定記念弁当も販売されるとか。

東海道線の川崎駅を発車する横須賀線下り113系。いまでは見られない貴重なショット。1980年8月30日

113系車両は、国鉄時代の1963年に登場した片側3ドア、セミクロスシートの直流近郊型電車。東海道線では、旧型国電80系の後継車として113系が導入され、「湘南色」と呼ばれるオレンジとグリーンのツートンカラーが特徴となりました。一方、横須賀線の車両は、砂浜と青い海をイメージした「スカ色」(クリームと青のツートンカラー)で親しまれました。

近郊型電車の基本となった113系は、朝夕のラッシュ時ともなると両開きの3ドアが威力を発揮し、大活躍しました。高度経済成長期の「モーレツサラリーマン」たちの通勤を支えてきた、歴史ある車両なのです。

「スカ色」の113系は、長らく横須賀・総武快速線の主役として活躍。E217系にその座を譲った後は、房総方面の路線のみの運転となっていました。

東海道線川崎~横浜間を走る横須賀線上り113系。写真右端の複線は貨物線で、後に「SM分離」で横須賀線の線路に。背後に京浜急行1000形の分散クーラー車(白幕)が見える。1980年8月30日

「SM分離」前の品川駅11番ホームに入線する横須賀線下り電車。現在、このホームは東海道線下り列車が使用する。1980年8月30日

現在、東海道線と横須賀線はそれぞれ別線で運行されています。東京~横浜間、あるいは鎌倉や湘南方面へ電車を利用する際、「横須賀線はちょっと遠回りだから、東海道線で行こう」「時間に余裕があるし、乗り換えのない横須賀線で行こう」など、両路線を使い分けている人も多いのではないでしょうか。

しかし、いまから31年前の1980(昭和55)年まで、東海道線と横須賀線は東京~大船間で同じ線路を共用していたのです。高度経済成長期に実施された、通称「通勤五方面作戦」の一環として、東海道・横須賀線では「SM分離」の工事を実施。その結果、別線で運行する現在の姿になったのです。

横須賀線上り113系11連の基本編成。グリーン車には帯も付いている。当時すでに、グリーン車の帯は廃止が決定していた。1980年8月30日

東海道線新橋~品川間を行く横須賀線下り113系11連。ラッシュ時には基本編成に4連の付属車を増結し、15連で走行した。1980年8月30日

「SM分離」実施前の東海道線では、当たり前のように横須賀線の「スカ色」113系が走行していました。さらに旧型国電や旧型電気機関車など、さまざまな車両と並ぶ姿も見ることができました。その模様は次回紹介します。

※写真は当時の許可を取って撮影されたものです
松尾かずと
1962年東京都生まれ。
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現在の目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う"撮り鉄"に。とくに73形が大好きで、南武線や鶴見線の撮影に足しげく通った