映画監督、脚本家の新藤兼人氏が5月29日に亡くなった。映画監督として数々の名作を残しているけれど、脚本にも注目作品が多い。その新藤氏が関わった鉄道映画の名作が、1960年公開『大いなる旅路』だ。監督は関川秀雄氏で、新藤氏は脚本を手がけた。主演の三國連太郎は国鉄機関士の青年から壮年までの30年を演じきった。実際に起きた鉄道事故が制作のきっかけで、全編を通じて鉄道機関士の真摯な生き方を描く作品であると評価され、当時の国鉄の協力を得た。

列車事故をきっかけに、機関士という仕事と真剣に向き合う

1960年東映作品『大いなる旅路』。DVD発売中。価格は4,725円(販売 : 東映、発売 : 東映ビデオ)

大正末期。主人公の岩見浩造(三國連太郎)は蒸気機関車の助手(窯焚き)だ。同期で親友の佐久間太吉(加藤嘉)は、東京鉄道教習所の試験に合格しエリートコースへ。しかし浩造は不合格となり、ふてくされて仕事に身が入らない。そんな浩造を諭す先輩機関士、橋下(河野秋武)と乗務した貨物列車が、雪崩を避けきれず脱線転覆する。浩造は助かったが、橋下は「事故を知らせろ」と言い残して死ぬ。

現場に復帰した浩造は、新婚の妻(風見章子)と通り過ぎる列車を眺め、「列車を守る人がいるから乗る人が安心して眠っていられる。俺達は一番大事なものを預けられていた」と決意を新たにする。

生まれ変わった浩造は、堅実に仕事を続ける。次男が生まれる頃には機関士に昇格。3男1女に恵まれた。だが長男は徴兵され、後に戦死してしまう。次男は父の思いを受け継ぎ、東京鉄道教習所に合格。浩造の運転する列車で東京へ。三男は予科練に志願した。戦後を迎えて社会が落ち着くと、今度は長女が自由恋愛になびいて去ってしまう。「みんな出ていってしまって、育てた甲斐がない」と嘆く妻に、「子供なんて、みんなそんなもんだよ」と浩造は諭す。

戦後も浩造は機関士として働く。その間、次男は佐久間の娘と結婚、その一方で三男の死など、喜びや悲しみが積もりゆく。そんな中、浩造の働きが認められ、国鉄本社で表彰されることに。功績章を胸に付けた浩造と妻は、次男が運転する「こだま」に乗り、旅を続ける……。

機関士という仕事に向き合ってきた主人公と家族のドラマ。脱線事故のほかに大きな山場もなく、ミステリーのようなトリックも、大仕掛けで盛り上がる場面もない。しかし、ラストシーンでは人生の重み、家族の絆などさまざまな思いが蘇り、感動の波がわき上がる。

蒸気機関車から151系まで、全編にわたり「鉄分」たっぷり

映画製作のきっかけとなった事故は1944(昭和19)年、山田線で起きた。機関車が雪崩で崩れた鉄橋にさしかかり転落。28歳の加藤岩蔵機関士が死亡し、機関助士も負傷した。加藤機関士は労働組合の殉職者名簿において、「死ぬ間際まで安全のため職務を全うした機関士」として記録された。機関助士も、負傷しながらも事故防止に尽力したと讃えられている。

このエピソードを知った新藤兼人氏が映画製作を立案。脚本を手がけて関川秀雄氏に提供したという。主人公の名前は「岩見浩造」であり、殉職した加藤岩蔵機関士から「岩」の字を取ったといえる。映画公開後、事故現場に記念碑も建てられた。

映画では、老練な橋下機関士が壊れた時計を示し、「これが発生時刻だ、すぐに知らせに行け」と指示している。これも実際のエピソードによるものだという。この場面を撮影するにあたり、山田線浅岸駅のスイッチバックで本物の機関車を脱線させた。国鉄上層部が特別に許可したという。映画に使われた機関車は8620形だが、事故にあった機関車はC58 283号機で、戦後になって引き上げられ、再び山田線を走ったとのこと。

物語の舞台は盛岡機関区だ。映画でも、同機関区に所属していた蒸気機関車がたくさん登場する。形式までは追いきれないものの、二軸貨車も多く登場し、まるで「動く貨車カタログ」のようだ。浩造が担当する列車はほとんどが貨物列車で、当時の日本の物流の主役は貨物列車だったと実感できる。戦時の物資不足を示すエピソードとして、蒸気機関車に供給する石炭の質の悪さに苦労する機関士のセリフがある。

終盤には電気機関車や電車も現れ、30年の時の流れを表現している。それにしても、約90分の映画で30年分も歳を取るにもかかわらず、俳優陣の演技が見事だ。まるで30年間ずっと撮影し続けたかのように見えてしまう(予告編によると撮影は2年間にわたったそう)。アルバムをめくりながら、長い歳月を振り返ったような感覚になる。ちなみに三國連太郎は、同作品に出演する2年前、老人を演じるために歯を10本抜いたというエピソードがある。この作品でもそれが役に立ったようだ。

主人公以外の配役では、浩造の次男に注目。なんと若かりし頃の高倉健だ。新人鉄道員を演じ、花形列車の151系ビジネス特急「こだま」を運転する。この若い"健さん"が後年、『新幹線大爆破』で犯人役となり、北海道の小さな駅を描いた映画『鉄道員(ぽっぽや)』(1999年)の主人公となるのだ。

映画『大いなる旅路』に登場する車両など

8600形
蒸気機関車
時代考証に合わせるかのように物語前半に登場。28644、68689のほか、18633が脱線シーンに
使われた
C51形
蒸気機関車
28号機が登場する。しかし本物の28号機は戦時中に中国へ送られてしまい、撮影時は日本には
存在しなかった。映像に登場する28号機はナンバープレートだけ不自然で、C57形に「C51 28」
を被せたようだ。他の場面ではナンバーに無頓着なのに、なぜこんなことをしたのだろう?
C51はお召し列車としても使われたので、劇中の「息子の出世のお召し列車」というセリフに
合わせたのかもしれない
C57形
蒸気機関車
51・69・170・197号機が登場。170号機は作品の中盤で、点呼のときに浩造のセリフで登場する
だけだった。しかし後半、ゼネストの落書きが施された状態で登場する
C58形
蒸気機関車
244・330・297号機が登場。244号機は福島県の只見町総合開発センターで保存されている
D51形
蒸気機関車
598・886・565号機が登場。盛岡機関区の貨物牽引機の主役。565号機は北海道佐呂間町の
公園で静態保存されている
EF58形
直流電気機関車
133号機が登場。浩造の上京時の列車の牽引機で、彼が客として列車に乗った唯一の場面。
客車は2等車で、上野駅13番ホームに到着する
151系電車 ビジネス特急「こだま」。富士山を背景に走る場面がいい
国電(ゲタ電) 72系電車と思われる。国分寺市の東京鉄道教習所付近を走っていた
スハフ32形客車 出征兵士見送りシーンなど
盛岡駅 本作の舞台の最寄り駅。旧駅舎と新駅舎が登場する
一ノ関駅 浩造が次男を見送り、その後で懐かしい人と再会する
安房天津駅 親友の佐久間が勤務。彼は駅長として巣鴨駅、新橋駅を歴任している