JR東日本の201系の終焉が迫ってきました。

3月中旬に、京葉線のE233系5000番台分割編成が営業運転を開始。その結果、201系の運用が減少、4月に入って1本が廃車回送され、残りは3本30両のみとなり、32年の活躍にピリオドが打たれようとしています。今回の写真は、今から32年前、201系が初めて姿を現した試作車回送シーンです。

姿を現した201系試作車回送。遠くに山手線外回りの103系が写っている。背景となっている東急池上線五反田駅の高架橋は、今も変わらない。以下、写真は全て山手線五反田駅にて。1979(昭和54)年2月5日撮影

続いて、こちらも201系試作車回送シーン

201系試作車回送。クモハ200他5連 モハ201はダブルパンタ。池上線五反田駅には旧3000系が入線している

201系は、1979(昭和54)年に当時の国鉄が製造した「次世代型通勤形電車」。制御装置やブレーキに新技術を採用し、従来の通勤形電車より電力消費を抑えたことから「省エネ電車」と呼ばれました。

この新形式電車の初登場シーンをどこで狙えばいいのか考えた結果、山手線五反田駅に決定。タイミングが良ければ、当時の主力通勤形電車103系との並びが狙えますが、最悪の場合、103系が被ってしまい、撮影出来ないことも考えられます。一か八か勝負に出た結果は、ご覧のとおり。並びは撮れませんでした。おまけに、曇っていた空は時間が経つとともに暗くなり……。前面がブレてしまいました(苦笑)。

201系試作車回送後追い。最後尾はクハ201。山手線の停止目標が懐かしい10両

201系試作車回送後追い。高架橋は首都高速2号線

この試作車は、「省エネ」と書かれたヘッドマークをつけて営業運転を開始しましたが、「省エネ電車」という名称は根づかなかったようです。ラストは、試作車が通過する前に撮っていたひとコマ。

山手貨物線をやってきたEF15単機

松尾かずと
1962年東京都生まれ
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現: 目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う撮り鉄に。特に、73形が大好きで南武線や鶴見線の撮影に足繁く通った。