前回紹介したC58が走行する写真の大半は、高島貨物線横浜港駅(貨物駅)で撮影したものです。これらを紹介するために30数年前のネガを引っ張り出したところ、横浜港駅と赤レンガ倉庫周辺の引き込み線が現役だった頃の写真が出てきました。そこで今回は、一部の写真を現在の状況と比較しながら紹介します。

現役時代の「横浜港駅」と「赤レンガ倉庫」。休日のためか貨車は少なめだった。画面右端のカーブしている線路が山下埠頭に向かう貨物線。高島貨物線横浜港にて。1976(昭和51)年3月

ほぼ同じポジションから捉えた現在の赤レンガ倉庫。「交差点」と「緑地帯」に貨物駅の痕跡はゼロ。万国橋交差点より赤レンガ倉庫を望む。2011年5月18日

高島貨物線と赤レンガ倉庫の歴史は、明治から大正にかけて建設された新港埠頭に、1911(明治44)年と1913(大正2)年赤レンガ倉庫2棟が相次いで竣工したことに始まります。1920(大正9)年7月に高島貨物線東横浜から、赤レンガ倉庫がある横浜港間が開業。それぞれ、貿易の「貨物保管場所」「物流拠点」として横浜港の中心的な役割を果たしていきます。

第二次世界大戦後の高度経済成長期を迎え、増加する一方の貨物に対応するため横浜港が拡大され、1963(昭和38)年に山下埠頭が完成。さらに、貨物のコンテナ化に対応するため、1970(昭和45)年に本牧埠頭が完成しました。その翌年の1971(昭和46)年から大黒埠頭の整備が始まります。

増加する貨物のコンテナ化、そのコンテナを輸送する物流スタイルの変化により役割が新しい埠頭に移ると、新港埠頭での取扱い貨物量が激減。その結果、1987(昭和62)年3月、高島貨物線東横浜 - 横浜港間が廃線(横浜港 - 山下埠頭間は1965年7月開業、1986年11月廃線)。そして1989(平成元)年、赤レンガ倉庫が倉庫としての役割を終えると、あっという間に新港埠頭が廃墟のような雰囲気になってしまいました。

その後、新港埠頭周辺は再開発され商業施設などが誕生。赤レンガ倉庫は、2002年4月に商業・文化施設としてオープンし、今では観光スポットとして、貨物にかわってたくさんの人で賑わいを見せています。

赤レンガ倉庫奥にあった岸壁の倉庫沿いに留置中の貨車。画面左方向へ貨車を引き出し、スイッチバックすると横浜港駅。横浜港引き込み線にて。1976(昭和51)年3月

横浜港での入れ換えや小運転を担当したDD13。当時、貨物駅に行けば必ず見かけたポピュラーな機関車だった。現在は、譲渡車を除き東海道新幹線の保守車両牽引用に改造された数両が残るのみ。高島貨物線横浜港にて。1976(昭和51)年2月

Before(下の写真と比較してみよう): 前回紹介した赤レンガ倉庫(2号館)をバックに行くC58。高島貨物線横浜港にて。1980(昭和55)年6月13日

After(上の写真と比較してみよう): 上の写真から31年後。ほぼ同じアングルで撮影。変わっていないのは赤レンガ倉庫だけ。手前の道路と緑地にレールがあったとは誰も信じないのではないだろうか。万国橋交差点付近にて。2011年5月18日

1980年当時の赤レンガ倉庫は、テレビドラマや映画の撮影場所としても有名で、特に刑事ドラマでは多く使用されていました。有名なものとしては、松田優作と中村雅俊が刑事コンビを演じる『俺たちの勲章』(1975年4月~9月 日本テレビ系列)。番組冒頭の横浜の雰囲気を濃厚に醸し出すオープニングで、2人のイメージカットに背景として登場、さらには赤レンガ倉庫をバックにDD13牽引の貨物列車が停車中という鉄道ファンにとって嬉しいカットもありました。

もう1本、忘れてはならない刑事ドラマが舘ひろしと柴田恭兵がはみだしコンビを演じる『あぶない刑事』(1986年10月~1987年9月 日本テレビ系列)。後に、映画が5本も制作された人気刑事ドラマです。このエンディングで、赤レンガ倉庫をバックに2人が走るシーンが登場します。時々逆回転を交えるあたりが、このドラマの特長でもある「コミカル路線」を現していました。このドラマ、実は赤レンガ倉庫が見直されるきっかけにもなったとか。

Before(下の写真と比較してみよう): 赤レンガ倉庫2号館の引き込み線上で撮影が行われていた。雑然と置かれたトラックや資材が現役時代の証。赤レンガ倉庫引き込み線にて。1976(昭和51)年3月

After(上の写真と比較してみよう): 35年後のほぼ同じアングル。引き込み線のレールが一部残っている。レストランなどが入る赤レンガ倉庫2号館の外観はほとんど変わっていない。画面右奥に1号館の一部が見える。赤レンガ倉庫2号館にて。2011年5月18日

Before(下の写真と比較してみよう):DD13牽引の貨物列車が築堤上を行く。造船所・はしけ・倉庫が臨港地区独特の風景を作り出していた。高島貨物線東横浜 - 横浜港にて。1976(昭和51)年3月

After(上の写真と比較してみよう): 上の写真の35年後、ほぼ同じアングルで。風景は激変し、臨港地区の雰囲気はほとんど無い。貨物列車が走った築堤は「汽車道」という遊歩道に生まれ変わった。万国橋よりみなとみらい地区を望む。2011年5月25日

現在の状況を撮影した時に、ふと思ったことがありました。桜木町駅に隣接していた東横浜から赤レンガ倉庫まで、今でもレールが繋がっていたなら、LRT(ライトレールトランジット・次世代型路面電車システム)を走らせてみたいと。赤レンガをバックに軽快に走るLRT。それは、まるでヨーロッパのような雰囲気。しかし、残念ながらもうレールはありません……。

松尾かずと
1962年東京都生まれ
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現: 目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う撮り鉄に。特に、73形が大好きで南武線や鶴見線の撮影に足繁く通った。