昭和の日の4月29日から、千葉・房総半島の中央部を走るいすみ鉄道(大原 - 上総中野)で、キハ52型ディーゼルカーが運転を始めました。この車両は、1965(昭和40)年に製造され、国鉄~JR西日本大糸線で活躍後に廃車・解体されるところを、いすみ鉄道が買い取って第2の人生を送ることになったのです。キハ52の特長は、急勾配のローカル線用にエンジンを2基搭載、短編成で運用しやすい両運転台車。この特長を生かし、各地の山岳路線で活躍しました。そこで今回は、キハ52が走っていた35年前の小海線の写真を紹介します。
ちなみにいすみ鉄道は、自己負担での運転士養成や公式萌えキャラ「上総いすみ」の発表など、ユニークなアイデアで有名。今年の夏は、このキハ52を使用して「ビール列車」を走らせるそうです(乗ってみたいですね~笑)。
山梨県小淵沢と長野県小諸を結ぶ小海線は、八ヶ岳の山麓を走る高原列車として有名です。小淵沢の次駅「甲斐小泉」から「清里」「野辺山」を経て「海尻」までの連続する8駅は、標高1000mを超えていて、清里 - 野辺山間には標高1,375mのJR鉄道最高地点(旧: 国鉄線路最高地点)があり、野辺山は標高1,345mで最高地点の駅となっています。
八ヶ岳を入れたアングルを探している時に列車が接近、咄嗟にシャッターを切った1枚。キハ52がなんとか写っている。結局いいアングルは探せず、列車と八ヶ岳を入れたカットはこの1枚だけという悲惨な結果となった。小海線清里駅 - 野辺山駅にて。1976(昭和51)年4月 |
当時は、貨物列車の運転がありDD16が牽引していました。DD16は、1971(昭和46)年に登場したディーゼル機関車。特長は、車体や台車を軽量化し、レールが細く線路の構造が弱いローカル線(簡易線)への入線が可能になったこと。これにより、無煙化が遅れていたローカル線で最後の活躍をしていた小型蒸気機関車を次々と置き換えていきました。小海線でも1972(昭和47)年に、それまで活躍していたC56型蒸気機関車が置換えられました。小海線のC56は、高原地帯を走る姿が小馬に似ていることから「高原のポニー」と呼ばれ、首都圏から近いこともあり大勢のSLファンが撮影に詰めかけていました。
撮影当時の1976(昭和51)年は、すでにC56は引退して走っていませんでしたが……どっこい、野辺山にその姿がありました。SLホテルになっていたのです。
先頭は小海線でも活躍したことがあるC5696。SLの後ろにA寝台車4両とお座敷客車1両が連結され、寝台車の寝台部分を客室とした宿泊施設。営業期間は春~秋、冬期は休業。野辺山高原にて。1976(昭和51)年4月 |
SLホテルは、静態保存されたSLに寝台車を連結しホテルとしたもの。1974年に、日本初のSLホテルが高知・中村駅前にオープン。その後、1970年代後半にはSLブームも手伝って、全国で十数か所のSLホテルがオープンしました。
しかし、寝台車は他の宿泊施設に比べると客室が狭いなど不利な部分が多く、1980年代に入ると廃業が相次ぎ、2008年、岩手・小岩井農場のSLホテルが閉鎖されたのを最後にSLホテルは姿を消しました。
最後に、八ヶ岳の姿を……。
松尾かずと
1962年東京都生まれ
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現: 目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う撮り鉄に。特に、73形が大好きで南武線や鶴見線の撮影に足繁く通った。