今年6月、九州で遊園地のような特急列車が走り始めました。豊肥本線の熊本~宮地間を結ぶ「あそぼーい!」です。4両編成のうち1両は、いつでも子供が窓側に座れるシートや、「木のボール」で遊べるプールなど、子供も大人も楽しい気分になれる列車だとか。

「あそぼーい」は夏休み期間中、1日2往復運転され、下り列車はスイッチバックで有名な立野駅で、南阿蘇鉄道のトロッコ列車「ゆうすげ号」に接続するとのこと。南阿蘇鉄道は1986(昭和61)年4月1日、旧国鉄高森線を継承し、開業した第3セクター方式の鉄道で、立野~高森間17.7kmを結んでいます。

高森線高森駅にて、C12 241が牽引する立野行の混合列車が発車を待つ。写真では見えないが、貨車の後ろに2両の客車が連結されている。1973年8月

国鉄時代の高森線は、蒸気機関車・C12が客車と貨車を一緒に連結して走る"混合列車"が有名でした。いまから38年前の1973(昭和48)年当時、高森線にはディーゼルカーが2往復、C12牽引の客車列車が4往復が走っていて、客車列車のうち1往復が混合列車。SLを目当てに、撮影や録音のために多くの鉄道ファンが訪れていました。

走行中の客車内から撮ったC12 241。小形タンク機関車ながら、初めて間近で聞くドラフト音は迫力満点だった。終点の高森駅には転車台がないため、逆向きでの運転だった。1973年8月

逆機運転中のC12 241の機関士席。よく見えないが、機関士は後ろを向いて運転しているようだ。1973年8月

1973年といえば、筆者は小学校6年生で、父親の仕事の関係で福岡県内に 住んでいました。その頃、新聞で高森線の混合列車の存在を知り、わざわざ連れて行ってもらったのです。

初めて間近に見るSL。

初めて乗るSL列車。

初めて聞くSLのドラフト音。

思わず興奮し、混合列車であることをすっかり忘れてしまうほどでした。おかげで混合列車とわかるような、列車全体を写した写真がないという有様……。

ちなみに、このときSLを撮影したカメラは、「じゃーにーコニカ」のキャッチフレーズで有名な名機、コニカC35。操作が簡単で、失敗なく撮れました。

高森駅に到着した後、入換えを開始。バックに阿蘇五岳を望む。1973年8月

雄大な外輪山を背景に入換え中。聞こえるのはセミの鳴き声と、C12のドラフト音のみだった。高森線、高森駅にて。1973年8月

入換えが終了し、発車を待つ。のどかな時間が流れていく。高森線、高森駅にて。1973年8月

筆者の乗った列車は高森駅に到着。C12 241は早速切り離され、貨車の入換えを開始しました。上り列車に連結する数両の貨車を組成し、客車に連結して、入換え終了。その後はのんびりと発車時刻を待っていました。

上り混合列車が立野駅に到着した後、客車を切り離し、写真の位置で停車。この後、貨車のみ豊肥本線の貨物列車へ継走されたと思われる。1973年8月

当時、走行する客車のデッキで、SLの走行音を録音する「録り鉄」の人を見かけました。高森線にはトンネルが2カ所あり、そこに列車が入るとデッキは煙だらけ。その瞬間、タオルを口にあて、体を丸めながら必死に録音をしていた姿がいまでも忘れられません。

このとき撮影したC12 241は、高森線の無煙化(蒸気機関車の廃止)まで活躍した後、廃車。現在は南阿蘇鉄道の高森駅前に保存されています。

※写真は当時の許可を取って撮影されたものです
松尾かずと
1962年東京都生まれ。
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現在の目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う"撮り鉄"に。とくに73形が大好きで、南武線や鶴見線の撮影に足しげく通った