北アルプスの麓・安曇野を走るスカイブルーの旧型国電。今から30年前の春、そんな大糸線を撮影するために「信州ワイド周遊券」を購入し、新宿発の臨時夜行急行「アルプス」に乗って早朝の松本に降り立ちました。そこには、京浜東北線(当時の103系)と同じ色、スカイブルーの旧型国電が停まっていました。

初めて見るスカイブルーの旧型国電クハ55他6連。大糸線松本にて。1981(昭和56)年5月2日

当時、ゴールデンウィークや夏の週末など多客期に運転された中央本線新宿発松本行きの臨時夜行急行「アルプス」。この列車に乗るためには、まず新宿駅地下のアルプス広場で列車別の行列に並びます。その後、列車の入線時刻が過ぎると、駅員の誘導で行列の先頭からホームへ移動して1号車から順に乗車していくという方法をとっていました。現在も、行列を作って待つのだろうか……。急行「アルプス」は、通常165系電車を使用。しかし、この臨時夜行は、EF64が牽引する12系客車という貴重な列車。なのに、ひとコマも撮っていません。後悔……。

朝のラッシュが始まると、2線を使用しての交互発着で列車をさばいていた。左先頭はサハ57改造のクハ55。右先頭はクロハ59改造のクハ68。大糸線松本にて。1981(昭和56)年5月2日

到着した列車から大勢のの乗客が降りてきた。スカートが長い昭和スタイルの女子高生たちの後ろに松本電気鉄道(現: アルピコ交通)の電車が見える。大糸線松本にて。1981(昭和56)年5月2日

松本 - 糸魚川を結ぶ大糸線は、車窓から美しい北アルプスが望める路線として知られています。松本市街を抜けると、米どころ安曇野の水田が広がる田園地帯、やがて北アルプスが迫ってくると山岳路線的な風景が展開するという、ある意味全線がビューポイントでもあるのです。ですから、撮影ポイントを数カ所に絞り込み、スケジュールを組んで移動。しかし、途中から天気が崩れてきて、残雪の北アルプスがスッキリと見えないという状況になってしまいました。

なんとか北アルプスをバックに行く列車を撮ることができた。クハ68011を先頭にした6連の上り列車。大糸線安曇沓掛 - 安曇常盤。1981(昭和56)年5月2日

8連の下り列車、最後尾はクハ55435。前4連は旅客扱い、後4連は回送という長大列車だった。大糸線安曇沓掛 - 安曇常盤。1981(昭和56)年5月2日

名物「海坊主」クモユニ81を先頭にした5連の上り列車。大糸線安曇沓掛 - 安曇常盤。1981(昭和56)年5月2日

金沢 - 松本を結んだ急行「白馬」キハ58ほか3連。「白馬」は撮影した翌年の1982(昭和57)年に廃止された。大糸線安曇沓掛 - 安曇常盤。1981(昭和56)年5月2日

この日は、松本駅待合室のベンチで一泊。同じような鉄道ファン数人が泊っていました(笑)。翌日は、山岳路線的な風景を走る列車を撮影するため、信濃森上 - 白馬大池間の鉄橋が見えるポイントへ移動。この日も、はっきりしない天気でしたが、鉄橋の奥のダム(調べたところ「姫川第二ダム」と判明)が放水中という幸運に恵まれました。

水しぶきがかかりそうな荒々しい風景の中を行く上り列車、クモハ60他6連。大糸線 信濃森上 - 白馬大池。1981(昭和56)年5月3日

はっきりしない天気が、時間とともに悪化。絶対にものにしようと狙っていた安曇野名物「ワサビ田」と旧型国電という画は、泣く泣く諦めることになりました。しかし、どうしてもそれを撮りたい一心で、なんと、この年の夏、旧型国電が引退する寸前に大糸線を再訪! なんとか、カメラに収めることができました。その時の写真は、夏になったら紹介しましょう。

当時の許可を得て撮影しています。
松尾かずと
1962年東京都生まれ
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現: 目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う撮り鉄に。特に、73形が大好きで南武線や鶴見線の撮影に足繁く通った。