6月2日、第30回横浜開港祭が横浜の観光スポット「赤レンガパーク」周辺で開催されます。1859(安政6)年6月2日に横浜港が開港され、この日を開港記念日としたことから行われるイベントです。今回は1980年6月にさかのぼります。第1回目の横浜開港祭が開かれる1年前、横浜開港120周年・横浜商工会議所創立100周年を記念して当時の赤レンガ倉庫周辺をSLが走ったのです。

C581が牽引する山下埠頭発東横浜行の列車。山下埠頭発の列車のSLは逆機運転だった。現在、このアングルの風景は激変。線路跡は「汽車道」、巨大なクレーンが並ぶ造船所は高層ビルが立ち並ぶみなとみらい地区となっている。高島貨物線東横浜 - 横浜港。1980(昭和55)年6月13日

今から31年前、1980(昭和55)年6月13日~15日の3日間、C581が旧型客車4両をけん引し、高島貨物線(横浜臨港線・山下埠頭線)東横浜 - 山下埠頭間を1日3往復走りました。前年(1979年)から山口線で始まったSL復活運転の予備機C581を、わざわざ横浜へ回送し使用しました。1980年当時は、SLが国鉄線上から姿を消してから4年。SLファンはその対象が消え、青息吐息状態。そんな中、首都圏で期間限定ながら久々にSLが復活するということで、多くのSLファンが集まり混乱することが予想されました。そのため、撮影ポイントにはバリケードがはられ、警察官が至る所に立つという物々しい雰囲気での撮影となりました。

巨大なサイロをバックに山下埠頭行きの列車がやってくる。現在の万国橋交差点あたりだ。高島貨物線横浜港にて。1980(昭和55)年6月13日

山下埠頭に向かう列車越しに赤レンガ倉庫1号館の屋根が見える。高島貨物線横浜港にて。1980(昭和55)年6月13日

万国橋付近の踏切を警備する警察官たち。港湾関係のビルから見物する人たちもいた。列車は逆機運転の東横浜行。高島貨物線横浜港にて。1980(昭和55)年6月13日

久々に走るSLに血が騒いだのだろうか、3台のカメラでSLを追うファンの姿も。高島貨物線横浜港にて。1980(昭和55)年6月13日

SL運転当時の高島貨物線は、撮影ポイントが限られていました。そんな状況の中、誰もが赤レンガ倉庫とSLを一緒に撮ろうとトライしましたが、良いアングルで狙うことができませんでした。

なんとか赤レンガ倉庫を絡めて撮れるポイントを捜して撮った1枚。赤レンガ倉庫(2号館)は屋根だけが写っている。高島貨物線横浜港にて。1980(昭和55)年6月13日

逆機運転中のキャブ(機関室)のアップ。区名札は横浜機関区の「浜」、仕業札はC581をもじった「臨A581」と心憎い演出がされていた。高島貨物線横浜港にて。1980(昭和55)年6月13日

SL運転の合間にDD13牽引の貨物列車が発車して行く。地味な貨物列車にカメラを向けた人は少なかった。高島貨物線横浜港にて。1980(昭和55)年6月13日

SLが走った高島貨物線は1987年に廃線(1989年横浜博で一時使用)となり、その後「汽車道」と「山下臨港線プロムナード」という名の遊歩道に生まれ変わりました。また、写真の背景に写っている港湾関係の設備や倉庫などは再開発により一切無くなり、唯一残ったのは「赤レンガ倉庫」2棟とその周辺施設のみという激変ぶり。そこで次回は、貨物線があった港湾地区から完全なる観光スポットに生まれ変わった「赤レンガ倉庫」と「横浜港駅」周辺の現役時代の写真を紹介します。

写真はすべて、当時の許可をとって撮影しています。

松尾かずと
1962年東京都生まれ
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現: 目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う撮り鉄に。特に、73形が大好きで南武線や鶴見線の撮影に足繁く通った。