第2次世界大戦で、日本軍はタイとビルマ(現ミャンマー)間に泰緬鉄道を建設した。『戦場にかける橋』は、その鉄道建設を舞台とした作品だ。日本軍捕虜の英国人兵士たちが、架橋建設によって誇りを取り戻す。しかし、日本軍の進出を阻む英国軍は橋の破壊を工作する。作る兵士、壊す兵士、それぞれの戦いが描かれる。
架橋に生きがいを見つける連合国兵、破壊のために戻る脱走兵
1943年、日本はタイ王国と同盟関係にあり、日本軍は隣接する英国領ビルマを占領した。インド洋は制海権争いが激しいため、日本軍は補給線として、タイのバンコクとビルマのラングーン(現ヤンゴン)を結ぶ鉄道の建設に着手した。後の泰緬鉄道である。その難所のひとつがクワイ川だった。クワイ川の鉄道橋建設に従事する第16捕虜収容所では、捕虜となった連合国兵士たちが過酷な労役を強いられていた。収容所長は冷酷な斎藤大佐(早川雪洲)だ。
その第16捕虜収容所に、大量の英国軍捕虜が送り込まれた。捕虜となった部隊の隊長、ニコルソン大佐(アレック・ギネス)は、斎藤に対し、将校の労役免除を求めた。戦時協定にもとづいた権利だが、斎藤は拒否。労役を拒否した英国軍将校たちを、「オーブン」と呼ばれる日なたの営倉に閉じ込めてしまう。連合国兵士たちは統率者を失い、労働意欲を失っていく。従前から収容されていたアメリカ軍のシアーズ中佐(ウィリアム・ホールデン)は脱走を試み、密林に消えた。
大量の労役を確保したにもかかわらず、架橋工事は進まない。軍から指示された期限が近づき、斎藤は切腹を覚悟。そしてニコルソンに妥協案を持ちかけた。ニコルソンは英国軍主導の建設を提案する。ニコルソンは、誇りを失い怠惰になっていく英国軍兵士たちを憂慮していた。「この戦争が終わった後も、この橋をかけた兵士たちの誇りは語り継がれるだろう」。その言葉に、連合国軍兵士たちは生きがいを見出し、建設が再開された。
一方、脱走に成功したシアーズは英国軍に救出された。健康を取り戻したシアーズは、米国への帰還と傷病除隊を希望する。しかし、日本軍のビルマ進出阻止を画策する英国特殊工作部隊は、シアーズの弱みにつけこんでクワイ川鉄道橋破壊作戦に同行させる……。
ロケ地はスリランカ、機関車は現地調達
日本の鉄道ファンにとって泰緬鉄道といえば、日本製蒸気機関車が活躍したところ。とくに戦後、1979年に日本から帰還したC56機関車は話題になった。だから、泰緬鉄道の鉄橋が舞台となった本作品にもC56の登場を期待するけれど……、残念ながら出てこない。
じつは映画のロケ地はスリランカ。当時はセイロンと呼ばれており、映画で使われた機関車と客車4両はセイロン国鉄から購入したという。セイロンでは鉄道の輸送力増強のため、軽便規格で作られた支線の軌間を広げていた。映画の撮影はちょうどその時期で、小さな機関車が用済みになっていたようだ。この映画のロケのため、1マイルほどの線路が建設されたという。
機関車の形式は不明。ただし、海外の映画解説サイトなどからの情報によると、この機関車はセイロン国鉄に渡る前に、インドのマハラジャ鉄道で65年にわたって活躍していたとのこと。そこでインドの機関車を探してみると、インド北部で観光名所となっているダージリン・ヒマラヤ鉄道の列車が似ている。軌間610mmの小さな列車で、「トイ・トレイン」とも呼ばれている。蒸気機関車はイギリス製で、製造から110年以上も経っているという。
ロケ地はスリランカのキトゥルガラという密林地帯だ。クワイ川鉄道橋の存在は史実で、現在もクワイ川鉄橋は観光地となっている。しかしクワイ川鉄橋を紹介する観光サイトやブログなどを見る限り、映画の場面とはかなり違う。実際のクワイ川付近はなだらかな地形である。映画に登場する橋は木造だけど、実際のクワイ川の鉄道橋は鉄橋だった。作業用に木造橋も作られたそうだが、映画とは似て非なるものだったらしい。
『戦場にかける橋』という映画はクワイ川鉄橋のエピソードをもとに作られたけれど、実際のロケ地はセイロン。しかし、映画公開後の観光名所はロケ地のセイロンではなく、エピソードの原点となった実在のクワイ川鉄橋となった。映画を見てクワイ川鉄橋に行っても、映画のような風景はない。ちなみにクワイ川は、かつてメークロン川といい、日本軍もクワイ川鉄橋を「メクロン河永久橋」と呼んでいた。映画が公開されるとクワイ川の名が有名となり、川の名前も変えたそうだ。
映画『戦場にかける橋』に登場する列車
蒸気機関車 | 小型で同軸数は2。インドで65年にわたって活躍後、セイロン国鉄で引退 |
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客車 | 1両目がボギータイプ。2両目から4両目までが2軸タイプ |
後部補機 | 荷物車に見えるが実際はディーゼルエンジンを搭載している。ラストシーンで客車を押す必要があるために連結されたという |